幸せとは
幸せとは、なんて日々改めて考えることはないけれど、
当たり前のように、
美味しいご飯を食べた時や、
最適な温度の湯船に浸かった時、
ふかふかの布団に入った時は、
「あぁ、幸せ。」
と、思わずふと声が漏れていることがある。
だけど、それらが当たり前じゃないことを知っているからこそ、そんな風に思えるのかもしれないな、と思ったりもしている。
お題
幸せとは
日の出
「初日の出が見たいの。」
何かの折にそう言った私の言葉を彼は覚えていてくれた。
そして、その願いを叶えるべく、気の遠くなるような渋滞とさざ波のように押し寄せてくる眠気と闘いながら、冬の海を目指している。
大晦日の話である。
私は助手席で暖房に温められ、うつらうつらうたた寝を始めていた。
何度か目を覚ましながらも、変わらぬテールランプの群れに再び目を閉じるのを繰り返すこと数回。
ギィー
サイドブレーキを引いた音で目覚めた私は、自分が乗った車が海岸沿いに停められたことを知った。
「着いた?」
「あー、一応な。」
何とも歯切れの悪い彼。
辺りを見回すとぼんやり明るくなっているではないか。
「太陽は?」
「方向的にはあっちだな。」
渋々彼が指さす方向には白灰色の分厚い雲がかかっている。
すでに明るくなっているということは、恐らくはあの分厚い雲の向こうに太陽は出てしまっていて、しかも隠れてしまっているのだ。
何とも残念な結末に、私は彼にかける言葉もなかった。
実は遡ること数年前、私は彼とは違う男性と初日の出を見たことがあった。
その人は私よりもだいぶ年上の何もかも手に入れたあとの男性だった。
その時に見た日の出があまりにも綺麗だったから、彼ともう一度見たいと思ったのだ。
「何か食いにいこうぜ。」
すっかり拗ねてしまった同い年の彼は、不機嫌を隠すことなく車を発進させた。
さして器用でもない、愛情表現だってかなりトンチンカンな彼は、翌年私の夫になった。
二十五年たった今でも変わらずこんな感じだ。
でもそれでいい、嫌それがいいのだ。
お題
日の出
今年の抱負
今年の抱負は?
と聞かれて「現状維持」なんて簡単に答えていたこともあったけれど。
やっぱりそれじゃいけないと心を入れ替えました。
何であれ一歩前進を目指し、それが無理ならせめて後退しないよう、それさえ無理なら後退することさえ潔く受け入れようと思うこの頃です。
実際「現状維持」ほど難しいことはないんだけどね。
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今年の抱負
新年
新しい年が明けた。
私が子どもだった昭和後期、日本にはまだ幾分、今よりもお正月らしさが残っていたような気がする。
うちから一本道を隔てたところにある商店街は、いつもなら八百屋や魚屋のおじさんの威勢の良い呼び込みの声が響いているが、お正月はほとんどの店にシャッターが下ろされている。
その寒々とした灰色の蛇腹の面には、揃えたように謹賀新年のあいさつと年始の仕事始めの日が書かれた縦長の印刷物が張り出され、町自体もいつもとは打って変わって閑散としていた。
一方、新年が明けた我が家では、食卓に母が用意したおせちやお雑煮が祝い箸と共に所狭しとひしめき合っている。
祖母を始めとして、父母兄そして私の五人でこたつを囲むのが新年の習わしだ。
こたつの中ではすでに猫のミミがど真ん中の一番良い場所を確保していた。
いつもならここからこたつの陣地取りの兄妹喧嘩が始まるところだが、この朝だけは平和だった。
なぜなら強制的に正座をされられているためだ。
ミミにとって元旦のこの朝だけはこの上ない居心地の良さだったに違いない。
家族で囲む新年初めての食卓は、いつもよりもピリッとした空気が漂っていた。
「さあ、お父さん。」
母から促され、父が新年の言葉を述べる。
「あけましておめでとう。今年もそれぞれが努力して充実した年にするように。」
これは主に兄と私に対しての言葉だ。
「はい。」
二人揃って返事をすると、続いて念願のお年玉の配布となる。
父と祖母からそれぞれポチ袋に入ったお年玉をもらう。
もうこれで八割方、お正月の目的は達成したも同然だ。
そこからようやく食事が始まるのだが、子どもである私にとって食卓の上のどのご馳走よりも、お年玉のことで頭がいっぱいだった。
翌日二日には、おじさん一家が我が家を訪れ、いとこたちと近所のおもちゃ屋(ここだけは毎年二日から開いていた)で年に一度の散財をしたり、羽付きや凧揚げをして遊んだ。
そう言えば、まだこの頃の日本にはゲームもパソコンも、もちろんスマホもなかったな。
退屈ではあったけれど、なかなか趣があって豊かな時代だったように思う。
ちなみにZ世代におせちの中で一番好きな物は?と聞くと、唐揚げと答えるそうだ。
世も末だ。
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新年
良いお年を
令和の今、自分が子どもの頃のお正月と比べると、だいぶ様変わりしてしまったと感じる。
スーパーは年末ギリギリまで開いているし、商業施設に至っては年始早々初売りのノボリが立つところさえある。
かつて保存食だったおせちも現代では味が濃過ぎるということで不人気らしい。
年賀状だって今ではすっかり廃れてしまった。
年明け早々に送り合うLINEで十分事足りてしまうからだ。
子どもも大人も一年中、いつでもどこでもスマホやゲームに夢中だし、お正月だってそれは変わらない。
実際、今の日本ではお正月らしさなど形ばかりのものになってしまった。
それでもこの一年、何とか無事に過ごせたことを感謝する気持ちは、時代が変わっても変わらない。
何かと大変な時代を共に生きる友として、仲間として、
みなさんどうぞ良いお年をお迎えください。
お題
良いお年を