夢と現実
「夢占いに通っているのよ。」
彼女は嬉々として私に告げた。
いくつか年上のご近所の奥さんの話だ。
彼女とはこの十年来、私が今の家に越して来てから付き合いらしい付き合いはなかったが、今年の春、町内会の係をペアですることになったことで初めて関わりが出来た。
「そこの占い師さんとっても当たるって有名なのよ。ほら、そういうのって怪しいじゃない?私も元々は疑ってかかってたんだけど、彼女だけは違うの、本物なのよ。」
本物?
たしかにその占いの店は知る人ぞ知る有名店だ。
都心から電車で小一時間、ある地方都市の何でもない商店街の中にその店はある。
いわゆる若いカップルがキャッキャしながら遊びの延長で立ち寄るポップな店でない。
どちらかと言えば、いい歳をしたまともな見た目の大人たちがお忍びで通うような割とガチめな店だ。
かくいう私も、白状すると数年前占いにはまっていた。
今思えば安くない授業料を払い、僅かばかりの心の安寧を買っていた頃がある。
だから、占いを信じる人をバカにする気はさらさらない。
むしろ、正攻法でありとあらゆる方法を試し、努力を重ね、それでもダメだから占いに行き着いたのだと思えば理解も出来る。
例えば、夢と現実を一本の線上で左右に分け、左を夢、右を現実とするならば、今現在占いにどっぷりはまっている近所の奥さんは、左の一番端にいると言える。
一方、当時占いに通うだけでは事足りず、本格的な占い師になるべく占いの教本を取り寄せ勉強までしていた私だが、今ではすっかり目が覚め、右の一番端にいる。
占いを信じ、夢の中でふわふわと生きる期間も人によっては必要なのかもしれない。
そして、そこから立ち直り、現実に立ち向かう気力と体力と知力を取り戻したらまた戻ってくればいいのだから。
お題
夢と現実
光と闇の狭間で
キラキラした自分を装うことができる。
自分の意思に反して微笑むことも別段苦ではない。
いわゆる世間で言うところの、私は愛嬌のある女だ。
いつの頃からそうだったのか、定かではないが、おそらく物心つく前からそうだったのではないかと踏んでいる。
その証拠に、私の小学校の通信簿の先生からのコメント欄には六年間を通して、八方美人、お調子者の文字が常連だった。
八方美人て何だろう?
私自身、その言葉の意味すら知らない頃から、周りの大人たちにはそう評価されていたのだ。
同級生の間でも、私は常に明るく、いつも友達に囲まれているイメージだったと思う。
それは、決して嘘ではないが真実とも違う。
あくまでみんなの目に映る私は実像ではなく、虚像だからだ。
八方美人とは、どこから見ても欠点のない素晴らしい美人。
これが転じて、誰からもよく見られたいと愛想よく振る舞う人に使われる蔑称らしい。
たしかに、私は誰からもよく見られたい、というより少なくとも人を嫌な気分にさせたくないと思って日々生きている。
愛想よく振る舞うのはそのためだ。
そうか、八方美人は褒め言葉ではなかったのだな。
何となくそんな気はしていたが、やっぱりそうか。
とはいえ、短くない人生これ一本でやってきた私としては、今さらどうすることも出来ない。
何しろビシッと一本筋の通った正真正銘の八方美人なのだから。
家族の前ですら気は抜けない。
ペットの前ですら良い顔をしている自分がいる。
もうここまでくると病気だなと思う。
重々自覚済みだ。
一日が終わる頃、私は自室に籠る。
すべての人や物をシャットアウトし、キラキラを自分から剥ぎ落とし、微笑みの皮を脱ぎ去る。
決まって年に数日ほど、生きる意味を見失うことがある。
あれ?私何やってるんだ?と自己嫌悪の沼に堕ちていく感覚を味わう羽目になる。
いわゆる闇の期間だ。
でも、それも長くは続かない。
