「『怪物と戦う者は、その過程で、自分も怪物とならないように注意せよ』。フリードリヒ・ニーチェ、『善悪の彼岸』だな」
で、この後『こちらが深淵を覗くとき〜』と続くわけだ。某所在住物書きは自室の天井を見上げ、ため息を吐き、目を閉じた――途方に暮れているのだ。お題の文章が進まないのである。
「善悪。適法違法。我慢できるか衝動で動いちまうか。加齢に伴う理性のブレーキの効き具合」
ネタが無いワケではないのだ。物書きは弁明した。
「書き進めたら全部バチクソ重いハナシになってさ。わざわざ大型連休の、せっかくの初日に、『コレ、読みたいと思うか?』っていう……」
後日良いネタできたら、今の投稿分消して差し替えればいいか。物書きは妥協し、再度息を吐いて……
――――――
最近最近の都内某所。この物語の主人公を藤森というが、今回のお題がお題で、こんな夢を見た。
完全に非現実的な夢である。お題がお題でなければ、ゲームも娯楽小説もドラマも、漫画すらも疎い藤森には、見る余地も可能性も一切無い夢である。
舞台はどこか、森の中の廃墟。光さす広いエントランス。真ん中にぽつんと2名。ひとりは床に倒れ伏し、ひとりはその隣で、見下ろし、突っ立っている。
『おのれ、おのれ。いまいましい』
倒れている方が弱々しく嘆いた。藤森にそっくりな顔をして、己を見下ろす相手を睨みつける余力も無い。
『この体だけでは飽き足らず、400年見守り育ててきた森まで、私から奪うのか』
遠くから聞こえるのはチェーンソーと重機の駆動音。それから大樹倒れる末期の悲鳴。
『エネルギー確保の大義を振りかざし、利益をむさぼる人間ども。数年後数十年後、私の恨みと怒りと悲しみと、嘆きを知るがいい』
けほっ、 げほっ。
藤森モドキは小さく、それはそれは小さく咳込んだ。
……と、いう状況を、遠い場所からシラフの藤森が、いわゆる事務机とパイプ椅子の特別席で、
ポカン、の3字が相応しかろう表情で見ている。
なんだこれ。誰だアレ。
私モドキを見下ろしてる男は、私の親友の宇曽野に随分似ているが、何がどうして、こうなったのだ。
セリフの言い回し的に私モドキが悪役で宇曽野モドキが善サイドと見たが、それで合っているのか。
隣のパイプ椅子にちょこん、おすわりの子狐が、器用に前足を使って、いわゆるドッキリに使われるような横看板を藤森に見せた。
【しゃーないのです。
『善悪』とか、難易度EXハードなのです】
くるり。看板が裏返る。
【①低糖質ダイエットの善と悪
②過去の恋愛トラブルを題材にしたシリアス
③GW直前、モンスターカスタマーのエピソード
④前頭前野:善悪つーより理性のブレーキの問題
⑤『善悪の彼岸』をネタにSAN値直葬物語
⑥どっちも善でどっちも悪に見える夢ネタ
↑
GW初日に読んで胃もたれしないやつ、どれ?】
ぶっちゃけ①か④が無難だったのでは、という指摘はこの際ご了承願いたい。
『恨むなら、俺だけを恨め』
藤森のポカンにハテナマークが5個増えても、お題がお題ゆえに、夢は続く。
ぐったりの藤森モドキにかわり、その藤森モドキを見下ろす男がポツリ言った。
『この計画の最終決裁を通したのが、俺だ。最大限、環境と生態系には配慮する。可能な限り希少動植物の保護も避難もする。
ただ、ここに発電所ができれば、2ヶ所の山と4ヶ所の平原湿原が、伐採や開発から守られるんだ』
許せとは言わない。お前とこの森の犠牲を無駄にはしないし、お前の恨みも怒りも俺が引き受けるから。
藤森の親友モドキの、独白にも似た言葉に、
観客席っぽいパイプ椅子に座る藤森は、ただ困惑と困惑と困惑の視線を向け、
隣でおすわりする子狐は器用に前足を使い、号泣の素振り。【安心してください。夢でフィクションです】
そりゃ夢だろう。フィクションだろうよ。
藤森はため息を吐くばかり。
私、人外だったことも、400年生きたことも、妙な森の中の廃墟在住だった事実も無いよ。
ただひとりを置いてけぼりに、藤森モドキと藤森の親友モドキの物語は進んで、終わって。
朝目を覚ますと、大きく首をかしげて一言。
「……は?」
何故あんな夢をみたのか、結局悪役と善サイドはどっちがどっちだったのか、考えておったとさ。
「『星に願いを』、『星への願い』みたいな花言葉の花があるのは知ってる。 ニラっていうんだが」
あの花が咲くのはたしか夏だったな。
某所在住物書きは白い星型の花をスマホで画像検索して、カキリ、小首を鳴らしてため息を吐く。
素直に夜空の流れ星に願いを託す物語を書いたところで、自分以上の傑作は多々在るのだ。
競合せぬよう、他のアイデアで挑みたい。
「例の『衛星列車』なんかは、遅く流れる流れ星ってことにして、願いをってのは無理あるかな」
物書きはふと、検索語句を切り替える。
「一応、今年も、打ち上げは」
やってる、のか?どれが信頼性の高い情報だ?
