かたいなか

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9/13/2023, 3:52:32 AM

「そうだ。恋愛系も、お題の常連だったわ」
「初恋の日」、「恋物語」、「失恋」、それから「本気の恋」。「恋」の字がつくだけでも4回目。
お前とも長い付き合いになったと、某所在住物書きは今回の題目の、特に「恋」の字を見た。
「愛」も含めれば「愛を叫ぶ。」に「愛と平和」、それから「愛があれば何でもできる?」の7回目。
今後、更に増えるものと予想される。

「……そういや『本気の恋』、『愛があれば』とは言うけど、『本気の愛』とか『恋があれば』とかは、あんまり言わない気がするわな。なんでだろ」
そもそも「本気の恋」の反対とされる「遊びの恋」は、本当に「恋」であろうか。
物書きは首を傾け、黙り、視線を下げた。

――――――

昔々のおはなしです。まだ年号が平成だった頃、8年9年くらい前のおはなしです。
都内某所に、4年ほど前上京してきた珍しい名字の雪国出身者が、ぼっちで暮らしておりまして、つまり附子山というのですが、
田舎と都会の違いに揉まれ、打たれ、擦り切れて、ゆえに厭世家と人間嫌いを発症しておりました。

異文化適応曲線なるカーブに、ショック期というものがあります。
上京や海外留学なんかした初期はハネムーン期。全部が全部、美しく、良いものに見えます。
その次がショック期。段々悪い部分や自分と違う部分が見えてきて、混乱したり、落ち込んだりします。
附子山はこの頃、丁度ショック期真っ只中。
うまく都会の波に乗れず、悪意に深く傷つき、善意を過度に恐れ、相違に酷く疲れ果ててしまったのです。
大抵、大半の上京者が、大なり小なり経験します。
しゃーない、しゃーない。

「附子山さん!」
さて。
「ケーキが美味しいカフェ見つけたの。行こうよ」
そんなトリカブトの花言葉発症中の附子山に対して、まさしくハネムーン期真っ最中と言える者が、附子山と同じ職場におりました。
加元といいます。元カレ・元カノの、かもと。未来が予測しやすいネーミングですね。

「何故いつも私なんかに声をかける?」
絶賛トリカブト中の附子山は、「人間は皆、敵か、まだ敵じゃないか」の境地にいるので、加元を無条件に突っぱねます。
「あなた独りか、他のもっと仲の良い方と一緒に行けばいい。何度誘われようと私は行かない」
加元は附子山の、威嚇するヤマアラシのような、傷を負った野犬のような、誰も寄せ付けぬ孤高と危うさと痛ましさが大好きでした。
なにより附子山のスタイルと顔が、加元の心に火を付けたのでした。

このひとが、欲しい。
このひとを身につけたい。
恋に恋する加元にとって、この所有欲・独占欲の大業火こそが、すなわち本気の恋でした。

「だって、附子山さん、いっつも何か寂しそうな、疲れてそうな顔してるんだもん」
己の声、言葉、表情それら全部を使って、附子山の傷ついた心に、炎症を起こした魂に、
ぬるり、ぬるり、加元は潜り降りていきます。
「美味しいもの食べれば、元気になるよ。一緒にカフェ行こうよ」

それは、表面的には附子山をいたわり、寄り添う言葉に聞こえますが、
奥の奥の最奥には、獲物の心臓に手を添える狩猟者の欲望がありました。
そして悲しいかな、附子山は加元の言葉の、奥の奥に気付くことが、まったく、できなかったのです。

「……あなたが分からない」
何度突っぱねても、どれだけ拒絶の対応をとっても、こりずに優しく言葉の手を伸ばしてくる加元に、
ぽつり、怯えるように、少し懐いてきたように、でもまだ相手を威嚇するように、附子山は呟きました。

この数ヶ月後、加元は望み通り附子山を手に入れ、
しかし「実は附子山、心の傷が癒えてみたら、自然を愛する真面目で心優しいひとでした」の新事実発覚で地雷級の解釈違い。ショック期が堂々到来します。
「アレが解釈違い」、「これが地雷」、「頭おかしい」と旧呟きアプリに愚痴を投下していたら、
あれや、これや、なんやかんや。
元カレ・元カノの加元の名前どおり、プッツリ、附子山の方から縁切られましたとさ。
しゃーない、しゃーない。

