寒さが身に染みて #31
泣き疲れた僕はふと顔を上げあたりを見渡した。
すると、本棚の一角にカメラと父親が好きだった写真家長月良の写真集と母親が好きだった画家長月夜の絵画集が置いてあった。
父親は写真を撮るため、母親は絵を描くため色々な場所に連れて行ってもらったものだ。
この写真集[九月の景色]は他の写真集と違い写真とその景色を色鉛筆で描いた絵が載っていて7年前に出版された時の写真集の帯には"長月親子の初写真集!写真と絵の最高の傑作ここにあり。"と書いてあったのを思い出した。
この写真集の影響で母親は絵を描き始めた。
その写真家の名は長月良、画家の名は長月夜。これは九月の季語良夜から取ったものだとあとがきに書いてあった。
絵を描く界隈にいる者に長月夜を知らない者はいない世界的に人気で名の知れた画家だったが写真家長月良の行方が分からなくなってその数日後長月夜の行方も分からなくなってしまった。
それが起こってから父親は写真撮影をやめて、母親も絵を描くのをやめてしまった。
それでも僕は長月夜に憧れていた僕は初心にかえって絵を描き続けた。年齢が上がるにつれその画集以外に描かれた絵があることを知り、その絵を参考に自分の色を足していき僕の絵を完成させていった。
その時間が何よりも幸せで楽しかった。
その後、両親は離婚し妹は親戚の家に引き取られて僕は広い家に独りぼっち。
ぽっかり空いた心の隙間から寒さが身に染みてきた。
モノクロになった僕の日常を誰か彩ってくれよ。
20歳 #30
「Stella.」
これは、絵画展の中の一枚。
この絵画展の中で一際輝いて見えた作品だった。
夕焼けをバックに涙を浮かべた女子高生が描かれていた。
その表情は悲しくて泣いているとも、嬉しくて泣いているともとれる複雑な表情をしていた。
作者の一言には"この作品が最後です。"と書かれていた。
他人事のように書いているけれど、これは紛れもなく私の江角六花の過去。
あれから3年経って今は空っぽの日常を惰性で過ごしている。
気づけば私も20歳の年になってしまった。
17歳の頃まで私は澄江花純(スミエカスミ)として活動していた。
けれど、それは一瞬にして星屑になって消えた。
というか自分から突然活動を辞めた。
有名な作家はこの世を去って名を馳せるというのに感化されて突然姿を消してみたら結構な影響が出てStella.は貴重な作品となった。
世の中には澄江花純の名義しか出ていないから澄江花純の存在を認知できるのは私と私の家族だけ。
私の過去は星屑になったけれど20歳の年になってみて気づく。
趣味で続けていてもよかったのではないかと。
君と一緒に #29
恋愛をする上で、甘えて甘えられて、思考が似ていて、すり合わせができたならどれだけ楽な関係か。
それは実際自分自身が目の当たりにしないとわからないもので、その人自身に興味を惹かれるかどうかは不明瞭であり、仮に好意を持つことができれば"恋"というのは実りの早い果実であろう。
自身の心に実ったその果実を実らせるのか腐らせるのかは自分次第のこと。
「君と一緒になりたい、付き合いたい」と自分の気持ちを相手に告げれば実る可能性のある果実だけど、その気持ちを告げないで心の中にしまっていたら後悔という虫に喰われて腐ってしまう。
それなら伝えてしまった方が幾分かマシだと思えるのではないか?と私は思う。でも、好意を伝えるということは簡単ではないことは知っているし勇気だっていることだ。
実るにせよ落ちるにせよ好意を伝えた後にわかること。
実ればハッピーだし、落ちればその辛い何かを抱えて前を進めばいい。
自分の気持ちが相手に伝わったんだと、楽観的に考えれば辛さも少しは楽になるだろうと思う。
恋を知らない私が綴った空想。
私がもし恋愛を知ることができたその時にまたこの日記を読み返せたらと思っています。
綾瀬楓梛
みかん#28
「もう気づけば年の瀬か」
そんなことを言うような私ではなかったはずなのに、
冬のこの澄んだ夜空が、また私を寂しくさせる。
気づけば手が黄色くなるほど毎日みかんと戯れている。
この前の冬至は柚子の皮も剥いちゃったよね。
私、柑橘類が好きなもんでね。
こたつの中で寝ちゃうことも時々あるよね。
ぬくぬくなのでね。
イブの夜#27
クリスマスイブなんてのは私にとっては素敵な日でもなんでもないただの24日。
私には無縁の日にちで世の男女は寒いのにわざわざ人の多いところに出向いてイブの夜の雰囲気に流されて浮かれてる。
別に羨ましいなんてこれっぽっちも思わないけれど私だって制服でクリスマスの空気に飛び込んでみたいと思うし、マフラーの交換とかちょっと憧れちゃうんだから!グレンチェックのマフラーとかプレゼントで貰ってみたいな。
小さなケーキを半分こしたりしたい。