スワイプにスワイプを重ねて、呟きックスの投稿やら何やらを探すも、「少なくとも、今年も打ち上げは行われている」程度の情報しか確証が持てず……
――――――
流れ星といえば、夜が定番ではありますが、ひねくれ屁理屈でこんなおはなしはいかがでしょう。
最近最近、桜散り時の都内某所。
某稲荷神社敷地内の一軒家に、人に化ける妙技を持つ化け狐の末裔が、家族で仲良く暮らしておりました。
その家族の中の末っ子は、お星様がとっても大好き。敷地に芽吹き咲く花が、星の形に似ていれば、それを星の木星の花と、呼んで愛でて尻尾で囲って、一緒にスヤスヤお昼寝します。
桜も見れば5枚の花びら。子狐の目には「星の木」で、散る花びらは流れ星。桜吹雪は流星雨です。
桜散り時の稲荷神社。
狐の神社にソメイヨシノはありませんが、代わりに大きな大きな、通称「ぼっち桜」というのがあります。
その日は風がよく吹いて、コンコン子狐の視界いっぱいに、「流れ星」が舞い飛びました。
「お星さま、お星さま!」
数日後には葉桜の、寂しい未来もすっかり忘れて、子狐はぼっち桜のまわりをくるくるくる。
「ながれ星が、いっぱいだ!」
跳んで、はしゃいで、駆け回って、
いくつか形の良いのを束ねてキレイな頭飾りにして。
桜の最後を体いっぱい楽しみます。
「ながれ星いっぱいで、お願い事が足りないや!」
流れ星に願いを託せば、託した願いがいつか叶う。
コンコン子狐、子狐なりにちょっと賢いので、人間たちの古くからの、信じちゃいないけどささやかな、祈りの形を知っています。
子狐は桜の流れ星に、あれやこれや、それや何やら。たくさんの子狐らしい願い事を託します。
「お星さま、願いを叶えてくださいな、いっぱい叶えてくださいな」
今年もおいしいお米が、いっぱい育ちますように。おいしいおいなりさんとお揚げさんが、いっぱい食べられますように。それからそれから、えぇとそれから。
小さなおててで花びらを集めて、この流れ星にはこのお願い、その流れ星にはそのお願い。
子狐は幸せで小さな欲張りを、おててが桜の流れ星でいっぱいになるまで、吹き込み続けましたとさ。
桜の花を星に見立てた、散る流れ星と星好き子狐のおはなしでした。
細かいことは気にしません。だいたい童話の狐は話をするし、リアルガン無視でファンタジーなのです。
しゃーない、しゃーない。
「そういや最近、ルール作家、あんまり見かけなくなった気がするんだが。ほらアレ。エセマナー講師」
今頃どうしてんだろうな。それとも見かけなくなったの、気のせいだったりすんのかな。某所在住物書きはニュースをぼーっと観ながら、ランチを食う。
「自作のルールで誰かを殴るとか、殴ルーラーでもあるまいし、某ソシャゲの中だけにしとけよとは思う。……まぁ個人的な意見と感想だけどさ」
ところでルールとマナーって云々、モラルとの違いは云々。物書きは味噌汁をすすり、ため息をついて……
――――――
私の職場で、「新人研修」という名の参加拒否可能な1ヶ月旅行が、今年も始まった。
毎年日本国内の、どこか少し安めのお宿に団体・長期間予約をかけて、格安でその土地のグルメ・アクティビティ・申し訳程度の風土伝統に触れる。
ビジネスマナーや接客態度、座学等々のレクチャーはオマケだ。誰も覚えてない。
今年の行き先は雪国。ギリギリ残ってる桜と壮大な花吹雪を楽しむ予定らしい。
参加したくない場合は、職場のグルチャなりDMなり、匿名希望なら総務課の誰かに、回答期限までに「参加しません」って伝えるのがルール。
約1名、加元っていう「新人」が、「お知らせなんて見てません」ってゴネて、結局参加したらしい。
キャンセル料は自腹。それもルール。
お知らせは先月から流してるんだから、自業自得だ。
なお、1週間だけウチの支店に体験勤務してる新卒ちゃんは、団体行動が酷く苦手らしくて、不参加。
研修で座学とかレクチャーとかを受けない代わりに、1ヶ月、ログインミッションみたいな宿題をなるべく毎日こなすことになる。
同じ部署の2人以上と何か話をするとか。
同じ部署の誰かの仕事をひとつ見学するとか。
あるいは、何かひとつ、仕事を教えてもらうとか。
新卒ちゃんは真面目に自分でノートなんか作って、
通称「教授」、ウチの支店の支店長に、
最初に話かけたのがマズかった。
「つまり!『世の理不尽に対する説明』!
