かたいなか

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「3月19日のお題が『胸の高鳴り』だったわ」
今回も難題がやってきた。某所在住物書きは呟き、今朝同様某防災アプリのタイムラインを追っている。
地震は地球の鼓動とはさすがに違うだろうか。

「胸の鼓動を、つまり脈拍とするなら、鼓動が早くなるのは運動後とかストレス下とか、酒飲んだ時とか。何かの病気が隠れてたりもするらしいな。
逆に遅いのは睡眠時とか、リラックス時とか……?」
防災アプリから離れて、画面はネットの検索画面へ。
胸の鼓動、調べてみたら、大人より乳児の方が明確に早いのな。物書きは「鼓動」をつらつら調査して、そのいずれも、物語に起こすには難しいと断念した。

――――――

都内某所。宇曽野という家庭の一軒家。
9月9日の節句にちなみ、家主たる親友に、キク科のハーブティーと餅を振る舞う者があった。
「1週間以上も世話になってしまった」
藤森という。
「月曜には、さすがに帰ろうと思う。避難場所を提供してくれて、本当にありがとう」
タパパトポポトポポ。
ガラスのカップに穏やかな黄色を注ぎ、飾りとして小さなエディブルフラワーの白をひとつ。
緑の団子ふたつと共に、小盆にのせて宇曽野の前に出したのは、つまり冷たいカモミールティーとヨモギ餅であった。

訳あって親友の家に一時避難中の藤森。
語るに長過ぎる原因は、要するに、藤森の初恋相手の執着と粘着によるもの。
8年前縁切った筈の相手が、藤森の職場を探し出し、無理矢理押し掛けてきた。
おまけに藤森の住所まで特定しようと、藤森の後輩に探偵を付きまとわせた。
ストーカー数歩手前もいいところ。そこに隠れ家を早くから提供したのが宇曽野だった。

詳細は8月28日と30日、それから9月5日投稿分参照だが、別段読まずとも差し支えは無い。

「俺は別に構わないぞ。もう少し居座っても」
宇曽野が言った。
なんてったって、お前が作るメシは低糖質低塩分で、娘と嫁に大好評だから。
理由を付け足して、餅のひとつに七味を振り、少し噛んで再度ひと振り、ふた振り。
「今アパートのお前の部屋に帰って、大丈夫なのか、加元のやつは。何よりお前のメンタルは?」
加元とは藤森の初恋相手の名前である。

「分からない」
「『分からない』?」
「今も、加元さんは怖い。思い出せば動悸で、ここの、胸の鼓動が跳ねる」
「ならもう少し隠れていれば良いだろう」

「駄目なんだ」
「なぜ」
「私がこうして逃げて、隠れたから、無関係な後輩が巻き込まれた」
「お前のせいじゃない。探偵を無理矢理けしかけたのは加元だろう」
「それでも。……駄目なんだ」

ききゅっ。
それこそ胸の鼓動が跳ねるのを押さえつけるように、藤森は左手で衣服ごと己の心臓のあたりを掴み、
ガラスの小瓶握る右手を、重ねた。
その小瓶は、藤森の故郷の木、アスナロの香りを詰めた香水。
不安になったら使ってと、藤森の後輩が贈った「お守り」であった。

「自暴自棄になってないか。藤森」
藤森の決意の眼差しに、宇曽野は長い、大きなため息をひとつ吐いた。
「そういう精神状態なら、お前が何と言おうと、俺はお前が今アパートに戻るのは反対だ」

ということで、いっぺん、喧嘩するか。
宇曽野はヨモギ餅にパッパと七味を数度振り、2個一気に口へ放り込んで、
茶でそれらを胃袋に押し込もうと、

「あっ、……ちょ、タイム、……ゲホッゲホッ!」
カップを手に取ったあたりで、餅にかけた七味が、喉の悪いところに飛び付いたらしく盛大にむせた。

「宇曽野、無事か」
「しちみが、けほっ、げほっ!」
「そうか。 もうふた振り?」
「ころすきか!!」

9/9/2023, 5:16:06 AM