窓を叩く雨音で、目が覚めた。
時刻は午前四時。
隣に彼女はいなかった。
(こんな雨の日でもか…)
再び眠りに就こうとする怠惰な脳みそを気持ちで叩き起こし、おおよそ役に立たなそうなビニール傘一本を持って、外にくり出した。
彼女は、ダンサーだった。
ほんの二週間前に、公演中のアクシデントが原因で怪我をした。
医者からもたらされたのは【二度と踊ってはいけない】という残酷な知らせのみ。
それ以来、彼女は朝目を覚ましては、満足に動けもしない身体に鞭打ち、外へ踊りに出掛けた。一刻も早く、またあの舞台に立てるようにと。
そして、どこで踊っているのかもわからぬ彼女を捜し出し、保護するのが私の役目だった。
宛もなく豪雨の中を歩いていると、案外と彼女はすぐに見つかった。
あの日、彼女が二度と踊れなくなった劇場。
まだ誰もいない早朝の劇場。
その前で、お世辞にもダンスとは言えない、痛々しい動きでよろめく影がいた。
彼女だった。
彼女は私に気がつくと、ゆったりした動きで、微笑みながら言った。
「ごめんなさい、まだ踊り足りないの。」
―そう。ね、私も一緒に踊ってもいいかな?
「あら、あなたダンスできたの?」
―練習したんだ。君と踊りたくて。
「まあ、嬉しい。ええ勿論。いいわ、踊りましょ」
嘘だ。ダンスなんて本当はできない。けれど、これ以上彼女を雨の中一人で踊らせたくはなかった。
予想通り、殆ど役に立たなかったビニール傘を置いて、私は彼女に手を差し出した。
観客席から見た、男達の仕草を思い起こす。
見様見真似の、エスコート。
息を吸って、吐いて、雨音に掻き消されないように、ハッキリとした声で、私は言った。
「レディ、私と一緒に踊りませんか?」
遠くへ行こう、ただ遠くへ
お願いだから、僕の手を取って、一人にしないで
ここからできるだけ遠い場所、楽園に近い場所へ
でも思うんだ
きっと君が隣にいて手を握ってくれるならば、
地獄だって楽園なんだろう
だからどうか
手を離さないでね
子供の頃は、していいこととしちゃいけないことの区別が全然つかなかった。色んな大人に迷惑をかけたし、同年代の子供には白い目で見られてた。
失敗を繰り返していると、流石に頭の悪い私でもこの現状がまずいことがわかった。
だから何もしないことにした。区別がつかないのなら、最初から区別しなければいいんだと。最初はそれでも良かった。でも、もう少し大人になって気づいた。
あー、あれってただの現実逃避だったんだなって。
頭を使うことから逃げてただけだった。
今も私は何もできない。
次は、どこに逃げるんだろう。
一年前のこの時期は転職とか引っ越しとか色んなことしてたなぁ。今は大分生活も落ち着いているけれど、あの頃の喧騒がもう既に懐かしい。
自分で買った本よりも、誰かが読み倒してボロボロになったような本のほうが安心して読めるし、内容も面白いと感じることが多い。
真新しいきれいな本は、汚してしまうのが嫌で埃を被っている。最初からボロボロの本が、私はお気に入りだ。