「『退屈な事』、『流れ続けて詰まる事の無い琴』、『渋滞しない、交通がスムーズな古都』……」
いや、多分今の時期、絶対古都とか観光で渋滞して、詰まってるんだろうな。某所在住物書きは「つまらないこと」の漢字変換パターンを考えていた。
つまらない事、詰まらない琴、詰まらない古都。
他には?「積まらない」とは言うだろうか?
「個人的に、ひらがな系のお題は、どう漢字変換できるかは複数考えるようにしてるのよ。してるけどさ」
「琴」も「古都」も、俺には、ハナシ書くの難しいわな。物書きはため息を吐いて、物語を組み始めた。
正直に「つまらないこと」を書く方が無難だろう。
――――――
東京は、相変わらず今日も今日とて暑い。
最高気温の予報は体温以上、微熱程度。
夏休みの児童生徒・学生なんかは外より屋内の涼しい部屋で安全にゲーム三昧。
その酷暑間近な状況でも、仕事持ちやバイト持ち、その他外出の理由が有る人は、灼熱の中に出ていかなきゃいけないわけで。
私はその中の「仕事持ち」だった。
つまらない仕事だけど、でも、生活費稼がなきゃ。
なにより支店の中は空調効いてて冷房使い放題。
たすかる(電気代節約あざすです)
で、その仕事場での一幕。
今年の3月から一緒の支店で仕事してる付烏月さん、ツウキさんが、昼休憩に保冷バッグから小さな水出しポットを取り出した。
「さて。どんな味かな……」
すごく複雑な表情してる。すごく、不安そうで興味深そうで、でも心配そうな顔をしてる。
どうしたんだろう。
「うん。バチクソにつまらないことだけどね」
付烏月さんが小さな紙コップに、トポトポ、ポットの中身を注いで私にシェアしてくれた。
「すごく、ドチャクソに、どうでもいいことだけどね。そのつまらないことでも、うん……うん」
コップの中身は透き通った薄い黄緑色。
ふわり、レモンの良い香りが鼻の近くで咲いた。
アイスのレモンティーだ。
口に含むと、少しだけの塩味と、レモンの余韻と、それから台湾烏龍の気配があった。
「昨日、駅で200円くらい入った小銭入れ落としてさ。更にジャンク中古日傘もスられてさ」
「うん」
「俺、ちょっとションボリしたから、コンビニで美味いおつまみでも買ってメンタル上げようって」
「うん」
「丁度、緑のコンビニでレモンチップとかいうのが半額だったの。甘酸っぱいと思って買ったの」
「へー」
「甘酸っぱいんじゃなくて甘じょっぱいでもなくて、なんか旨味系のしょっぱさだったの」
「思ってたんと違う案件ですね察しました」
で、 こうなったワケ。
付烏月さんは水出しポットの、茶っ葉を入れておくスペースをトントン、指さした。
「塩と旨味が入ってるってことは、」
付烏月さんが言った。
「つまり、塩分補給に丁度良いんじゃないかって。水出しのお茶に突っ込めば、香りも移るかなって」
閃いた俺、水出しの茶っ葉と一緒に、レモンチップを全量ブチ込んでみました。
以上、昨日から続く、つまらないことでした。
そう付け足して、自分でもポットの中身をマグカップに注いで、香りを確認してゴクリ。
「ほほん。意外と悪くない。アリ寄りのアリだ」
「日傘スられたのは、『つまらないこと』でもなくない?逆に事件じゃない?」
「まぁ、中古でジャンクだったし。そろそろ買い替えよっかなって思ってたし。ジャンク日傘が水出しティーのレパートリーだのアレンジレシピだのに化けたとでも、思っておこうかなって」
多分今頃、スった方も日傘のこと、「思ってたんと違う」ってションボリしてるよ。ふんふん。
付烏月さんはそう言って、半額レモンチップと水出し台湾烏龍で仕込んだフレーバーティーをゴクリ。
満足そうに香りをかいで、飲んでる。
「日傘ねぇ」
トポトポトポ。 貰ったお茶がなかなか良い味と香りだったから、一気飲みして、紙コップじゃなくて自分のマグカップにそれを注いで。
「私もそろそろ、暑いし、1本くらい」
1本くらい日傘買おうかな。 ポツリ呟いて、アイスティーをレモンの香りと一緒に喉に流し込んだ。
「『目』のネタなら、2回心当たりがあるわ。
4月6日の『君の目を見つめると』と、7月10日の『目が覚めると』。これで今年度3度目か」
目が覚めるまでに、全部終わってる。
3人目が覚めるまでに、酒酔い覚ましの料理を。
ところで「さめた目で見る」は「醒めた目で見る」とも書くらしいが、「覚めた」との違いは?
