過ぎ去った日々
あいつと喧嘩した。意見が真正面からぶつかった。
エアバッグは機能していなかったが、清々しく思えた。
あの人と一緒に歩いた。赤いコーンと警告色の棒を蹴り飛ばして歩み寄ってくるあの人は、「Keep out」を包帯代わりに使っていた。
車と自転車の違いと、道徳を知らない3人は、車道を2車線使って蛇行運転をして笑っていた。
そんな道を─もうただのアスファルトで出来ているだけだ─これからは懐かしく思うことしか出来ない。
絆
あなたはガサツで、不器用で、口下手だけど、
私の隣にいてくれる。
私の手を離さないでいてくれる。
あなたと居れば、今嫌なことなんて、心底どうでも良くなるのだ。
プレゼント
驚きで喜ばせるサプライズか
物を選んで時間も利用するか
どちらが正しいかなんて分からない
どちらも正しくないかもしれない
それでもあの人が喜んでくれるなら
正誤関係なく僕も嬉しい
冬は一緒に
高校の再考査は友達と一緒に
クリスマスは恋人と一緒に
正月は家族と一緒に
ひとりぼっちなんて存在しない
もしそんな人がいるのならば
その人は「一緒にいてくれる人」の存在を
まだ知らないだけ
とりとめもない話
「音楽の歌詞が分かりにくい」とか、
「現代文もっと簡単な言葉にしてよ」とか、
そういうことを言っている人は、
「言葉が凶器になる」って言葉についてどう思っているんだろう。
私は「言葉の力はとても大きい」くらいにしか思っていないように思う。
似た意味でも本当はちょっと違うのに、それを知ろうとはしない。
ましてや日本語なんて、他の言語と比べて自由度が高いのに。
「生きる」「生える」「誕生」「生活」「生まれる」「生す」
ひとつの漢字でもこれだけ読み方がある。
「〜だよ」という語尾に「ね」を付けるだけで、
共感出来たり、確認できたり、圧をかけたり、疑問を持ったり。
言葉の力は確かに凄いけれど、繊細さにも目を配るべきじゃないかな。
伝わりやすい言葉を選ぶからこそ、伝わらない事だってあるのだから。
───だけどこんな話は、そういう人たちにとっては……