『もう一つの物語』
とある雨の日。
仕事先の病院は山奥にあって、
普段はバイク通勤をしている私も
雨の日はバスを利用していた。
夕暮れになり
周りに夜の色が染みていく。
すると遠くから大きな音が聞こえて
森が驚いたかのようにざわめく。
「衝突事故かな…」
金属が押しつぶされたような破損音。
音が気になって立ち上がっていると、
音と反対側から少しずつ光が近付いて
来ている事に気がついた。
夜を照らす光は、定刻通り到着したバス。
たまにしかバスに乗らない私は
ひとまず1番後ろの席に座る。
バスが扉を閉めようとした瞬間。
滑り込みで1人の女の子が飛び乗ってきた。
私はその女の子を見てハッとなる。
女の子は、着ていたカッパを少し叩き
水しぶきを扉の近くで落としてから
運転手さんの真後ろの席に座った。
私はその女の子を知っている。
よく分からない事が起きている。
そんな事を考えながら女の子の方を見ていると
バスの車窓からさっきの音の正体が見えてきた。
ワンボックスカーが反対車線側の岩崖に
正面から衝突していた。
事故現場には後続車とみられる車が止まっており
その車のドライバーらしき男性が電話を架けていた。
その状況から通報はされていると判断したのか、
バスはそのまま事故現場の隣を通り過ぎていく。
私はふと前方の座席に座った女の子の方を見た。
すると彼女はこちらを振り返っており、
ニコッと笑顔を向けた。
改めてハッとした私はもう一度事故現場を見返す。
白色のワンボックスカー…。
……!?
ある事を思い出した私はバスの前方に視線を戻す。
すると、さっきまで女の子が座っていた席は
空席となっていた。
私は女の子の事を知っている。
彼女は、数日前に勤務先の病院に運び込まれた患者。
母親と出掛けていた所、前方から走ってきた車に
跳ねられて母親が庇ったお陰か彼女は一命を取り留めた。
母親は衝突の衝撃で即死。
犯人は未だに逃走していて、
白色のワンボックスカーだったと聞いている。
一命を取り留めていた女の子も
今日のお昼頃に息を引き取った。
女の子の部屋に置かれていた
小さいサイズのカッパを親族の方にお渡しする為に
包装するのが今日の最後の仕事だった。
後日、病院で聞いた噂によると
女の子が巻き込まれた交通事故の犯人は
逃走中に単独事故を起こし死亡したとの事。
噂には添え口として"天罰が下った"と言われていた。
しかし、私にはあの日の出来事が全て
神様の仕業ではないと思えた。
私が見た現象。
誰かに言った所で、誰も信じないだろう。
私はそれでも少し清々した気分だった。
あの時の出来事は
私の中の"もう一つの物語"として胸にしまっておこう。
10/29/2023, 4:30:34 PM