「命が燃え尽きるまで、オタクでありたい」
高校の頃、俺の友人はそんなことを言っていた。
当時オタクだった俺も当然のように同意したんだが……今の俺はオタクから完全に足を洗ってしまっている。
理由はシンプルで——そこまでの情熱を持ち続けられなかった。この一言に尽きる。
漫画やアニメは今だって好きだ。それは間違いない。が、歳を重ねるにつれ、それらを追い続ける体力がなくなっていったんだ。
家族や仕事といった大切なものが増えていったことも理由にはなるだろうが、情熱を失ったことに比べれば(言葉は悪いが)些細なことだろう。
高校生だったあの頃「いい年こいてオタクとかw」と、心のどこかで見下していた高齢オタクたちの熱量や体力を羨む日が来るなんて、想像だにしていなかった。
今も、生涯オタク宣言をした友人はオタクとしての活動に勤しんでいる。
彼がいつまでオタクであり続けるかは分からない。それこそ生涯かもしれない。が、もし彼がオタクを辞める日が来たなら、その時はお疲れ様会でも開いてやりたいと思う。野郎二人だけの、むさ苦しいお疲れ様会を……。
時間がないのでひとまず枠だけ確保
「ああっ、窓の外の木の最後の葉が落ちたらその時、私の命も……」
「今、夏だから当分先だね。良かったね」
「……」
「ああ、このカレンダーの木の最後の一枚が落ちたらその時、私の命も……」
「だから今夏だよ。どの道当分先だね」
「……」
「あ……あのさ、この雰囲気の中で言うのもあれだけど」
「ん?」
「余命宣告、されました」
「そうか……
え、マジ?」
「マジっす。ちょうど今年の終わり頃みたい」
「わり、無神経だった」
「それぐらいのほうが救われるけどねw」
「救われる……救われるかぁ」
「だから、最期の瞬間まで今までと変わらぬお付き合いをお願いします」
「約束は出来ないよ? やれるだけやってみるけど」
「ん、おけ」
彼女とそんなやり取りをしたのはちょうど一年前だったか。もうそんなになるんだな……。
俺は一人、そんな過去のやり取り思いを馳せる。
そういや、「余命宣告された日までのカレンダーとかあればいいのにねー……」なんて、ちょっと不謹慎なことを言って笑い合ったりもしたっけ。
そんな彼女は今、余命宣告を跳ね除け、それどころか別の男と交際中らしい。こういうイベントがあったからって結ばれるとは限らないんだな。
残された俺は一人、ただ日々を浪費し続けていた。
「破局する日までのカレンダーでもあればよかったのに……」などと思いながら。
きみはある日突然動かなくなった。
触れても押しても、何をしても反応がなくて、ぼくは酷い焦燥感に駆られた。長い付き合いの相棒がそうなったことには喪失感すら覚えた。
なんだかんだ言って10年以上の付き合いだったから「なんとかロス」みたいな症状が現れることも懸念していた……もっとも、これは杞憂だったけど。
いずれ慣れる。そう思って、ぼくはきみのいなくなった生活を受け入れようとしていた。
けど、どうしても踏ん切りがつかなくて、きみと正式にさよならすることだけは出来なかったんだ。
大丈夫、きみのいない生活にはいずれ慣れる……そんなことを何度も何度も心の中で思っていたくせに、本心では慣れるつもりなんてなかったのかもね。
奇跡が起こったのは1ヶ月ほど経った時だった。
ぼくは未練がましくきみに触れた。もう動かなくなったはずのきみに……。
この時の感動は未だに忘れられない。
カチッ、と音がして、きみが動いたんだ!
ぼくはそれが嬉しくって、何度も何度もきみに触れ、動くことを——生き返ったことを確認した。
間違いない、生きてる!
たまに反応がなくなるから、まるで動かなくなった過去なんてなかったように、とはいかないけど、間違いなく生きてる!
ぼくは歓喜とともにこう呟いた。
「おかえり、3○SのRボタン」
世界に一つだけのあなたの命
あなたはどう使いますか?