9/12/2023, 4:56:17 AM

「ひとつのお題に対して、本採用ネタひとつ、没ネタ複数出るとするじゃん。その没ネタが、数日先数ヶ月先の別のお題で使えるかもしれねぇから、没ネタだろうとメモ帳アプリに全文保存しといてるわ」
書く習慣のアプリ入れてから、もう195日だとさ。1年の半分とっくに過ぎたのな。ポツリ言う某所在住物書きは、記念日アプリ内のカレンダーを見詰めながら、そこそこに感慨深そうであった。
「前回投稿分なんて、完全にそれよ。元々『裏返し』の没ネタだったんだが、『喪失感』のお題用に加筆修正して、昨日投稿したワケ」

「胸の鼓動」と「胸の高鳴り」とか、「澄んだ瞳」と「安らかな瞳」とか、類似のお題が結構多いから、たまに便利よな。物書きは補足し、最後にまたポツリ。
「特に空ネタ雨ネタ星ネタあたり、類似が再度出やすい、気がするでも、しないでも……」

――――――

職場の先輩が、避難先の宇曽野主任の家から先輩自身のアパートに戻ってきたらしいから、行ってきた。

「職場の方には、来週から復帰する予定だ」
たった1週間程度しか会ってないのに、すごく久しぶりな気がする。
「それまでは、まだまだリモートワークだな」
先輩が、先輩の親友の家に避難したのが8月の最後だったから、カレンダーとか8月のままなのかな、
とか気になって、部屋中見渡したけど、
よくよく考えてみたら、先輩の部屋には、「無駄な物がバチクソ少ない」。スマホで事足りるカレンダーなんて、あるワケがない。
無くても生活に困らない物なんて、先輩がいっつも「ほうじ茶製造器」って呼んでる茶香炉と、私が8月5日頃にあげた、屋外への騒音対策として部屋の中に吊ってる、白と青と紫の花の風鈴くらい。

「で、今日のご用件は?昼飯のご相伴か?」
今日明日にでも、部屋を引き払って夜逃げしようと思えば逃げられる。
それが、家具の極端に少ない、先輩の部屋だ。

「先輩に、ドチャクソ良いニュースがあって」
「『良いニュース』?」
「加元さんが出禁になった」

「できん?」

「先輩が宇曽野主任の家に避難して、リモートワークに入ってから、何度か来てたの。『附子山さんに取り次いで』って」
『加元さんが出禁』。
私の持ってきた情報に、先輩は目を丸くした。
「あれからまた来たのか?」
「朝晩って、1日に2回来たこともあったよ」
「はぁ……」
加元さんっていうのは、8年前、先輩の心をズッタズタのボッコボコに壊した人だ。
「ウチに『附子山は』、ホントに、居ないじゃん。なのに何度も『附子山は、居まぁす』って言うじゃん。居ない人に会わせろ会わせろって来るから、業務に支障が出るじゃん」
昔「附子山」だった先輩は、「藤森」に名字を変えて、8年間ずっとこの人から逃げ続けてきたけど、最近職場がバレちゃったのだ。

途端に加元さんが来店マラソンを始めた。
居もしない「附子山さん」とヨリを戻したくて。
あるいは、自分の目の前から勝手に消えた「附子山さん」に何か制裁がしたくて。
執念執着強い人って怖い(こわい)

「で、あんまり1週間のうちに何度も業務が妨害されるから、『本当にすいませんけど、もう来ないでください』ってハナシになっちゃった」

「そうか」

そんなに何度も、何度も来ていたんだな。
ぽつり言う先輩の顔は、加元さんがもうウチに来ないって情報に、あんまり喜んでないみたいだった。
目を細めて、視線を下げて、口をかたく結んでる。
「……情報ありがとう。近いうちに、久々に何か食いにでも行くか」
予定確認のために、スマホのカレンダーを呼び出す先輩は、「加元さんの脅威が1個消えた」ってお祝いのランチかディナーより、その先の先の先を、頭の片隅で考え続けてるみたいだった。

