誕生日のその日、失恋ホヤホヤのわたしは馴染みのファミレスにひとりで入った。小さなケーキを食べていると、照明が暗転し華やかな音楽とともに見ず知らずの新郎新婦がやってきた。
「みなさま、キャンドルサービスです」
とアナウンスが流れる。
間違って結婚披露宴にきてしまったのか、それともわたしの誕生日祝いなのか。
どちらでもいいかと、わたしはとにかくケーキを食べている。甘じょっぱいそのケーキを。
私は「BER-たくさんの想い出-」に立ち寄った。目的はマスターに会うためである。
ここのマスター、「あちらのお客様からです」界のカリスマと言われていて、毎日のように「あちらのお客様からです」をやっているのだという。
私もまた小さなバーのマスターをやっているだが、恥ずかしながらまだ一度も「あちらのお客様からです」をやったことがない。いったいどんな奥義があるのか知りたい。そう思って今、店に入った。
いらっしゃいませ、こちらへどうぞとカウンターに通される。そして、座るなりマスターは伝家の宝刀を出してきた。
「あちらのお客様からです」
いきなりか! と思いつつ、「あちら」のほうへ目をやると、そこには亡くなった私の愛犬がいた。私は目を点にし、マスターのほうを向く。マスターは冷静に「たくさんの想い出」でございます、とカクテルの名前を告げた。
それを口にすると、愛犬との想い出がよみがえり、涙があふれた。
「あちら」にはもう愛犬はいない。
「お代はあちらのお客様から頂いております」
すべてが完璧だった。
私はバーを閉め、この店の常連になろうと決めた(決してタダでお酒を飲みたいわけではない)。
「冬になったら別れよう」と彼氏が言うので、それは嫌だとわたしは返す。
別れるなら春か夏だなー、冬に別れるなんて拷問? 寒いし淋しいし、なのにクリスマスとかお正月とか雪とか降っちゃたりしてキラキラしてて、そんなときに一人なんて罰ゲーム以外のなにものでもないよ。下手したら熊とかに恋しちゃうよ、大きくて暖かそうだし。でも冬眠中か、熊は。冬眠中って冷たいのかな? あんまり冷たいと死んじゃいそうだよね。そしたらわたし逆に暖めてあげるんだ。でもあれか、それで起きたらお腹空いてるだろうからたべられちゃうか。あー、だからやっぱり冬はダメ。春か夏にしよ? ね?
なんか温度差あるな、とつぶやく彼氏。
そりゃあ、冬と夏じゃ温度差あるよと、わたし。
えっと、そうじゃなくてさ……まぁ、いいか。とりあえず暖かくなるまでは。
よし、今年もまた別れを回避した。
楓の木に寄り掛かっているとき、落ち葉がスマホの上に着地した。
その葉っぱにQRコードがあったので、読み取ってみると、
「はなればなれ」
と一言表示された。
もう一枚、QRコードの貼られた落ち葉があるかもしれない。はなればなれのもう一枚が。
路上ミュージシャンは引退を考えている。
別にデビューもしていないのだが、何年やっても観客はゼロだと、今更ながらに気付いてしまったからだ。
そうしてギターをしまおうとしたときに、ねずみが彼の前に現れた。彼にはそれが観客に見えた。
おまえのために歌ってやるか。
これが最後の歌だ、よく聴いておけよ。
路上ミュージシャンが歌い出すと、さらに観客が続々と。
うし、とら、うさぎ、龍、へび、うま、ひつじ、さる、とり。
最後に子猫がやってきた。
イノシシじゃないのかい。と思わず歌ってしまう。
子猫は、あなたのファンなんです、と言った。
あと12年は引退しないと彼が歌うと、観客たちは各々の鳴き声を上げた。