寂しさ
一人でいることが寂しいのは当たり前のことだ。
問題は二人でいるのにさらに寂しい思いをしているということ。
これはもう、本当に大問題だ。
他の誰かで埋められるのならそれでもいいか。
根本的な解決にはならずとも、とりあえずの寂しさを埋めることは出来るのだから。
寂しさは体に良くない。
もちろん心にはもっと良くないものだ。
大人になるとそんな解決の仕方もあるのだと知る。
私も汚れたなと思う。
でも構わない。
寂しさを抱えて朽ちていくより、ずっと健全な方法なのだから。
お題
寂しさ
冬は一緒に
あなたと一緒なら怖いものなどなかった。
周りの視線も噂話の類も
そんなもの簡単に跳ね除けられると思っていた。
それくらい純粋な気持ちだったから、もしかしたら許されるのではないかと勘違いしてしまった。
でも間違いだった。
そう気付くまでに、そしてそれを受け入れるまでにずいぶんと時間が掛かってしまった。
冬は一緒に
春こそ一緒に
夏なら一緒に
せめて秋なら
そうして叶わない季節の繰り返しを何度したことか。
あなたの弱さを責めることで、私はどうにか自分の心を保つことが出来たのです。
もうあんな恋はしたくない。
草食男は懲り懲りです。
お題
冬は一緒に
風邪
喉が痛い。
冬特有の扁桃腺の腫れを感じる。
何もこんなことで季節感を感じたくはないのだが。
頭も痛む。
あの人にそう言ったら、いつもよりも長めに首筋をマッサージしてくれた。
それでも私は機嫌が悪い。
どうやら原因は風邪だけではなさそうだ。
覚えていて当たり前のことをあの人は忘れていた。
マイナス三十点。
大幅な減点だ。
風邪に効くお茶だよ、苦いけど飲んでごらん。
苦い、想像以上に苦い。
とても飲める代物ではない。
あと五点減点した。
お題
風邪
雪を待つ
どうしよう涙が止まらない。
不安や不満や不信感や
不謹慎や不道徳や不確かや
そんな不のつくものばかりに埋め尽くされそうになっている。
だから嫌だと言ったのに、あれほど断り続けてきたというのに。
雪を待つ?
そんなの知らん。
私が待つのは雪などではない。
平穏だ、心の凪だ。
お題
雪を待つ
イルミネーション
ざっくり分けると世の中には内側を飾る人と、外側を飾る人の二種類がいると思っている。
もちろんその真ん中の人もいるし、どちらかに偏りがあることをグラデーションと捉えるならば、とても二種類には分けられないが。
まぁそれはそれとして。
「家の外を飾るなんて馬鹿げてるよな。わざわざ金を掛けて他人を楽しませるくらいなら家の中を飾る方がマシだ」
まだかろうじてリビングに夫がいて、何となく点いているテレビを夫婦で見ていたときのことだ。
巷にLED電球が普及し、クリスマスシーズンになると一般家庭でも家の外をイルミネーションで飾ることが流行り始めていた。
その当時の会話だ。
嫌、たしか夫がそう言い放ったあと私は黙り込んでしまったのだった。
だから、正確には会話とは言えないかもしれない。
画面に映った家の塀には、ぐるりと煌びやかな豆電球の粒が散りばめられ、玄関先には二頭のトナカイが鎮座し暖色の光を放っている。
よく見ると、サンタクロースがカラフルな梯子を使って家の壁を登っている最中だった。
「いいなー、うちもあれやりたい!」
とっさにそう言いそうになっていた私は慌てて口を噤んだ。
もちろん言ってしまったってよかったのだ。
むしろ言ってしまった方がよかったのかもしれない。
あの時、もしも私がそう言っていたら、旦那は「えーホントかよ、本気で言ってるの?」などと口では言いつつも、望みを叶えてくれたかもしれない。
それくらいの度量や優しさは持っている人なのだから。
でも私は言えなかった。
馬鹿げていると思われること以上に、あまりにも夫と価値感がかけ離れていることにショックを受けてしまったからだ。
それ以来、また少し夫との距離は離れた。
ささやかな小さな灯りが、知らない誰かの心をそっと温めていることを大切だと感じる私は恐らく少数派なのだろう。
そして、そんな考え方をする人間がこの世に、しかもこんな身近にいることを、たぶん夫は一生気付かないのだ。
お題
イルミネーション