これが、私が今まで説明してきた物語の核なのだ!」
昔民俗学の「教授」をしてたらしい支店長。
「何故、私達の生きる世界はこうも苦しいことばかりなのか。何故私達は他者から傷つけられ続けなければならないのか――これは、心弱き、立場弱き、社会的弱者へ向けた、『諦め』という名の処方箋なのだ!」
どこからともなくホワイトボードをガラガラガラ。
マーカー3色をフルに使って、今回の研修場所で昔々、仏教や神道がやってくる前に信仰されてた形跡があるっていうハナシを、
バチクソ、これでもかってくらい、熱弁してる。
「要するに、若者よ、『しゃーない』の心を持て!」
は……、はぁ……。
新卒ちゃんは目が完全に点々。板書の手も止まって、ただただ教授の「講義」に対して、口をポッカリ開けたまま、息だけが漏れてる。
まぁそうなるよね(賛同)
そうなるよね(同情)
「付烏月さん、ツウキさん」
新卒ちゃん同様おくちポッカリの付烏月さんの、肩を叩いて救援要請を出したけど、
「俺附子山だよ、後輩ちゃん」
付烏月さんはやっぱり、おくちポッカリのままで、
「あの熱量をさ、俺、止められるかなぁ……」
戦う前から、敗北宣言なんかしちゃってる始末。
新卒ちゃんが、バチクソな困り顔でこっちを見た。
『新人研修に参加しないひとは、1日2人以上、同じ部署のひとと話をする』。
それがルール。宿題。1ヶ月のログインミッション。
新卒ちゃんは、それを真面目にやろうとしただけ。
相手を間違えちゃったのだ。
「付烏月さん、今日、いつもの自家製お菓子は」
「ブシヤマだよん。一応、研修旅行の行き先の伝統お菓子モドキ、作ってきたよ」
「早めにおやつタイムにする?ツウキさん」
「まだ仕事始まって1時間だよ後輩ちゃん」
「それじゃ、お得意の脳科学講義やって。手短に」
「今そんなことしたら、俺、支店長に民俗学的にバチクソ抗議されちゃうよ。恨まれちゃうよ」
「どーする?」
「『しゃーない』」
ゴメンね。私達も助けられない。
すがるような目の新卒ちゃんに、申し訳ない視線で返事をすると、「ですよね」みたいな頷きを数回して新卒ちゃんはホワイトボードに向き直った。
ご愁傷さまとは思う。
でも世の理不尽を知るのは大切だと思う。
あとでこっそり、私と付烏月さんと新卒ちゃんでお菓子を食べたけど、新卒ちゃんの感想としては、
「多分大事なこと、だったんだろうけど、私じゃ理解が難し過ぎた」だった。
「心模様、こころもようねぇ……」
感情表現をメインとして書けばお題クリアってこと?某所在住物書きはアプリの通知画面を眺めて、今日も天井を見上げた――途方に暮れているのだ。
だって去年も「心模様」の「何」を書くべきか悩みに悩んで、結局「人間の心の模様を取り出して鑑賞して食っちゃう化け物」なんてネタを書いたから。
苦し紛れである。エモは不得意なのだ。
「まぁ、書き続けていけば、訓練にはなるだろ」
物書きはため息をつき、再度通知を見る。
心模様である。どんな感情描写が良いだろう。
――――――
前々回から続いてるっぽい物語も、一旦ひと区切り。
最近最近のおはなしです。都内某所のおはなしです。
某職場の某室で、緒天戸という偉いオジチャンが、今年の3月から周辺雑務を任せている部下の藤森と一緒に、明日から必要になる荷物の確認をしていました。
新人研修です。1週間だけ、それに同行するのです。
場所はギリギリまだソメイヨシノが咲いているか、散ってるか、なんなら遅咲きあたりが見頃かもしれない雪国。グルメや自然に癒やされてくる予定です。
「お前はこれまでどおり書類を仕分けて、必要なメール送って、客に美味い茶を出してくれりゃ良い」
