【いつまでも捨てられないもの】
(魔女と弟子)
師匠は魔女で、僕は魔女の弟子……のはずが、一度死にかけた僕に師匠が新しい身体をくれた。今では僕は魔女の使い魔。人間だった頃の姿にもなれるけど、本性はコウモリの羽がある大きな猫だ。
「家事を手伝ってくれるのはありがたいけど、無理に人の姿でいようとしなくてもいいのよ」
皿洗いをしていた僕に師匠が言った。
「今のあなたの本性は猫なのだから、四つ足で過ごした方が楽でしょう?」
師匠が気遣ってくれるのは嬉しい。でも。
「確かに僕は猫かもしれませんが、自分が人間だったことも忘れたくないんです」
僕にとって、人としての姿はきっといつまでも捨てられないものだと思う。
「何より、僕は師匠の役に立ちたいんですよ」
「そう? それならそれで構わないけど……」
あれ?
師匠がちょっと残念そうな顔をしている。ほとんどの人間は魔女を敵視しているし、やっぱり師匠は人間が好きじゃないのかなぁ。
次の日。
掃除をしていた僕は、師匠の部屋である物を見つけてしまった。真新しいそれは何故か本棚に隠されていた。
なるほど。師匠はこれを使いたかったのか。思わず顔がにやけてしまった。
『師匠、少し休憩しませんか』
僕は猫の姿で、身体の大きさを本来の半分くらいに小さくして、薬を調合している師匠に声をかけた。
「あら。今日はその姿なのね」
『たまには良いかと思いまして』
僕が猫の姿をしていると、師匠は頭や背中をよく撫でてくれる。
師匠の手は優しくて、器用で、ほっそりとした指は可憐で愛らしい。その手で触れてもらえるのはとても嬉しい。
でも、そうじゃないですよね、師匠?
『ブラッシングはしてくれないんですか?』
「えっ」
『僕のために新しいブラシを買ってくれたんでしょう?』
僕が師匠の本棚で見つけたのは動物用のブラシだった。
「……なんだ、知ってたのね」
師匠はほんのちょっとだけ、顔を赤くした。
ブラシを持った師匠が僕の毛並みを整える。頭の天辺から背中は羽の間、腰まで丁寧にブラッシングされた。
……ああ、気持ちいい。
自然に喉がゴロゴロと鳴った。尻尾は遠慮しているみたいだけど、僕は師匠になら触られても良いですよ?
『師匠は、人間の僕がお嫌いですか?』
「まさか。そんなことないわよ」
『でも、猫の姿の時しか触ってくれないでしょう』
「人の姿のあなたにベタベタ触れるわけにはいかないじゃない」
師匠の顔がまた少し赤い。
ちょっとは意識してくれていると思ってもいいよね、これは。
『師匠。やっぱり僕と結婚しませんか』
問題だった寿命の差だって、解消したわけですし。
「…………まだそんなこと言ってるの」
『そりゃあもう。これからも言い続けますよ』
僕はこの想いも、いつまで経ったって捨てられそうにありませんからね。
【誇らしさ】
短い髪に長い手足、細身で背も高くて。
女の子なのに王子様扱いされて、満更でもなさそうな君。
バレンタインには毎年沢山のチョコレートをもらってくる。
だけど知ってる。
本当は可愛いものが好きで。
甘いものなんてもっと好きで。
家の中ではちょっとだらしなくて。
『王子様』の仮面を頑張って作ってる。
本当は怖がりで。
ホラー映画なんて予告だけで涙目。
遊園地のお化け屋敷では私の服の袖をずっと摘んでいた。
でも「格好いい」って言われるのも大好きで。
外面が良くて。
女の子にちやほやされると嬉しそう。
そんな君が私の前でだけ。
油断しきった顔で普通の女の子になる。
素の姿を見せてくれる。
ぬいぐるみが好きだとか。
ワンピースが似合うようになりたいとか。
君が普段隠している、心の柔らかい所を打ち明けてくれる。
こんなに可愛い君を誰も知らない。
私だけが許されている。
君が私を選んでくれた。
そのことに、私はなんとも言えない誇らしさを感じているんだ。
【夜の海】
