理想郷
そこは私を傷つける物が無い場所
そこは私を傷つける物が無い場所
そこは私を傷つける物が無い場所
懐かしく思うこと
友達と会うとよく中学生の頃の話とか
その後の一緒に過ごした時を振り返る。
あんな事あったね、あの時こうすれば良かった!
笑いながらもう随分と経ったあの頃の話をする。
そうして私達は、語りながら写真や動画の中で、
私達がその頃を生きてるのを確認した。
歳を重ねるって、
きっと忘れられない記憶が増えていく素敵な事。
もう戻れないけど、あの頃の私達は子供なりに背伸びして
一生懸命最善を尽くそうとしてたんじゃないかな
きっとまた、しばらくすると〝懐かしく思うこと〟が
増えて友達と語り合うのはまた別の話
もう一つの物語
ある一人の少女が居ました。
その少女は人の表情や顔色、話す声色で
相手の考えている事が読める子でした。
少女はみんなの願いを叶えてあげたいと思い、
融通を利かせていました。
するとどうでしょう!
最初1だった欲求が3になって10に
なるではありませんか!
少女は気づいてしまったのです。
彼らは私に感謝をしているのでは無く、
〝都合の良い存在〟で居てくれる事に感謝しているのだと
お題難しかったです、、
暗がりの中で
あー、ここ知ってる。これで何度目だろう。
今回は何処まで深く落ちたかな?
毎度思うのは、この拭いきれない嫌悪感。
周りの人の様に「普通に」生きようとしてここに来る。
頑張ったの。普通の人に追いつける様に。
どんどん落ちている事に気付きながら、
見ないふりしてたらここに居た。
もう立ち上がらなければ、立とうとする心を
壊してしまえば、目を開けるのを拒むのに
無理矢理開かせようとする「現実」という
日射光が無ければ
私が私で居られるのに。
紅茶の香り
保育園に通っていた私は、パーティで出てくる紅茶が苦手だった。飲めるようになったのはいつだったか覚えていないが、きっかけは温めた紅茶が美味しいと気付いた時だろう。紅茶なんて小洒落た人が好む物だと思っていた。良さも分からなかった。紅茶は味だけでなく香りを楽しむ物だと気付いたのはここ最近だ。私にとって紅茶の香りは、人を待つ匂い。人を想い持つ匂いだった。それは保育園の縁日で母が来るのを待つ匂い。今になっても冷えた紅茶は嫌いだし好きでは無い。ふとあの待っている時の孤独感を思いだすから。