9/11/2023, 5:27:44 AM

「喪失とは直接関係無いだろうけど、6月3日4日頃のお題が『失恋』で、4月18日19日あたりが『無色の世界』だったわ」
「失恋」はそのまま失恋話書いて、「無色」は「むしき」って仏教用語があったから、それに絡めたわな。某所在住物書きは過去作を辿り、他に喪失系のネタを探し回ったが、その努力は徒労のようであった。

「『喪失感とは』でネット検索すると、誰か亡くなった前提の記事が上位に来るの。
『喪失感 脳科学』で検索すると失恋が上位よ。哀悼全然関係ねぇの。あとはガチャとか……?」
うん。ガチャの満たされない感は、バチクソ分かる。
物書きは己の過去の過去を想起し、ため息を吐いた。

――――――

ちょっとだけ昔、1ヶ月ほど前の都内某所。某アパートでのおはなしです。
藤森といいますが、家具最低限の寂しい部屋に、ぼっちで住んでおりまして、
そこには何故か、人に化ける妙技を持つの子狐が、週間に1〜2回、不思議なお餅を売りに来るのでした。

その日もコンコン子狐が、防犯意識強化の叫ばれるなか、唯一家の扉を開けてくれる藤森宅に訪問販売。
右手に透かしホオズキの明かりを、左手に葛のツルで編んだカゴを持ち、お餅を売って買ってまた次回、
だった、筈なのですが。

「子狐」
部屋の主、藤森が、子狐の帰り際に言いました。
「お前とも、そこそこ長い付き合いだが、私以外の顧客は居るのか」
この藤森、過去前々回投稿分あたり参照の諸事情持ち。要約するに、8年の間失恋相手の執着から逃げ続けておりましたが、
このおはなしの2〜3週間後、過去作でいうところの8月28日に、バッタリ発見されてしまうのです。
「近いうちに、私はここを引き払って、お前とサヨナラするかもしれない。今のうちに別の顧客を開拓した方が、お前の商売も安定すると思うが、どうだろう」

あくまで可能性の範疇だが、お前との取り引きを、バッサリ解消するかもしれない。
藤森はあくまで事前連絡として、しかし己に起こる未来を想定しているような目で、子狐に言いました。

「サヨナラ、」
大好きなお得意様が自分を捨てる。子狐は突発的で、かつ大きな喪失感に襲われました。
「さよなら、やだ」
子狐はいっちょまえに、稲荷神社在住の祟れる化け狐であり、豊作を好み喪失を悲しむ御狐でした。
行くはよいよい、帰りは怖い。
持ってきた葛のカゴから、葛の葉っぱをプチっと1枚摘み取って、
ひらり、ひらり。ひらり、ひらり。
両手で裏返し裏返し、コンコンうたい始めました。

「食べ物の、うらみ葛の葉ホトケノザ、仏は三、
狐の顔は一度一生、一度一生……」

「なんだそれ」
「55ある御狐のおうた。食べ物の恨み歌」
「うらみうた?」
「『仏の顔も三度までって言うけど、狐の恨みは一発アウトの一生もので、葛の葉みたいに根が深い』。だから狐をイジメちゃいけません。狐と食べ物を、むやみに捨ててはいけません」

「可能性の話だ。好きでお前を捨てるわけじゃ」
「ウカサマ、ウカノミタマのオオカミサマ、しもべの声をお聞きください。しもべのおとくいさんの、お醤油とコーラを、どうかすり替えてください……」
「待て。それは困る。取り引きしよう何が欲しい」
「ウカサマ、しもべのおとくいさんの、冷蔵庫にあるプリンを、全部絹ごし豆腐にしてください……」
「こ ぎ つ ね」

ひき肉は大豆ミート。黒酢はお神酒。小鍋の中にはきつねうどん。
喪失感をイタズラにのせて、子狐コンコン、祟りのチカラを変な方向に使いまくります。
「こぎつね……」
そうだった。狐は祟るんだった。
藤森は大きなため息を吐き、事情を説明すべきか不要か、5分程度悩み抜きましたとさ。
おしまい、おしまい。

