胸の鼓動を震わすもの
それだけを求めて行きていけばいい。
心が動くもの、感性が動くもの
豊かな人生って、そういうもので形づくられてると
近頃そう思うのです。
胸の鼓動を震わすものは歳を重ねるごとに、悲しいけれど、少なくなっていくもの。
蟻の行列に心踊らせていたのに
間近にせまった夏休みに心踊らせていたのに
校庭に積もった薄い初雪に心踊らせていたのに。
だから日々、探しに行くのです。
いそがしすぎて大人になってしまった、この心を震わせる何かを。
日々、それを求めて生きていけばいいのです。
考えることが多すぎて疲れてしまったこの胸の、鼓動を小さく震わせてくれる何かを。
まだ微かに働く
触覚と嗅覚をフルオープンにして。
踊るように、暮らす。
踊るように、生きる。
踊るように仕事をして、踊るように人と会う。
すべては旋律に乗って、ただ流れていく情景。
軽やかに。
華やかに。
羽のように。
踊るように。
自分を大切に、機嫌よく生きるための心持ち。
思い浮かべてみる。
波打ちぎわ
白く泡立つ水に砂が巻き込まれ
その隙間でコロコロとひるがえる小さな貝殻
何度もくりかえし寄せてくる波のカーテンに
カラカラ、コロコロと踊る、薄桃色の小さな貝殻。
何度も
何度も
どこかへ行ってしまいそうなのに
砂に受け止められて攫われず
また波に手を取られてヒラヒラ揺れる
そんな光景を思い浮かべてる瞬間
私の脳みそは思考を忘れ、言葉を手放す。
その瞬間
真っさらで真っ白な自分に帰る、ほんの数秒。
頭をからっぽにして
過ごすコツ。
きらめき、という言葉でパッと浮かぶのは、15歳の娘。
小学校3年生から学校に行かなくなり、あーだこーだトライアル&エラーを繰り返してるうちに、いつの間にか6年も経ってしまった。
中学3年生になった彼女は今、学校ではない場所で大好きなことに熱中し、たくさんの仲間に囲まれて過ごしている。
仲間と一緒に泣いたり、笑ったり、夢中になって大きな作品を作りあげたこの夏。
彼女にとって宝物のような夏だったに違いない。
不登校という世界で、親も娘も悩んだり苦しんだりの6年間だったけど、今目の前にいる彼女はとてもキラキラと輝いている。
娘が変わったんじゃない。
親が成長したのだ。
小さな小学生だった娘も、今と変わらずキラキラした存在だった。
なのに「学校に行かない」という一点が、親の目を曇りに曇らせ、彼女の輝きが見えなくなっていた。
曇ったメガネを外すのに、6年もかかってしまった。
それがどれだけ娘を苦しませてきたのだろうと。
そう気づいた日から、決めた。
この先、ぜったいに曇ったメガネをかけない。
キラキラときらめいて輝く彼女を見逃さない、と。
まっすぐ生きる15歳の娘の存在は、とても眩しい。
些細なことでも、ストレスの原因は取り除く。
これが「自分を大切にする」ということだと思う。
ちょっとだけ我慢すればスルーできそうな、小さなストレス。
例えば首元がチクチクするニット。
じんわり暑い28℃設定の冷房。
何かをするたびにひっかかる、指の小さなささくれ。
妥協して買うコンビニパスタ。
日々生きていたら、そんな小さな我慢やストレスは無限に湧いてくる。
スルーできるくらいの小さなイライラだけど、積み重なると不快感が澱のように心にたまる。
些細なことだけど、自分が心地よくないと感じることを見過ごしてはいけない。
チクチクするニットはすぐに脱いで、柔らかく肌を包む服に着替える。
じんわり暑いときは、ケチらずに冷房を強める。
ささくれは爪切りで切って、絆創膏を。
パスタは美味しいパスタやさんで堪能する。明日のランチが納豆ごはんになってもいいじゃない。
些細なことで、自分を大切にすることができる。
自分を大切にすると、不思議とまわりも自分を大切に扱ってくれるようになる。
澱みのない心地よい自分で、日々ごきげんに過ごしていきたい。