他には何だろう。某所在住物書きはスマホで天気予報を確認しながら、ぽつり呟いた。
目が覚めるような暑さではある。それが続くらしい。秋までに何度「暑い」と言うだろう。
「『目が覚めると』のハナシは、たしか去年『正気から目が覚めると』ってネタで書いたわな」
さすがにそれは今回無理か。物書きはガリガリ頭を掻いて、ため息を吐いた。
で……今回投稿分の物語の引き出しは?
――――――
「体温超えの気温」や「酷暑」、異次元の避暑対策が求められる昨今。いかがお過ごしでしょうか。
せっかく適切に冷ました夜の自室が
目が覚めるまでにガッツリ常温に戻ってしまって
暑さによる寝相の悪さで足をカラーボックスにぶつけた物書きが、こんなおはなしをご用意しました。
前回投稿分につながるおはなしです。
都内某所の某稲荷神社、深めの森の中にあるために少し涼しいその宿坊兼用一軒家に、
神社の近くで熱中症にかかった雪国出身者が、ひょいひょい、担がれ収容されてきました。
熱失神。Ⅰ度の軽症。
ぐったり目を閉じたままの雪のひとは、名前を藤森といい、神社のひととは顔なじみ。神主の娘さんが店主をしている茶っ葉屋さんのお得意様、常連なのです。
「随分、弱っていますね」
美しい髪の店主さん、細い片腕で大の大人を俵担ぎ。涼しい顔してそのまんま、ひょいひょい、ザ・古民家な廊下を歩いて奥のふすまへ。
ふすまには画用紙が1枚貼られていて、そこには桔梗色のクレヨンで、こんな文字が。
『びょうしつ
ねっちゅうしょう てあてちゅう』
「心魂の清い、貴重で善良な参拝者です。しばらく寝かせて、休ませてやりましょう」
部屋の真ん中あたりに整えられた敷布団に藤森を置いて、タオルケットをかけてやると、
店主さんの子供が尻尾振ってコンコンと……
「コンコンと」?
「ねっちゅーしょー、ねっちゅーしょー!」
くぅくくくっ!くわうぅっ!
店主さんの子供はふさふさ尻尾をビタンビタン、かわいい耳をペッタンコ。
「冷やさなきゃ!さまさなきゃ!」
小ちゃな小ちゃな舌でもって、藤森の頸動脈のあたりをベロンベロンに舐め倒します。
なんということでしょう。稲荷神社に住まう茶っ葉屋の美しい店主さんの正体は、人に化ける妙技を持つ不思議な狐だったのです!
そしてその子供も、コンコン、言葉を話す不思議な不思議な子狐だったのでした。
店主さんが細腕1本で大人を担げたのも、子狐がコンコン人語を話しているのも、全部全部、稲荷の狐の不思議なチカラのおかげだったのでした。
「あらあら。そんなに舐め倒しては、目が覚めるまでに首がビチャビチャになってしまいますよ」
「だいじょーぶだよ。これで、冷えるよ」
「塩分と水分補給用の、小鉢と飲み物を用意してきます。それまで一緒にネンネしてやりなさい」
いい子に、いい狐に待っているのですよ。
美しい稲荷のお母さん狐は、コンコン子狐を愛おしく撫でて撫でて、部屋から静かに出ていきました。
「ネンネしない!ねっちゅーしょ、手当てするっ」
すぅすぅ寝息をたてる藤森に寄り添う子狐は、尻尾振ってご機嫌に、首筋舐めて扇風機の風当てて、熱中症患者を看病するお医者さんごっこ。
藤森の目が覚めるまでに、長いことずーっと、小ちゃい舌でベロンベロンしておったとさ。
「多分病院ネタ書こうとしたら、実際に医療に携わってたり、入院・手術等々したことがあったりっつー『リアル』を知ってる人には、多分勝てねぇのよ」
『見てきたように嘘を書き』が理想の俺だけど、やっぱ実際に「それ」に触れた・「それ」を経験したことのあるメリットは、バチクソにデカいよな。
某所在住物書きは19時着の題目を見て、どうしたものかと天井を見上げた。
「病院じゃない場所に病室を持ってくれば、『これは医療ネタではありません』って逃げ道が確保できる気がするんよ。問題はどうやって病室を病院から引っ剥がすかよな……」
何故病院ネタを回避したいかって?そりゃ医療についての無知がバレるからよ。物書きは弁明し、どうにかこうにか物語を組んで……
――――――
去年の今頃のハナシ。 今日も今日で東京は最高37℃予報だけど、当時も相当に酷く暑かった。
雪国出身の先輩が、通勤途中に倒れた。
熱失神。Ⅰ度の熱中症。
比較的軽度な部類であり、症状もだいぶ落ち着いているため、現在稲荷神社敷地内の一軒家の、エアコンがちゃんと効いてる部屋で、安静にしている。
っていうカンジのメッセが、先輩のスマホから私のスマホに、「倒れたひとの発見者です」って前文と一緒に送られてきた。
軽度、失神が軽度?