9/10/2023, 6:56:38 AM

「動物であれば絶滅確定種、植物で自家受粉や枝挿し等々が可能ならギリセーフ、有名人が使ったり作ったりしたものならオークションで高額取り引き。身近な物なら、自分で製作したプラバン細工とか、手作りの皿とか?」
まぁ、「一つだけ」っつっても、ピンキリよな。某所在住物書きは、別段希少価値のひとつも無い自室を見回して言った。
「世界に一つだけ、『欠点がある』とか『地軸がある』とか、何か言葉を補えれば、ひねった物語展開も可能なんかな……」
まぁ、この残り時間じゃ、さすがに俺には難しいが。物書きは世界に何百何千と同型の存在する置き時計を見る。次の題目の配信まで、残り3時間である。

――――――

「世界に一つだけ」。ちょっと憧れるお題ですね。こんなおはなしはどうでしょう。
先々月くらい前の都内某所。あるアパートの一室に、人間嫌いと寂しがり屋を併発した捻くれ者が、ぼっちで住んでおりました。

名前を藤森といいます。
前回投稿分では、ワケあって親友の一軒家に一時避難中でしたが、
まぁ、まぁ。いつもなら、いっちょまえにぼっちで生活し、いっちょまえにぼっちで大抵三食自炊して、いっちょまえに、悩みやらストレスやらを、抱えて消化して放っといて、などなど。しておったのでした。

この藤森の部屋にやってくるのが、まるで童話の世界から抜け出してきたような、人間に化ける妙技を持ち人間の言葉をしゃべる子狐。
週に1〜2回、たったひとりのお得意様たる藤森の部屋へ、お餅を売りに来るのです。
強盗や詐欺の多発により、防犯強化の叫ばれる昨今。子狐のために部屋のドアを開けてくれるのは、藤森ただひとりだったのです。

細かいことは気にしません。都度都度説明していては、筆者の知識の無さと物語執筆スキルの低さが露呈してしまうのです。

さて。不思議な不思議なコンコン子狐。藤森にお餅を売るたび、大切な宝物が増えていきます。
3月3日に初めてお餅を売って、貰ったピラピラ2枚の紙幣は、父狐と母狐にあげました。
2度目にお餅を売って、貰ったキラキラ4枚の硬貨の、一番大きい500円1枚はお守りに決めました。
3度目頃におつりの引き算を覚え、5度目あたりで子狐は、お守りの500円玉を葛のカゴの隙間から落とし、藤森の部屋に忘れていってしまいました。

『なくなっちゃった、なくなっちゃった!』
キャンキャン泣きじゃくるコンコン子狐。
『大事な大事な、たった一つのお守り、なくなっちゃった!』
雪国の田舎育ちである藤森も、獣の遠吠えのデカさには慣れておりましたが、
さすがに今回のこればかりは、ちょっとかわいそうに思った様子。
6度目の餅売りの日、藤森は子狐に、首から下げられるコインケースをくれてやりました。

『カゴの中に入れるから、落としてしまうんだ』
藤森は子狐の首に、コインケースをかけてやりながら、優しく諭しました。
『そんなに大事な物なら、この中に入れておけ』
無くしてもすぐ分かるように、ちいさなチリチリ小鈴をつけて。お守りとお釣り用の硬貨が混ざらないように、専用ポケットもくっつけて。
それは、藤森がちくちく馴れないお裁縫道具を使い、ちりめん風の端切れを数枚ダメにしながら、それでもちょっと頑張って作った、
まさしく、世界に一つだけの、子狐のためだけに作られた、子狐の手にも開けやすいコインケースでした。

父狐と母狐へのおみやげ。自分のお守り。そのお守りを入れる首飾り。
コンコン子狐、藤森にお餅を売るたび、幸せが増えてゆきました。

「おとくいさん、こんばんは!」
今日も不思議な子狐は、たったひとりのお得意様の、部屋にコンコンお邪魔します。
その後のことは、気にしません。おはなしは終わりがほっこりすれば、大抵は多分それでヨシなのです。
おしまい、おしまい。

