久しぶりに帰省した私は、
何となく近所を散歩してみることにした。
昔はよく色んな遊びをしたものだ、
と歩きながらその時のことを思い出していた。
川で魚を探したり、田んぼでカエルやオタマジャクシ
を捕まえたり、なんだかんだ活発だったな
と、休日はもっぱらスマホや外出になっている今の自分と比べてみる。
近所を走り回っていたあの頃からもう10年以上経っている。
なんだかんだ変わらないだろうと思っていた
予想とは裏腹にかつて遊んだ田んぼや広場が、
真新しい住宅街になっていて驚いた。
「あの広場、なくなっちゃったのか・・・」
ぼんやりながる先には駐車場、昔はこの広場で盆踊りや野球大会が繰り広げられていたのだ。
ちょっぴり切ない気持ちになりながらも、歩みを進める。
狭い路地の中、少し先には青と緑がみえる。
「確かここは・・・」
路地を出ると、シロツメクサの花畑が広がっていた。
春になると、よく花を詰んで冠や花束を作っていた。
「ここはあの時のまんまだな・・・」
あの時の記憶と違わない光景に、思わずほっとした。
花畑へ足を踏み入れる。
モンシロチョウが飛んでいる。
他にも、バッタやてんとう虫、
大人になった今では怖くて触れない昆虫たちも、
この時ばっかりは昔のように触れる気がした。
「いつまで待つんだろうか・・・」
カレンダーの大半を埋めるバツ印。
毎日寝る前、カレンダーにペンを走らせるのも
日常になったのもいつからか。
いつ来るのかわからない相手を待ち続けて数ヶ月、
なんて言ってるが、もうすぐ1年にもなる。
最近心なしか、ため息が増えた気がする。
待つのは得意な方だが、さすがの自分も堪えているようだ。
代わり映えのない毎日。あいつと過ごす日常はどんな風なのか、想像するのももう飽きたぐらいだ。
春夏秋冬、色んな想像をしてきた。
「1周回っちゃうぞ、もう、ちょっと飽きてきた...」
もうすぐ365日、色んな想像をしながら眠りに落ちてきた。書いたバツの数だけ、増えていく。
「来たからには、このバツの数を塗り替えるぐらいには思い出、作ってもらわないとゲンコツだ。」
めくったカレンダー、書いたバツの数だけ思い出に塗り替えられる日が来ると信じて、今日も私は眠りに落ちる。
夏は全体的に彩度が上がる気がする。
晴れている日が、ではあるが。
青い空、白い雲、青々しい木々。
全てがパリッと色鮮やかに見える。
晴れた日が、ではあるが。
日差しはサンサンと、近頃はギラギラという方が正しいか。猛暑の中でみる青空は体感気温はどうであれ、
気持ちの良いものだ。
スカッと、気持ちも晴れやかになる気がする。
だが残念なことに、視覚的にはパリッと爽やかなのに、湿気がまとわりつくジメッとなんの。
汗をかくと更に際立つベタベタ感。
視覚的な情報と感覚が両極端である。
ふと思う、冬も極端だなと。
冬の風景はなんだがぼんやりというか、どこか掠れて見える、気持ち的に。でも気温は低く、乾燥しており感覚的には鋭い。
色んな面で極端だなぁ。
天国と地獄ときくと、死後の世界のことをまずは思い浮かべるが、カジュアルな考え方をすると、日常の中にも潜んでいるものだと私は思っている。
例えば、私の最近の体験談でこんなものがある。
私はあまり酒は強くは無いのだが、ふと呑みたい気分になり、大好きな刺身共に日本酒で晩酌していた。
呑んでいる最中は、美味い酒と美味いあてと少しの酔いからか、天国にいる気持ちであったが、飲むのは久々だったことは、ほろ酔いになり気が大きくなっていたこともあり、ついつい飲みすぎた。
その結果、ヘロヘロになってしまったのである。
私は理性は保っているタイプであり、非常に気分が悪くなり、最終的には少しお目汚しだがトイレのお世話になってしまったのだが、正に天国と地獄であった。
皆さん、飲み過ぎには気をつけましょう。
時計を見ると、午後3時。
昼食を終え、ウトウトとしてきた頭を微睡むままに意識を手放し、昼寝に興じていた私は目を覚ました。
私は基本的に、テレビはつけない主義である。
部屋の中から発する音は、私以内には存在しない。
だが少し開いた窓からは、ザーザーと雨音が聞こえる。
覚醒した私の意識の殆どををしめるのではないか、と思わしめるほどの音だ。外を見ると轟々と大粒の雨が降り注いでいた。
そろそろ梅雨の時期か、と寝起きの頭でぼんやりと思う。
強い雨音ではあるが、自然から発せられる音というものは、聞いていて気持ちの良いものだな、と思い、なお続くその音に耳を傾ける。
ザーザー、ボトボト、ザーザー
ダダダダ、、、
雨音といっても様々だな、と思う。
普通に地面に雨が打ち付ける音、屋根から伝った雫がボトボトと倉庫といったトタンや金属の上に落ちる音、道端の溝のかさが増し、勢いよく流れる音など。
多種多様だな、と新たな発見をしたように
少し心が踊った。
梅雨入り、湿気ており、暑いのか、寒いのか、よく分からない、どっちつかずの日ではあるが、たまにはこういう日も悪くないと思う、午後3時であった。