明るく、透ける。透明。
透明と聞いて、思い起こすものといえば
ガラス、シャボン玉、レンズなど。
全て明かりが透けてくるもの達ばかりだ。
そして明かりがあるといっとう
輝くもの達ではないかとも思う。
私もそんな透明なモノを持ってみたい。
午前2時、少しばかりの残業を終え
夜勤業務を終えた私は、車で帰路に着く。
初夏とはいえ、まだまだ夜は肌寒い。
国道を車で走る。毎日通り慣れた道ではあるが、真夜中ともなると、少しばかり見える風景も違うものだ。
いつもより少ない自動車、赤や黄色の点滅信号、
意外と車が停まっているラーメン屋。
中には強気になった違反車だっている。
片道1時間、深夜の上、労働の後には少々堪える距離ではあるが、私は意外と、この通勤道が嫌いではない。
深夜に働いていると、どうにも疎外感が生まれてしまう。この世界に自分だけなのかと、別に1人は嫌いではなく、寧ろ好きな方なのだが、労働後の疲労か、肌寒い気温のせいか、心寂しくなってしまうのだ。
だが、深夜の通勤道はいつもと光景や雰囲気は違えど、人の生活が垣間見え、疎外感を多少薄れてさせてくれる。こんな時間にあの店にいる人は、私と同じように仕事帰りなのだろうか、私を追い越していった車は、もう帰宅するのか、それともこれから出かけるのか。
そんな顔も知らない人達のことを想像し、
勝手に親近感を寄せている。
そんな深夜2時が私は中々に好きである、
愛があればなんでもできるか?
ここはできる!と胸を張って、誇らしげに言えたら
いいが、正直なんでもはできないのだ。
自分の立場、責任、秩序、等など、まあなんでもの度合いにはかかってくるが、なにかとなんでもできない理由が多い。
それでも、できることはなんでもしてあげたい、
したいと思うのが、愛なんじゃないだろうか。
敢えてしない、のも愛ではあるが。
つまり、なんでも、のものによるのである。
それでも、なんでもしてあげたいと思われるほど、
愛されてみたいものだ。
私の後悔は、今である。
今この時、深夜2時過ぎ。
丑三つ時まで起きているという、今この時である。
少しでもこの後悔を軽くしようと、今文を書いているのだが、この行為こそ、更に夜が深け、後悔を助長させている気もする。
そんなことを思いながら 、【後悔】にも色んな種類が
あるのだなと考える。
私みたいなくだらない後悔もあれば、人生を左右しかねない選択を後悔することもある、のだと。
私は後悔することは、決して悪しきことではないと
思っている。後から悔いる、すなわち自らの失敗を振り返り、反省しているということじゃないか。
失敗を認め、ああすれば良かったなと考えられるということは、前に進めることの一歩目だと思う。
後悔した経験から、様々な選択肢や思考がきっと広がるはずだ。
だから皆さん、後悔を前向きにとらえ、ポジティブシンキングにいきましょう。
ちなみに、私の夜更かしは後悔したところで、過ぎ去った朝の時間や、寝不足の体はどうにもできず、無意味でありポジティブに捉えることは、困難であった。
後悔には種類があるなと身をもって実感した。
風に身をまかせ、飛んだり舞っているものを
色々と見た。
鳥、蝶、葉っぱ、他にもビニール袋。
電線、その辺の草木、歩いてる人の髪だって。
左右、上下、風に身をまかせているのか、
振り回されているのか、舞ったり飛んだり靡いたり。
初夏の風は実に気持ちが良さそうである。