軽度って頭痛とか喉乾いてくるとか、そういうことを言うんじゃないの?
失神と軽度の2単語が、私にはショック過ぎた。
居ても立ってもいられなくなった私は、メッセ読んですぐに時間休とって、その稲荷神社に駆け込んだ。
そこは思い出の神社だった。
去年の6月28日に、同年7月9日。
今年も色々あった。
ホタル見に行ったり、不思議なおみくじ引きに行ったり、そこの飼い犬ならぬ飼い子狐に、先輩が顔面アタックされたり。
不思議な、とっても不思議な神社だった。
神職さんっぽい服の女のひとにスマホの画面見せて、事情話したら、「それを送ったのが私です」って。「毎度お世話になっています」って。
よくよく顔見たら、先輩が贔屓にしてるお茶っ葉屋さんの店主さんだった。ここが自宅なんだってさ。
「先輩、大丈夫?」
ザ・古民家な一軒家の廊下を案内されて進んでくと、奥の部屋のふすまに、白い画用紙がペッタリ貼られてて、そこには桔梗色のクレヨンで
『びょうしつ
ねっちゅうしょう てあてちゅう』
って、多分書きたかったんだろうな、と思われるサムシングが、ぐりぐりされてた。
「先輩……?」
ふすまを開けてすぐ見えたのは、フカフカしてそうな白い敷布団と、涼しい薄水色のタオルケット。
何かを一生懸命ペロペロ舐めてる子狐と、舐めてるあたりに丁度首振りで風のあたる扇風機。
それからようやく、その子狐が舐めてるのが、すぅすぅ静かに寝息をたてる先輩の首筋だって気付いた。
気化熱。 頸動脈。 太い血管を冷やす。
その3個が頭をよぎった。
子狐がそこまで考えてるかは分からない。
先輩の汗の塩分が欲しかっただけなのかも。
「睡眠不足が原因のひとつ、かもしれませんね」
ぎゃぎゃぎゃっ!ぎゃっぎゃっ!
イヤイヤの抗議みたいに鳴いて暴れる子狐を、両手で抱いて、先輩から引き剥がす神職さん兼店主さん。
「体調のバランスが崩れて、熱中症のリスクが上がる場合があるそうですよ」
塩分補給の食べ物と、水分補給の飲み物ご用意しますから、ゆっくり召し上がっていってくださいね。
ジタジタバタバタの子狐と一緒に、私を案内してくれたそのひとは部屋から出てった。
私は、熱中症と体調不良のことをスマホで調べながら、久しぶりにちゃんと、しっかり眠れてるんだろう先輩が起きるのを、その部屋で待ってた。
「『ところにより雨』、『いつまでも降り止まない、雨』、『梅雨』。雨系のお題が多い中で、『晴れ』のお題はなかなかに新鮮な気がするわ」
テレビでニュースで台風情報等々を確認しながら、スマホで明日の天気を確認する某所在住物書き。
予報では、明日は雨が降る確率の方が低く、「もし」も何も、どうやら晴れる予想のようであった。
あり得るとすればゲリラ豪雨、夕立ちだろうか――どれくらいの低確率で?