電話対応や緊急連絡は全部総務課に回せ。
藤森からお土産リストを受け取り、緒天戸が言いました――孫がいるのです。美味を買ってきたいのです。
「で、お前の……元カレ?元カノ?どうなった?」
「3月に入ってきた、新人の加元ですね」
『元カレ元カノ』。妙な単語がひとつ混じっている。
敢えて突っ込まず、藤森、答えました。
「締め切りまでに出席の返事がありませんでした」
よって、「参加」ですね。 情報を付け足し、ため息を吐く藤森は、それでも少し穏やかな表情。
まるで、一時の平穏平和を享受できる今日の心模様を、そのまま表しているかのようでした。
「さしずめ、お前の桜もようやく満開ってとこか」
「はい?」
「今日のお前の心模様。1ヶ月、元カレだか元カノだかから自由になれるワケだからな。
で、附子山、お前の分の土産は何が良い?」
「今は『藤森』です。……お気遣いなく」
――で、場面を移しまして、同じ職場、別部署です。
顔と声だけじゃ男性だか女性だかちょっと分かりづらい中性の細身が、自分のデスクで朝っぱらから、バチクソ不機嫌にしておりました。
名前を、加元といいます。元カレ・元カノの、かもと。安直なネーミングですね。
「嘘だ……附子山さん……ケッコン……?」
不一致、解釈違い、カイシャクチガイ。
デスクで頭を抱える加元、今日はどうやら荒れ模様。
それもそのはず、昨日昼休みに寄った支店で、驚愕の情報を入手したのです。
『ウチの支店に「附子山」という職員は居ないが、
「旧姓附子山を自称する職員」なら居る』
加元はこの「附子山」と、恋人としてのヨリを戻したくて、給料が低くなろうと待遇が少し悪くなろうと、3月から今の職場に転職してきたのです。
本店の侵入可能な場所は全部行って、複数ある支店も全部回って。そしたら最後の最後で「旧姓」です。
姓が変わるって、だいたい、結婚ですよね。
「そっか、だから去年から、『附子山なんて職員は居ない』、だったんだ、附子山から改姓してたから」
ポツポツポツ。加元は午前中、仕事もあんまり手につかず、ただただ「旧姓」の情報に絶望していました。
「おい加元。タスク、溜まってるぞ」
あー、はいはい。「支店の自称旧姓附子山」ね。
加元の上司、主任の宇曽野は、荒れ模様な加元を見てニヤリ、含み笑い。加元が受け取った情報のウラを、カラクリを知っているのです。
まぁ、もちろん加元にはそんなの、ナイショですが。
「明日から新人研修だろう。早く片付けておけ」
何も知らないフリをして、何も分からぬフリの表情と心模様で、宇曽野は内心だけ、また笑いましたとさ。
「あしたから、……新人研修?」
「先月、グルチャで送られてきてた筈だぞ。『1ヶ月新人研修のお知らせ』。泊まりのほぼ旅行でグルメと観光してくるやつ。今年は春の雪国だ」
「え、見てない、明日は昨日行った支店に、」
「『不参加の場合は4月19日までに申し出てください。未読・申し出ナシの場合は参加とします』。
お前、19日までに『不参加』出してないだろ?」
「そんな……!」
「元恋人探しは来月までお預けだな。まぁ諦めろ」
「附子山さぁぁぁぁん!!」
「『間違いだったとしても』。誤認逮捕とか?料理の注文の間違いとか?マークシートテストの回答がズレたりとかも、アリっちゃアリか?」
去年は二次創作の解釈がどうとかでハナシを書いた。
某所在住物書きは「間違い」のシチュエーションを探しながら、しかし意外と自分ひとりでは思いつかず、結局ネットにヒントを求めている。
加齢のせいでネタの引き出しが少ないのだ。
「一人旅で、道間違えたことはあったわ」
エモネタを不得意とする物書き。最終的にたどり着いたのは己の経験談である。