そして、それ以外の大半の日は、光と闇の狭間でキラキラニコニコの八方美人生活を楽しんでいる。
良くも悪くもない。
ただただ私はそういう人間なのだ。
お題
光と闇の狭間で
距離
距離感が近いとか遠いとかは、あくまでも自分のものさしである。
あ、人間関係の話です。
勝手に距離感が近いと思っていた友達が、ある日自分よりも他の友達と仲が良いことが分かりショックを受けた学生時代。
内心裏切られたような、悲しい気分を味わった苦い思い出。
えーなになに、私も仲間に入れてよー
おバカになった振りでそうおちゃらけて見せたら、あんな思いは味合わなくて済んだのだろうか。
女の子ってこういうのあるよね。
もう何十年も前のことなのにまだ傷付いている私がいる。
おいおい繊細かよ。
白状します。
はい。私は繊細な人間です。
悪いかっ。
お題
距離
泣かないで
人前で涙を見せることが苦手だ。
そこそこプライドが高く、負けず嫌いでもある私。
そんな私だが、かつて一度だけ人前で大泣きしてしまったことがある。
それもしゃくり上げるタイプのかなり激しいやつだ。
それは、もう三十年以上前、初めての恋人との別れの場面だった。
しかも、別れを切り出したのは私の方なのに。
当時、学生だった私は、仕事が忙しくて会えない彼との付き合いに身も心も疲弊してしまっていた。
当時の日本はバブル真っ盛り、彼は野心に燃え二十四時間休みなく働く企業戦士だったのだ。
今みたいにスマホやらLINEやらの文明の利器の恩恵が受けられなかった時代、連絡はもっぱら家電に掛かってくる彼からの電話が頼りだった。
悲しいことに、彼とは誕生日もクリスマスも、バレンタインですら一緒に過ごした記憶がない。
なので、クリスマスに渡すはずだった手作りクッションはバレンタインをだいぶ過ぎた頃、やっと会えた何でもない休日に渡したのではなかったっけ?
悲しい話だ。
別れを決めたのはその数ヶ月後。
たしか夏の始めの頃だったと思う。
私の誕生日が夏なので、その誕生日を一緒に過ごしたいという男の子が現れたためだ。
別れの当日。
私はユーミンのSWEET DREAMSが入ったカセットテープを用意して、彼の車で一緒に聞いた。
著作権の都合でここには書けないが、おそらくこの歌の歌詞が当時の自分の気持ちとリンクしていたのだろう。
これを聞いてもらうことで別れとしたかったのだ。
もうすでに私は車の中から号泣で、さらに気分を変えようと入ったAT&Tのカフェでは大号泣だった。
よくぞ人前でここまで泣けるなってくらい泣きに泣いた。
彼はただただ泣きじゃくる私に付き合ってくれ、泣かないでとは言わない代わりに引き止めてもくれなかった。
当時、私は十七歳、彼は二十三歳。
当時はすごくすごく大人に見えていた彼も、今思えばまだまだほんの大人の入口だったのだな。
きっと、あの日は相当恥ずかしい思いをさせてしまったな。
これを書くために久しぶりに思い出した彼は、やっぱり優しくて素敵な彼だった。
風の便りでどうやら出世の道からは離脱したらしいが、きっと彼らしいパワフルな人生を送ってきたことだろう。
この先も彼に幸あれと願いたい。
お題
泣かないで
冬のはじまり
数日前からあいつが来ている。
ふとした瞬間にピリピリと感じるアレだ。
私の場合は決まっていつも右だけ。
奴とはもう何十年もの付き合いだ。
あ、言っとくけど静電気じゃないよ。
あいつもたしかに困った奴ではあるけれど。
ここ数年は漢方薬を飲んだり、足湯をしたり、かなり温活に励んでいるのだけれど。
やっぱり今年もやって来やがったか。
いよいよ冬のはじまりだ。
そう、奴の名は肋間神経痛。
私にとっての憎き冬場の天敵だ。
お題
冬のはじまり