―大地に寝転び雲が流れる・・・目を閉じると浮かんできたのはどんなお話?―
「あれ…」
目が覚めると私は大地に身体を預けて
横になっていた。
ここは…どこなんだろう。
こんなところで横になった覚えはない。
それどころか、ここに来たこともない。
身体を起こすと、そこは広く広く、
果ての見えない大地で、
吹き付ける風が草を揺らしていた。
ここにはたぶん、誰もいない。
花も虫も鳥も、それから、私を遮る人たちも
ここにはいない。何もない。
そう思うと気が楽になった。
ようやく肩の荷が下りたみたいだ。
再び寝転び、長い息を吐いた。
なんだか、息をする隙間もなかった心に
やっと酸素が流れてきたような感じだ。
初めて息ができたような気分。
スっとする。気持ちいい。
空を見上げれば雲がゆったりと流れている。
風が私を洗ってくれている。
目を閉じればいつか昔に見た景色。
水平線に沈む夕日を背に、
穏やかに微笑んだ君が私の頭を撫でてくれる。
「もう大丈夫だよ。よく頑張ったね」と。
私、頑張ったよ。
君がいなくてもちゃんと、できたよ。
だから…君は手を広げて、
私を迎えてくれるかな?
「…うん。待ってるよ」
君は目を細めて上手に笑った。
私も、君と同じように、笑えた。
たぶん。
―「ありがとう」そんな言葉を伝えたかった。その人のことを思い浮かべて、言葉を綴ってみて。―
ゴールデンウィーク間近の週末、
母方の祖母の家を訪れていた。
いらっしゃい
よく来たね
遠いとこからご苦労さま
と、祖母は歓迎と労いの言葉を掛けてくれた。
祖母の家に行けば当たり前の光景だが、
今日は、いつもとは違う、緊張感を
帯びていた。
そう、今日は祖母の旦那さん、
つまり私の祖父の命日なのだ。
その後は特にどうということもなく
各々で自由に過ごしていた。
すると、棚を整理していた祖母が
声を上げた。
見覚えのないDVDが出てきた
と。
特に大きく反応を示したのは私の弟で
“謎のDVD”に興味があるようだ。
暇つぶしとしては最適だということになり
早速DVDプレーヤーに円盤を差し込んだ。
テレビに映ったのは昭和時代の
ビデオテープか何かで撮った映像と
思われる、古めかしく荒い画像のもので、
小学生時代の母や、その友人や近所の人たちで
キャンプをしている場面だった。
そこには祖母も母の弟も映っていた。
つまりは…
祖父も映っていた。
それを見たその場の人たちみんなは
それぞれの反応を見せた。
このDVDが見つかったときから
そこまで反応していなかった私の父は
いつも通りの無表情だったが、
その目はいつもより少し見開かれていた
ように見えた。
古めかしい映像が物珍しく、
興奮していた私の弟は
その場の空気なんて気にもせず、
あ!さっき映ったおじさん、じいじに
似てるー!ねーねーおかあさん!
あの人ってじいじ?
なんて、上擦った声で騒いでいた。
一方、母は息子の言葉を他所に
目を見開いてあんぐり口を
開けていて、その瞳は微かに揺れていた。
それに対し、祖母は
あらほんと
じいじも映ってるわねぇ
こんなに若いじいじ、久しぶりに見たわ
この頃の髪型の似合わなさと言ったら!
あぁ…懐かしいわねぇ
なんて1人で昔の記憶に入り浸っている。
祖父は暖かい人だった。
いつも笑みを浮かべていて、
その寛大さの表れなのか、
私は祖父が怒っているところを
見たことがない。
私に花札や坊主めくりを教えてくれた祖父。
囲碁に集中している途中に話しかけても
拒んだりせず、
一緒にやるか?
と笑いかけてくれた祖父。
本当に面白い人だったし、知的な人でもあり、
他にも思い出がたくさん。
気づけば緊張感は消え、
リビングはいつも通りの暖かな
雰囲気に戻っていた。
みんな清々しく穏やかな表情でテレビを
見つめていた。
それは今は亡き祖父がつくりだした和やかさ。
伝えきれなかった感謝を今、
天に向かって呟いた。
ありがとう、おじいちゃん
―楽園―
小さい頃から楽園で過ごしていた
温かい食事は毎日3食ずつ食べられる
自由に遊べる環境はもちろん
一般的な人の知識は得られるように
学習できる環境も与えられてる
マザーはいつでも完璧な愛情をくれるし
周りの子供たちもみんな仲が良く
いつもみんなで生活していた
それが本当の楽園だと思っていた
今目の前で起こっていることこそが
この世界の秩序であり現実であり
今までの楽園は全部偽りの幸せだったと
知ってしまうまでは
―風に乗って―
ひんやりと少し冷たい風が吹く
私の心が冷たい風に朽ちていく
このまま風に乗って
痛みなんて忘れて
頭空っぽで生きたい
このまま風に溶けて
誰からも忘れられて
私の跡ひとつも残さずに
消えてしまえたら
―生きる意味―
人はね、幸せを感じてからしか
死ねないの
幸せを見つけるまで死なない
だから、幸せを探すために生きるの
死ねないから生きるなんて、
皮肉に感じるでしょう?
私もかつてはそうだった
でもね
もう少し生きれば、そうでも無くなる
人は生きてさえいれば
毎日成長する
生きているうちに色んな考え方を知って
色んな生き方を知れる
考え方が変われば、人生って、
ものすごく明るいものになるんだよ
もし少しの幸せでも
感じられるようになったら、
生きる理由っていうのが、
新しく生まれてくる
それまでは、人のためにでもいい
生きる理由が見つからなくたっていい
存在意義を見出せなくても、
生きる価値を知らなくても、
とりあえず生きてさえいれば
それでいい
人が生きることに
意味とか理由なんて要らない
意味のない無駄なことだって
自由にできるのが、
人間とそれ以外の生き物との
違いなんだから