「間違ったけど、穴場な公園にブチ当たってさ。なかなかキレイだったし満足だったよ。ぼっちだけど」
別に寂しくない――さびしくない。
――――――
前回の投稿の続きモドキ、最近最近の都内某所、某稲荷神社近くの「稲荷の茶っ葉屋さん」、お得意様専用の完全個室な飲食スペース。
夜である。看板猫ならぬ看板子狐が、狐型の配膳ロボットを背後に1台オトモにつけて、トッテッテ、チッテッテ。ゴキゲンに廊下を歩いている。
通路最奥の部屋に着いた。
コンコン子狐は器用に前足で、個室のふすまを開け、座っている客の膝に突撃し、秒でその上に乗っかって尻尾をブンブン。腹を見せた。
個室に居る人間は2人。
子狐にコンコンアタックされている方を藤森、
そうでない方を付烏月、ツウキという。
「あるぇ。料理、間違ってる」
くぁー、くわぁー!カカカッ、くわぅぅ!
甘え鳴きまくる子狐の相手をしている藤森の代わりに配膳ロボットからトレーを受け取る付烏月。
己の頼んだ方ではない料理が届いたため、店員呼び出しボタンを探している。
「多分、あなたが迷った方、食べたかった方だ」
どうせ金銭面を理由に諦めたんだろう。藤森は淡々と付け足して、箸入れのフタを開けた。
「この店の店主のイタズラさ。あなたが注文で迷って、『こっちの方が安いから』とかで妥協すると、たまにそれに、店主が気付くんだ。
届いた料理がたとえ間違いだったとしても、多分それは、あなたが実際に食べたかった方だ」
「部屋に監視カメラ?注文パネルにAIとか?」
「いいや。何も。一切」
「子狐ちゃんがリーク?」
「子狐が来るのは配膳の時だ。注文前ではない」
「藤森と店主さんがグル」
「私もイタズラされる側だ」
「ちなみに、何と何で、」
「春の豪華山菜御膳5550円と茶漬け580円」
「……加元がウチの支店に来たよ」
コンコンコン、こやーん。
料理も飲み物も届いたところで、付烏月が話を切り出し、スマホをテーブルの上へ。
加元は藤森の元恋人。
去年藤森からやんわり縁を切られ、しかしヨリを戻したくて、先月藤森の勤務先に就職してきた。
「俺のデスクに、ペットカメラ、仕掛けといたの」
付烏月は言った。スマホのディスプレイの中では、中性的な細身が支店長と談笑している。
「昼休みに寄ったみたい。お前の後輩ちゃんは俺が昼飯で外に連れ出してたから、会ってないよ」
座席表を確認して、二度見して、小さく首を振りため息を吐く中性の唇が、「ぶしやまさん」、と動く。
附子山は藤森の旧姓。
どの店、どの部署に居るか、探しているのだ。
「間違いだっただろうか」
今度は藤森がため息を吐く番。
「加元さんにもっと、キッパリ、『もう愛していない』と言っていれば。『後輩や親友に迷惑がかかるから、会わないでほしい』と伝えていれば」
そうすれば、今こうやって、あなたや後輩に苦労をかけることも、なかったのに。
再度息を吐く藤森は、視線を落とし、ゆえに子狐と目が合って、べろんべろんべろん。鼻を舐められる。
「間違いだとしても、必要なことだとは思うよん」
応じる付烏月はべろんべろんを面白がって、藤森の困り顔を見ながら、手毬稲荷をつまむ。
「ああいうタイプのひとって、他人から何言われようと、自分で納得しなきゃ引き下がらないから」
お前が「去年」の「11月13日」に何と言っていようと、何を拒絶しようと、結果は一緒になってたよ。
そう付け足して、ただ穏やかに笑った。
「……ところで藤森」
「なんだ」
「俺、これ、どっちで支払うの?俺自身が注文した方の額?店主さんが意図的に『間違えた』方の額?」
「注文履歴を見れば分かるだろう」
「おっふ、……はい、………はい……」