眩しいほどの水色がみるみるうちに濁ってゆき、先程まで青く光っていたビルに水滴が伝う。
やがて灰色は人を覆い、車を覆い、ビルを覆う。あんなにくっきり見えた建物は、淡い白に見える。
人の波を呑んだ湿気がビルの中に充満している。人々はいつも通り働くも、なんとなく頭や四肢が重い。雨には内をぼやけて見せる効果があるのだ。
まだ雨は止まない。降り頻る雨がビルを流れる。人という呼吸を鈍くさせることで、雨はビルを支配する。
それでもビルは生き続ける。白い窓にどれだけの雨がかかろうと、ビルがビルである以上、そこに在り続ける。
目覚ましに使うタブレット
日めくりカレンダー
仕事中に見る掲示板
スマホに映るアルバム
夜のコーヒー
それらは過去を遡る日記帳
時折見返す日記帳には
その時の出来事
考えていたこと
感じたこと
感謝したこと
感謝されたこと
フラッシュバックされた過去の出来事が
今になる
今になる
顔を突き合わせ、同じテーブルに座る。
視界が貴方で埋まる。色んな表情が見えて嬉しい。
話し始める。最近あったこと。楽しいこととか、ダルかったこととか、どうでもいいこと。目を合わせるのが苦手だから、少し目線を上げる。
頷く貴方
感心する貴方
驚く貴方
感嘆する貴方
どんな話でも楽しそうに相槌を打つ貴方。
こちらの話しが落ち着くと、今度は貴方の番だ。
頷く私
感心する私
驚く私
感嘆する私
向かい合わせの私たち。代わりばんこに話している。
こんなに幸せな時間があっていいものか。時間がごうごうと勢いよく流れる。
この時間がだらだら続けばいいのにな。
←慣れないポジティブな事を言いたかった人
「やるせない気持ち」
お題がとにかく難しい。私にとって「やるせない」はなんとなく語彙にはあるけど、すぐに出てくるものではないからだ。
私の「やるせない」は必ず後からついてくる。ある悲しい出来事があったとすると、その時に思うのは「悲しい」であり、「やるせない」ではない。後になって思い返して初めて、「悲しい」が「やるせない」に変質する。
そもそも「やるせない」とはどういう気持ちなのだろうか。疑問に思い、スマートフォンに指を滑らせる。
「やるせない」は「遣る瀬無い」と書き、「悲しみを紛らわそうとするも、晴らしどころがわからない切ない気持ち」だそうだ。なるほど、この感情には悲しみ→晴らしどころが無い気持ち、の二つの過程が必要なのか。つまり「やるせない」は後からやってくるのではなく、「悲しい」から「やるせない」になるまでの感情変化の過程が「やるせない」なのだ。
「悲しみ」から連鎖する感情。悲しみから枝状に広がった先の一端が「やるせない気持ち」なのだろうか。意味を考えると、悲しみの晴れどころがなければ、遍く悲しみはやるせないに繋がれる。
大学生の時、通学路に海があった
見える時間はほんの数分であったが
爽やかな、けれども深い青をしたその物質に
私は強烈に目を惹かれ、その時だけは黒い板から目を離す
子どもも、老人も、はたまた仕事中のサラリーマンも
その一時だけはみな各々の時間を置いて
意識を向ける
空を映し出す鏡へ
ひとつの海へ