「先日は東京近辺等々で酷い雷雨があったし、梅雨明けはアレだっけ、東北南部まで行った?」
明日もし晴れたら、洗濯をしよう。
明日もし晴れたら、暑くなるだろう。
明日もし晴れたら観葉植物が弱るかもしれない。
ところでお題と全然関係ねぇけど、防災用の備えとか何とか、確認しとこうかなぁ。
物書きは文章投稿そっちのけで、備蓄食の賞味期限チェックを初めてしまい……
――――――
最近最近の都内某所、某アパートの一室の、部屋の主は付烏月、ツウキという名前で、
夜、冷蔵庫の製氷室から製氷皿を取り出し、カチコチに整列した青と紫と空色のブロックを見て、深く、満足して頷いた。 よく凍っている。
『さーて。試作試作……』
寒色系のブロックアイスは、すなわち、かき氷のシロップで着色と味付けをした氷であった。
スマホの天気予報によれば、東京の明日の最高気温は36℃で、猛暑日確定。場所によっては体温以上、微熱程度の暑さになるという。
明日、もし晴れたら、
直射日光によって、気温以上の体感となるだろう。
その中を歩き、職場に向かうのだ。
かき氷シロップで涼しげな氷を作って、そこにキンキンに冷やした強炭酸水を注ぎ、水分補給と暑さしのぎに利用してはどうだろう?
紫、青、空色。順にプラスチックグラスに詰めて、
トプトプトプ、しゅわしゅわ、さわさわ。
低価格店舗で購入した強炭酸水を注いでいく。
小さな泡の上がる音、弾ける音は、そこそこ涼しげで、なにより付烏月の耳に心地良かった。
『味はどうかな?』
シロップアイスをかき混ぜて、突っついて、少し溶かして、口をつける。強炭酸水を喉に流し込む。
『……にがい』
結果としては失敗。
おそらく、「強」炭酸水であることがマズかった。
つまりそっちの味がバチクソに残っていたのだ。
――と、いうことがあった翌朝。付烏月の職場。
「付烏月さん、ツウキさん、どしたの。バチクソしょんぼりしてるよ。何かあったの」
「カクカクしかじか。カーカー」
「カクシカ言われても分かんないよ」
「飲む?イッパツで理由分かるよん」
明日、もし晴れたら、気温以上の体感になる。
付烏月の予想どおり、その日の東京は酷い暑さ。
カラフルアイスと炭酸水によってノスタルジックサイダーを持ち込もうとした付烏月であったが、
シロップで色付けした氷こそ成功したものの、
試作に使用した強炭酸水は苦みが強く、では水で割ればどうだと試行すれば、それはただの甘い水。
要するに、失敗したのだ。
己のデスクにアゴをのせ、深い深いため息を吐き、
そして、コテン。弱々しい視線を己のコップに向けて、またひとつ、小さなため息。
苦み除去の試行錯誤に打ちのめされたのである。
「アルコール入れれば『ちょっと辛口の、甘さもあるやつ』でイケる気がする」
「勤務中の飲酒厳禁」
「多分塩系のおつまみに合うよ。ジャーキーとか肉巻きアスパラの塩味とか」
「今日の俺のお弁当、ウィンナー」
「合う!絶対合う!
食用アルコール無い?」
「だから。勤務中の飲酒厳禁」
自作のエモエモサイダーって、難しいねぇ。
付烏月は小さく小さく首を振り、顔を上げる。
視線の先では彼の同僚が、塩分補給用に持参しているというポテトチップスをサカナに、「ちょっと辛口の、甘さもあるやつ」を楽しんでいる。
気に入ったようだ。 それはそれは、なにより。
「泡ほしい。泡無理かな」
「ビールじゃないんだからさぁ……」
明日も、どうせ晴れるだろう。
付烏月はその日何度目かのため息を吐いて、自作サイダーに適した炭酸水は何だろう、どれだろうと、頭の片隅で考察しておったとさ。
「だから、一人で『居たい』、『痛い』、『遺体』。まぁ普通に考えりゃ『居たい』だろうな」
ひらがな表記は「漢字変換」で色々アレンジできるから便利よな。某所在住物書きはスマホで「いたい」の変換候補を見ながら、「居たい」が良いか「痛い」が物語を組みやすいか、思考していた。
去年は「だから一人で、痛いのに耐えている」の物語を書いた。……では今年は?
「一人で居たいのは、ぼっち万歳ストーリーよな。
痛いハナシは痛覚的にタンスに指ぶつけたとか?