「僕の従兄弟がね、夜の海で」
と、彼は言った。
彼に従兄弟がいないことは知っている。
「裸足で海胆を踏んでしまったんだ」
彼は目を細めてこちらを見ていた。
ああ、人を揶揄う時の顔だ。
「暗いしさ、サンダルを流されたんだ」
彼はちょっとだけ口角を上げた。
どうやら機嫌が良いらしい。
「大変だったらしいよ」
「海胆を踏むとあの棘がさ……」
冗談にしては随分とリアルで。
ゾッとしてなんだ背筋が寒くなった。
「嘘だよ。君のその顔が見たかっただけ」
アハッと笑って、彼は言った。
ああもう、どこまでが嘘なのやら。
「少し涼しくなったでしょう?」
確かに、今日は暑いからね……
────────────────
昔、学校の先生がウニを踏んだ話を聞きまして
詳細な描写は自粛しておきます
【自転車に乗って】
たまには物語以外のものを書いてみようか。
私はファンタジーをよく読むし、書く。
けれど、お題に自転車が出てきては、勇者が騎士と旅する話には繋げづらい。
なら現代のお話をひとつ…と思うものの、抽斗を開けてみてもすんなり出てくるネタがなかった。
自転車…自転車ねぇ。
運転が嫌いだからじゃないけど、割と自転車は好きだ。風が気持ちいい。どこでも止まれて景色も楽しみやすい。
中学生くらいの頃は自転車に乗ってどこにでも行っていた気がする。
あの体力はどこに消えたのだろう?
などということを書いていたら、次の勇者の話を書くまでの間があいてしまうわけだ。忘れられてしまいそうである。
ここでは一話完結にした方が読み手には優しいんだろうなぁ。
【心の健康】
王国魔法士団の下っ端であるニールは、一枚の紙を前に首を傾げた。
「心の健康ねぇ……?」
紙には『眠れているか』『イライラすることはあるか』『憂鬱感はあるか』などの質問が書かれている。回答の結果によっては、カウンセラーを紹介されたり、魔法医の受診を勧められたりするらしい。
どうしてこんなものを書くことになったかと言えば、最近、精神を病んで退団した先輩がいたからだ。ただでさえ人手不足なので、今いる団員の引き止めに必死なのだろう。
適当に書き終えて封筒に入れた。あとは上官に提出すればいい。
「あー。俺、カウンセラー頼もうかなぁ」
朝食の席で同期のエリックがそんなことを呟いたので、ニールは驚いて尋ねた。
「どうしたの。眠れないとか?」
「……いや、自分と他人の実力の差が辛くて、みたいな?」
エリックがそんなことを気にしているとは、ニールは知らなかった。
「でも、エリックは魔力操作が細やかで強化魔法が上手いし。攻撃魔法の狙いも正確だし。別に悩まなくても」
「お前がそう言ってくれるのは嬉しいよ」
ありがとな、とエリックは苦笑した。
ニールが席を立った後、エリックはため息をついた。
「本当にあいつ、自覚がねぇなあ」
退団した魔法士を追い詰めてしまったのはニールだ。とはいえ、どう見ても自滅だった。
ニールが「落ちろ」と唱えれば、飛べなくなったワイバーンが空から降ってくる。「凹め」と唱えれば地面には大穴が開くし、それを埋めるのも一瞬。頑強なジェムタートルの甲羅も難なく貫く。同時に使用できる魔法の上限は本人もよくわかっていないという。
ニールの魔力量は団長、副団長に次いで団内三位に位置している。要するに、化け物なのだ。
しかもこの化け物、奨学金で魔法学校を卒業した孤児である。どこぞの貴族の御落胤というわけでもないらしい。
退団した魔法士は、自身の家柄と魔法の腕を誇っていた。たぶん、他に何もなかったのだろう。見下していた庶民に何一つ勝てず、プライドが高い伯爵令息はポッキリと折れてしまったのだ。もちろん、原因は他にもあったのだろうが。
「まあ、結局は。自分と他人を比べるなってことかねぇ……」
エリックの独り言に、聞こえる範囲にいた魔法士が二人、うんうんと頷いていた。