泣かないで
人前で涙を見せることが苦手だ。
そこそこプライドが高く、負けず嫌いでもある私。
そんな私だが、かつて一度だけ人前で大泣きしてしまったことがある。
それもしゃくり上げるタイプのかなり激しいやつだ。
それは、もう三十年以上前、初めての恋人との別れの場面だった。
しかも、別れを切り出したのは私の方なのに。
当時、学生だった私は、仕事が忙しくて会えない彼との付き合いに身も心も疲弊してしまっていた。
当時の日本はバブル真っ盛り、彼は野心に燃え二十四時間休みなく働く企業戦士だったのだ。
今みたいにスマホやらLINEやらの文明の利器の恩恵が受けられなかった時代、連絡はもっぱら家電に掛かってくる彼からの電話が頼りだった。
悲しいことに、彼とは誕生日もクリスマスも、バレンタインですら一緒に過ごした記憶がない。
なので、クリスマスに渡すはずだった手作りクッションはバレンタインをだいぶ過ぎた頃、やっと会えた何でもない休日に渡したのではなかったっけ?
悲しい話だ。
別れを決めたのはその数ヶ月後。
たしか夏の始めの頃だったと思う。
私の誕生日が夏なので、その誕生日を一緒に過ごしたいという男の子が現れたためだ。
別れの当日。
私はユーミンのSWEET DREAMSが入ったカセットテープを用意して、彼の車で一緒に聞いた。
著作権の都合でここには書けないが、おそらくこの歌の歌詞が当時の自分の気持ちとリンクしていたのだろう。
これを聞いてもらうことで別れとしたかったのだ。
もうすでに私は車の中から号泣で、さらに気分を変えようと入ったAT&Tのカフェでは大号泣だった。
よくぞ人前でここまで泣けるなってくらい泣きに泣いた。
彼はただただ泣きじゃくる私に付き合ってくれ、泣かないでとは言わない代わりに引き止めてもくれなかった。
当時、私は十七歳、彼は二十三歳。
当時はすごくすごく大人に見えていた彼も、今思えばまだまだほんの大人の入口だったのだな。
きっと、あの日は相当恥ずかしい思いをさせてしまったな。
これを書くために久しぶりに思い出した彼は、やっぱり優しくて素敵な彼だった。
風の便りでどうやら出世の道からは離脱したらしいが、きっと彼らしいパワフルな人生を送ってきたことだろう。
この先も彼に幸あれと願いたい。
お題
泣かないで
冬のはじまり
数日前からあいつが来ている。
ふとした瞬間にピリピリと感じるアレだ。
私の場合は決まっていつも右だけ。
奴とはもう何十年もの付き合いだ。
あ、言っとくけど静電気じゃないよ。
あいつもたしかに困った奴ではあるけれど。
ここ数年は漢方薬を飲んだり、足湯をしたり、かなり温活に励んでいるのだけれど。
やっぱり今年もやって来やがったか。
いよいよ冬のはじまりだ。
そう、奴の名は肋間神経痛。
私にとっての憎き冬場の天敵だ。
お題
冬のはじまり
愛情
愛情ほどあてにならないものはないと思っている。
相手のためを思ってしたことが、実は回り回って自己満足だと気付いてしまったときの情けなさといったらない。
愛情を注げば注ぐほど相手に見返りを求めてしまうのが人の性ならば、私たちはどう人と繋がっていけばいいのだろう。
無償の愛の代名詞として使われる親子関係でいうところの親の愛だって、突き詰めれば無償の愛などではないのだよ。
優しい子になるように、
人様に迷惑をかけることのないように、
出来たらお勉強もほどほどに出来るようになってくれたら、
そんな親の欲にまみれにまみれたものが無償の愛であるわけがないのだ。
あー、なんか私疲れてるのかも。
誰かー、私に無償の愛をください。
お題
愛情
微熱
「あーなんか熱っぼいな。」
リビングに入ってくるなり、誰に言うでもなく、独り言にしては大き過ぎる声量で夫が言った。
電子体温計を見つけ出し、おもむろに脇に差し込む。
私は撫でてくれと付き纏う犬の背中を優しく撫でてやりながらチラと夫を見た。
ピピッと電子音が鳴り、体温計を引き抜く夫。
「やっぱりかー、三十六度七分。うん、熱があるな、微熱だ。」
夫は満足気にこちらを向き、体温計の先をチラチラ振ってみせる。
私はその姿を見て無性にイライラしてしまった。
この感情に名前を付けたい。
どうせろくな名前にはならないだろうけど。
足元では、犬がまだ私に撫でろと催促し続けている。
お題
微熱
セーター
母が初めて私にセーターを編んでくれたのは、たしか私が小学五年生の頃だったと思う。
「編み物を始めるの。」
当時からじっとしているということがなかった母は、仕事のかたわら家事をテキパキとこなし、書道や弓道、洋裁や和裁など、すでに趣味を超えた範囲で嗜んでいた。
その母が編み物を始める、と嬉々として私に言ったのだ。
当時、反抗期が始まっていた私は母の趣味になどもちろん興味はなく、いつものように軽く聞き流していた。
出来上がった母の一作目のセーターは、お世辞にも良い出来とは言い難かった。
首周りのゴム編みは伸び切ってダルダルだったし、ところどころ編み目が飛んでもいた。
それでも、兄でもなく、姉でもなく、私のために編まれたピンク色のそれはふかふかで温かく、何よりも母の気持ちがこもっているような気がした。
兄弟姉妹がいる人には分かってもらえるだろうか。
どんなに親が差別なく平等に子どもたちを育てたとしても、兄弟姉妹に対する嫉妬や妬みの感情はゼロにはならないものだ。
残念ながら、そのセーターはもう手元にはないけれど、くすんだピンク色の何とも言えない可愛らしさや、手触り、首周りの伸び具合まで、今でもはっきりと思い出すことが出来る。
齢八十を越えた母は、昨年父を見送ったあと、しばらくはもぬけの殻だった。
十年以上の期間、介護が必要な父のためだけに尽くしてきた母。
もう復活は見込めないのかと思うくらい気弱になってしまった母だったが、今年に入り奇跡的に復活を遂げた。
地域のゴミ拾いボランティアや区民体操、手芸教室と毎日忙しく動き回っている。
そうそう。
そう言えば、最近はまた新たに写経を始めると言っていたっけ。
お題
セーター