ある朝、通勤の途中。
「よし、東京に行こう。」
私の中の何かが弾けた。
普段ならバスに乗り換える時間。
私は地下鉄に乗って新神戸駅へ向かった。
朝から移動するサラリーマン達。
すました顔でお手ふきを受け取り、
仕事では乗れない広い椅子を堪能する。
スーツ姿ですましている姿を見て
仕事から逃げている事など
誰も想像しないだろう。
私は仕事から逃げている。
すました顔で凛々しく過ごしたかったが、
蓄積された疲労からかすぐ眠っていた。
目覚めた時には品川。
目的地までの時間を計算して
乗り換えの面倒くささを加味すると
東京よりも品川で降りた方が楽な気もしたが
せっかくのチケットが勿体ないと思い
東京まで乗る事にした。
東京。
皆が憧れる都。
私が訪れたかったのは
ギラギラした街ではなく
ポップでキュートな街でも無い。
新宿御苑。
新宿駅から近い所にある国立公園だった。
この公園は
大都会・東京の中心にも関わらず
壮大な自然が広がりつつ、
遠巻きに街並みが見られる不思議な空間。
特に好きなのは日本庭園エリア。
ここでは時間の感覚が鈍り
日常感が薄れる。
気が付くと
本当に時間がかなり経っていて
帰り時間を逆算すると
あまり残り時間がない事に気付いた。
エネルギーはチャージした。
事とする。
今になって
何で東京にいるのか?
自分でも可笑しくなっていた。
東京に寄った時には
良く寄るお菓子屋さん
そこで期間限定の物を購入し、
そそくさと神戸へ戻る。
「ただいま〜」
「おかえり〜」
「それどおしたん?」
「会社の人からお土産で貰った〜」
「へ〜」
「狙われとるんちゃうん?」
「ハハハ、そうかもね?」
「なんかムカつく」
「ごめんって、一緒に食べよ」
「食べるけどさ〜」
「最近、何か疲れてない?」
「いや〜大丈夫。」
「ならいいけどさ〜」
「これめっちゃ可愛いやん!」
「絶対狙われてる!私が全部食べる」
「なんでよ〜」
内心ドキッとした。
何かそう思わせるような
キッカケがあったのか?
女の勘?
内心ドキドキしたまま
ふくれる彼女に抱き着き
いつも通りを装う。
この幸せを守る為に
"何でもないフリ"をし続ける。
『どうすればいいの?』
「どうすればいいの?」
初めて出会ったあの時。
天然なのかな〜?って
ちょっと小馬鹿にした。
「どうすればいいの?」
この子は本当に何も知らない。
でもそれが許されてしまう様な
彼女はそんな存在だった。
「どうすればいいの?」
この子は本当は全て分かってる。
じゃないとこんな艶やかな笑みが
零れる筈がない。
「どうすればいいの?」
いつもいつも彼女は言う。
私はどうもして欲しく無かった。
彼女の言葉は段々と失われていった。
どうすればいいの?
私に何が出来たの?
どうすればいいの?
私に何か出来たの?
返答の無い問い掛けが
私の中で生き続ける。
『キャンドル』
11月末
この時期になると、風景から彩りが無くなり
透き通った白へと変わっていく。
「もう、そんな季節か」
何度も繰り返してきた言葉なのに
どこか心地よくて
冬の訪れを歓迎している自分に
改めて嫌気が差した。
12月に入ると、
街はイルミネーションに彩られ
再び暖かい色を取り戻す。
その淡い光はまるで
彼女が好きだったアロマキャンドルの様で。
彼女の心音
炎の揺らぎ
私にとって心地の良かった場所。
その場所はこの世にはもう存在しない。
淡く
揺れる。
害を及ぼしながら
何度も立ち上がりながら
ゆらぎながら
進んでいく
全てを燃焼するまで。
『もう一つの物語』
とある雨の日。
仕事先の病院は山奥にあって、
普段はバイク通勤をしている私も
雨の日はバスを利用していた。
夕暮れになり
周りに夜の色が染みていく。
すると遠くから大きな音が聞こえて
森が驚いたかのようにざわめく。
「衝突事故かな…」
金属が押しつぶされたような破損音。
音が気になって立ち上がっていると、
音と反対側から少しずつ光が近付いて
来ている事に気がついた。
夜を照らす光は、定刻通り到着したバス。
たまにしかバスに乗らない私は
ひとまず1番後ろの席に座る。
バスが扉を閉めようとした瞬間。
滑り込みで1人の女の子が飛び乗ってきた。
私はその女の子を見てハッとなる。
女の子は、着ていたカッパを少し叩き
水しぶきを扉の近くで落としてから
運転手さんの真後ろの席に座った。
私はその女の子を知っている。
よく分からない事が起きている。
そんな事を考えながら女の子の方を見ていると
バスの車窓からさっきの音の正体が見えてきた。
ワンボックスカーが反対車線側の岩崖に
正面から衝突していた。
事故現場には後続車とみられる車が止まっており
その車のドライバーらしき男性が電話を架けていた。
その状況から通報はされていると判断したのか、
バスはそのまま事故現場の隣を通り過ぎていく。
私はふと前方の座席に座った女の子の方を見た。
すると彼女はこちらを振り返っており、
ニコッと笑顔を向けた。
改めてハッとした私はもう一度事故現場を見返す。
白色のワンボックスカー…。
……!?
ある事を思い出した私はバスの前方に視線を戻す。
すると、さっきまで女の子が座っていた席は
空席となっていた。
私は女の子の事を知っている。
彼女は、数日前に勤務先の病院に運び込まれた患者。
母親と出掛けていた所、前方から走ってきた車に
跳ねられて母親が庇ったお陰か彼女は一命を取り留めた。
母親は衝突の衝撃で即死。
犯人は未だに逃走していて、
白色のワンボックスカーだったと聞いている。
一命を取り留めていた女の子も
今日のお昼頃に息を引き取った。
女の子の部屋に置かれていた
小さいサイズのカッパを親族の方にお渡しする為に
包装するのが今日の最後の仕事だった。
後日、病院で聞いた噂によると
女の子が巻き込まれた交通事故の犯人は
逃走中に単独事故を起こし死亡したとの事。
噂には添え口として"天罰が下った"と言われていた。
しかし、私にはあの日の出来事が全て
神様の仕業ではないと思えた。
私が見た現象。
誰かに言った所で、誰も信じないだろう。
私はそれでも少し清々した気分だった。
あの時の出来事は
私の中の"もう一つの物語"として胸にしまっておこう。
『暗がりの中で』
時間は22:22。
"夫婦の日"や"スワンスワン(吸わん吸わん)の日"など、
よく目に付く数字。
私にとっては嫌味な、こじつけたその言葉達が頭に浮かぶ。
「つまらない。」
そう吐き捨てながら台所へ向かい、煙草に火を灯す。
昔は、そのつまらない事を共感する相手がいた。
そんな些細な事が、
本当につまらなくなったのはいつ頃からだろう…
溜息には白煙が混じっている。
闇を照らしていた火が消える頃合。
頭がボーッとして体がふらつく感覚に気付く。
寝起きの喫煙で思考が止まる。
ふらつきながら暗がりの中で静かにしゃがみこむ。