人との距離感は、
信頼や親密度によって
変化する。
日本は
海外に比べて、
人前では
あまり、
スキンシップを
取る方ではない。
最近では、
若い子達が
かなりな
密着度で、
スキンシップを図っている。
でも、
それも、
良いなと
思う。
仲の良い
幸せな、
顔を見れるし、
仲良くなった、
次の段階としては
手。
老若男女問わず
仲良く
手を繋いで
歩く姿は
ほのぼのとしちゃう。
小さな可愛い
子供達に
そんな姿を見せられると
顔が
綻んでしまう。
また、
高齢のご夫婦が
手を繋いでいる姿も、
いいなぁと
羨ましくなりますね〜
まあ、
高齢の方の場合は、
転倒を防ぐ意味でも、
仲良し夫婦には
推奨します。
手の温もりは
お互いを信頼し、
安心できる
行動。
若い頃は
お付き合いし始めて
手を繋いた時は、
心臓バクバクでしたね❤️
安心して、
手を繋いでくれる
素敵な人
いないかしら?
ふふっ。
母が、
高齢者となり、
体も思うように
動かない、
ゆっくりとした、
動きになる。
兄の自宅近くの
高齢者施設にいたが、
私達姉妹の
住む町に
来た。
いろいろな
手続き、
緊急連絡先は
全て
私となる。
タイミング悪く、
感染症が
流行り出し、
思うように
会いに行ったり、
お出かけさせてあけれなくて、
申し訳ない
気持ちで一杯になる。
その頃と
私の元夫との別居生活が始まり
母には言えず。
母も、姉も、
何も言わなかったけど、
今、思えば、
全てわかっていたと思う。
母には、
八つ当たりしてしまう事もあった。
母が亡くなる、
半年ほど前に、
母から
ハグを求められて、
無情にも、
断ってしまった。
そんな、
私を
静かに
見守ってくれていた。
後悔しても
仕切れない
毎日。
どんな
姿でも、
わがままでも、
母の
存在の偉大さは、
今更
痛感する。
お母さん。
ごめんね。
そして、
ありがとう。
今日のお題、
ふと思う。
そう言えば。
隅っこが大好きな
隅っこ族(勝手に命名)
なんか、
よく似たキャラクターがありましたよね
職場の休憩室。
いつも、
片隅で休憩している人達がいる。
大体が
男性だ。
職場の人たちとの会話を
聞いていると、
そんな
隅に行かなくも〜と
声がかけられていた。
その男性は
(いや、家でも
大体、隅っこにいるから、
つい、癖で😅)
なーるほど‼️
世の
パパたちは
新婚当初は
ラブラブで、
部屋の居場所など、
どこでも良い。
ただ、
年月を重ねて、
普段仕事で居ない
パパの
居場所は
いつしか
隅っこに
追いやられ。
休日でも、
掃除するから
邪魔だとか〜
とにかくママの
機嫌を損なわず
平和な休日を過ごすため、
部屋の片隅に、
パパの
居場所を
確保する。
そうして、
パパたちは、
隅っこ族と化する。
頑張れ
パパたち‼️
いつか、
堂々と、
部屋のソファを、
占拠する日を
夢みて‼️
何も出来ないが、
健闘を祈る。
目に見える
周りの物質
全てが
当たり前のように
上下がある。
それが
3次元映像として
目に
映し出されている?
お茶碗や、コップ、
全てに
上と下が
当たり前に
見えているけれど。
以前、
一目惚れした、
琉球ガラスで出来た
不思議な
オブジェ。
何の疑いもなく。
手に入れる時に
見たままに
飾っていた。
ある時、
ふと、
これって、
逆さま
にしたら
どう見えるだろ〜?
と
見つめていた。
逆さまに
してみると、
意外に
しっくりきたので。
寝かせてみたり、
違う物と並べてみたり。
ちょっと
楽しくて、
しばらく
そのオブジェで、
楽しんだ。
何事も、
そのままの
美しくさはあるけれど、
時に
見え方を変えてみるのも、
面白い。
偶然の
思いつきも、
いいものですね。
若い頃。
恋焦がれ、
大好きな人
片思いが
恋人になり、
やがて、
生活を共にした。
毎日が、
楽しくて、
充実した毎日。
いつしか、
慣れてきた頃、
飲み歩いていた
彼は、
夜明けに
帰ってきた。
そんな時、
心配し過ぎて、
邪な思いが駆け巡る。
疑いたくはないけれど。
呑めない私は
呑む人の
精神状態はなかなか
分からない事が多い。
でも、
呑めなくても、
皆んなと
その場にいるのは
大好きだ。
一途に思い、
一晩中
眠れないほど、
彼だけを
見ていた。
長い時間共にした
日々は、
幸せだった。
今も、
彼が
幸せだと
願って。
ありがとう。