9/9/2023, 5:16:06 AM

「3月19日のお題が『胸の高鳴り』だったわ」
今回も難題がやってきた。某所在住物書きは呟き、今朝同様某防災アプリのタイムラインを追っている。
地震は地球の鼓動とはさすがに違うだろうか。

「胸の鼓動を、つまり脈拍とするなら、鼓動が早くなるのは運動後とかストレス下とか、酒飲んだ時とか。何かの病気が隠れてたりもするらしいな。
逆に遅いのは睡眠時とか、リラックス時とか……?」
防災アプリから離れて、画面はネットの検索画面へ。
胸の鼓動、調べてみたら、大人より乳児の方が明確に早いのな。物書きは「鼓動」をつらつら調査して、そのいずれも、物語に起こすには難しいと断念した。

――――――

都内某所。宇曽野という家庭の一軒家。
9月9日の節句にちなみ、家主たる親友に、キク科のハーブティーと餅を振る舞う者があった。
「1週間以上も世話になってしまった」
藤森という。
「月曜には、さすがに帰ろうと思う。避難場所を提供してくれて、本当にありがとう」
タパパトポポトポポ。
ガラスのカップに穏やかな黄色を注ぎ、飾りとして小さなエディブルフラワーの白をひとつ。
緑の団子ふたつと共に、小盆にのせて宇曽野の前に出したのは、つまり冷たいカモミールティーとヨモギ餅であった。

訳あって親友の家に一時避難中の藤森。
語るに長過ぎる原因は、要するに、藤森の初恋相手の執着と粘着によるもの。
8年前縁切った筈の相手が、藤森の職場を探し出し、無理矢理押し掛けてきた。
おまけに藤森の住所まで特定しようと、藤森の後輩に探偵を付きまとわせた。
ストーカー数歩手前もいいところ。そこに隠れ家を早くから提供したのが宇曽野だった。

詳細は8月28日と30日、それから9月5日投稿分参照だが、別段読まずとも差し支えは無い。

「俺は別に構わないぞ。もう少し居座っても」
宇曽野が言った。
なんてったって、お前が作るメシは低糖質低塩分で、娘と嫁に大好評だから。
理由を付け足して、餅のひとつに七味を振り、少し噛んで再度ひと振り、ふた振り。
「今アパートのお前の部屋に帰って、大丈夫なのか、加元のやつは。何よりお前のメンタルは?」
加元とは藤森の初恋相手の名前である。

「分からない」
「『分からない』?」
「今も、加元さんは怖い。思い出せば動悸で、ここの、胸の鼓動が跳ねる」
「ならもう少し隠れていれば良いだろう」

「駄目なんだ」
「なぜ」
「私がこうして逃げて、隠れたから、無関係な後輩が巻き込まれた」
「お前のせいじゃない。探偵を無理矢理けしかけたのは加元だろう」
「それでも。……駄目なんだ」

ききゅっ。
それこそ胸の鼓動が跳ねるのを押さえつけるように、藤森は左手で衣服ごと己の心臓のあたりを掴み、
ガラスの小瓶握る右手を、重ねた。
その小瓶は、藤森の故郷の木、アスナロの香りを詰めた香水。
不安になったら使ってと、藤森の後輩が贈った「お守り」であった。

「自暴自棄になってないか。藤森」
藤森の決意の眼差しに、宇曽野は長い、大きなため息をひとつ吐いた。
「そういう精神状態なら、お前が何と言おうと、俺はお前が今アパートに戻るのは反対だ」

ということで、いっぺん、喧嘩するか。
宇曽野はヨモギ餅にパッパと七味を数度振り、2個一気に口へ放り込んで、
茶でそれらを胃袋に押し込もうと、

「あっ、……ちょ、タイム、……ゲホッゲホッ!」
カップを手に取ったあたりで、餅にかけた七味が、喉の悪いところに飛び付いたらしく盛大にむせた。

「宇曽野、無事か」
「しちみが、けほっ、げほっ!」
「そうか。 もうふた振り?」
「ころすきか!!」

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