愛と平和は常に結び付いている訳ではない。例えば私は彼のことが嫌いで、同様に彼も私のことを嫌悪しているけれども、面倒事に発展するリスクから直接的な危害を加えたくない・加えられたくないので距離を置こうといった考えが二人の頭の中で生起し、その結果暫定的な平和が生じる。このように世界には愛を前提としない、寧ろ嫌悪を前提として成立する平和が存在していて、それは身近なところでも容易に観測が可能である。
生活のために労働してお金を稼ぎ、使い、財布を見て絶望し、そしてまた働きに出るという循環を多くの人が繰り返すのは、社会的に金に価値が付与されているからだ。そして金に価値を与えたのも、そのシステムを普遍的と言える規模まで拡大したのも人間であり、とりもなおさず金は人智の賜物であって、我々はその恩恵を受けて豊かな生活を営めている。蓋しに人倫からして我々はそういった業績を残した先人たちに感謝するべきだろう。従って、人類的に金より大事なものは偉大なる先人たちに感謝する道徳心である。
コンクリートの道端に燕が翼を広げて倒れていた。様子を見るに死に垂んとするさまだった。彼は凝然とそれを見るばかりで、応急処置をしようとか、助けを呼ぼうとかそういう素振りは一切見せなかった。私たちは、憐れだな、と互いに共感を口にしてそのままその場から去った。彼の恬然とした顔つきはもはや見る影なく、親友の彼女と姦通した直後の男のような懺悔の面持ちで歩みを進めていた。ある程度の距離になっても、表情が懐柔することはなかった。ここに義侠心の敗北を見た気がする。
宵も更けた頃、うっすらと見える雲の下で疲れた街にネオンライトが光る。北風と月明かりのコントラストに恍惚とする暇もなく、蛍の腹の中のような通りを終電を逃すまいと忙しく歩く。だが視界の端に子連れの新妻を認めると、矢庭に我が家庭の混乱の記憶が舞い戻ってきて、駅に向かう足先を留めた。そして階段の下の方の手摺に寄っかかって缶ビールを呷る。幸せな妄想に意識を沈潜させた後は、黒革のバッグを枕にしてようよう寝る。
ミッドナイトに居候する侍の一幕である。