痛車痛スマホ、一人して痛い思い、痛いこと……」
一人して痛いことをしているハナシとか?物書きは言いかけ、身に覚えがあり、一人で勝手に悶絶。
「昔、ガキの頃、どちゃくそにメアリー・スーな二次創作ばっか書いてた、な……」
だから、物書きは一人で痛い古傷に耐えている。
――――――
一人で居たいのは喧嘩した日の夜、一人で痛いのはタンスや机と足の小指との単独事故。
先日寝落ち直前におでこにスマホを落としまして、
ゆえに、一人で痛い思いをしていた物書きが、今回はこんなおはなしをご用意しました。
最近最近の都内某所、某アパートに、雪国出身者がひとりで住んでおり、名前を藤森といいました。
この藤森の部屋に、何がどうバグって現実ネタ風の物語に忍び込んだか、週に1〜2回、
現実ネタには有るまじく、不思議なお餅を売りに、なんと不思議な子狐が、コンコン、やって来るのです。
コンコン子狐は稲荷の狐。近所の神社のご利益豊かな、ありがたいお餅を売りに来ます。
ひとくち食べれば心に溜まった毒を落としてくれる、心も身体もお財布も喜ぶコスパ抜群なお餅を、
藤森の部屋に同僚も後輩も、友人も誰も居ないとき、コンコン、売りに来るのです。
その日も土砂降り大雨の降りしきるなか、子狐が藤森のアパートにやって来ました。
「お盆のおだんご、ごよやく、いかがですか」
葛で編んだカゴの中のお餅と、クレヨンで一生懸命ぐりぐり描いたと思しき手作りパンフレットを、しっかり雨から守った子狐。
だけど自分はぐっしょり濡れて、まるで洗濯直後のぬいぐるみです。
「焼きもち、へそもち、餡かぶり、おはぎもあるよ」
雨に体温を持っていかれて、少しぷるぷる震える子狐は、なんだかんだで根っこの優しい藤森に、タオルで包まれて優しくポンポン、叩き拭かれておりました。
「今予約とって、スケジュールは間に合うのか」
忙しい仕事と、季節以上の異常な気温のせいで、すっかり忘れていた藤森。
そろそろお盆です。藤森の故郷では、もうすぐ夏の大きな祭りが、あっちこっちで始まるのです。
「予約の集計と、材料の調達と、下ごしらえも必要だろう。大丈夫なのか?」
狐ゆえに、たとえ五穀豊穣を呼び寄せる恵みの雨とて、濡れるのは好かないだろうに。
それでも商売魂たくましく、季節ものの餅の予約をとりに来るのは、なんともまた、微笑ましい。
土砂降りの未だ止まぬ外を、防音防振設備バッチリな、ほぼ静音の部屋から眺めて、
藤森は子狐を、気遣ってやりました。
「キツネのおとくいさん、おとくいさんひとりしか、いないもん。へーきだよ」
「そのびしょ濡れのせいで、予約とって帰った途端、熱出して、風邪でも引いたらどうする」
「キツネ、人間の風邪ひかないもん」
「そうじゃなくてだな」
「たんと買ってくれるの?いっぱいいっぱい、間に合わないくらい、どっさり買ってくれるの?」
「そうじゃない」
「ごよやく、ありがとうございます」
「あのな子狐」
去年の3月3日に初めて会ってから、随分稲荷の商売人、商売狐として図太く賢く、成長したものだ。
藤森はため息を吐いて、ポンポン、拭いてるタオルを新しいものに替えてやります。
「……ひとまず、何か、温かいものでも飲むか?」
いまだにプルプル、寒さで震える子狐は、「温かい」の単語に、尻尾をブンブン、振り回しましたとさ。
「あったかいもの!おしるこ!」
「小豆が無い。雑煮なら、可能だが」
「おぼん雑煮!
ごよやく、ありがとうございます」
「そうじゃないと言っている」
「おもちはいくつ、ごよーいしましょう」
「子狐。ひとの話を、まず聞きなさい」
「ふぇっ、へっッ、くしゅん!」
「そらみろ。くしゃみが出た……」
ポンポンポン、ぽんぽんぽん。
子狐がこんな雨の日に、たったひとりで藤森のお部屋へ行くと、藤森がふわふわタオルでもって、子狐を優しく包んで、軽く叩き拭いてくれます。
藤森の優しい手も心も、温かい魂も、ぜんぶ独り占めできるのです。
だからコンコン子狐は、お得意様は一人だけのままでいたいのかも、別にそうでもないかも。
そんなアパートの一室のおはなしでした。そんな都内某所の夜の、おはなしでした。 おしまい。