泣かないよ
野良猫の遠吠えが1ダースの霰になって食卓に並んだ場合のことを考える。荒唐無稽である。
どこからともなく飛来した破壊光線が、忌々しい屋舎を破壊したことを考える。これもまた荒唐無稽である。
青白い顔面を映写する鏡の前で無理やり笑顔を作る。実に不気味である。
過去の分岐点に想いを馳せながら実体のない双眼鏡を首にかけるような仕草をして、首筋を貫通するある筈のない紐の感覚を一身に受ける。
生温いコーヒーの表層だけに口をつけ、インターフォンに呼ばれて足早に逃げる。
私はあなたのことを何も知らない。
私はあなたのことを何も知らなかった。
指の切り傷からペンに付着した血液も、いらないと残されていた弁当も、今に思えば実に愉快な思い出であった。
さらば。これは私個人の話である。
怖がり
園庭の縁に座り、語る。
指先でなぞる汗を弄びながら、近況やら文句やらを垂れ流しながら、目の前を通った犬の散歩をしている主婦の装いをした一般人を横目に、顔を近づける。
ペアルックでもなく、お揃いのアクセサリーを身につけているわけでもない。ただ二人で、庭園から横断歩道に走り出して、向こうの歩道の、夜空を反射した水面に足をつけて、冷たいねといいながら、そのうち肩まで浸かっていく。水面の底は黒くてよく見えなかった。
野良猫の喧嘩。
誰かがすすり泣いていた。
少し歩いたところにあった階段を潜ってみると、水没した地下駐輪場に、色とりどりの熱帯魚が泳いでいる。手のひらを除いた冷たいだけの皮膚感覚の中で、必死に体を強張らせまいと蹴伸びをしたけど、足元に壁がなかったので、ただただ間抜けな行動をとっただけになってしまった。
あなたの背中のその奥で、濁った細かい土が、舞い上がっているのが見えた。
自分を含め、皆が知らない間に大人になる。
一方向に悠々と泳いでいた熱帯魚が散開し、突如として無数の泡で視界が遮られた。
沿道を飲み込んだ濁流は梅花皮が浮かんだ皮表を解放したのちに、ちぎれた街路樹の枝先となって自分の心臓を貫くのだろう。
星が溢れる
新幹線を乗り継いで、ローカル線に乗り換えて。
久々に見た、駅のホームから見える景色が、全て見慣れないものになっていたから。歓迎してくれた両親を見ても、その背景にある真新しい看板がどうしても気になってしまう。見知らぬビルが並んでる。
電柱も、こんなにもツルツルな状態は初めて見た。
凸凹だった道も、秘密基地があった駐車場も。違う。
久々に見た公園は何も変わりはなかったけど、遊具に触れることすら躊躇ってしまう。
ベンチに座って上を向く。
ああ
滲んだ空の片隅にも、やっぱりビルが映ってる。
安らかな瞳
厳かな装飾が施された、教会に吊るされている鐘の音が、正午の訪れを街ゆく人々に伝える時。
和やかな教室に響く鐘の音が、昼食の時間になったことを教える時。
あくびを一つ。目を擦る。
君を見て、笑う。
平穏な日常
当然のように皆がビールと言いながら手を挙げる中、ビールの苦味にまだ慣れていない自分だけ、ライチオレンジのカクテルを注文した。
カクテルの後、烏龍茶を飲んだ。
家に帰った後、鞄を床に置いて、バニラアイスを食べた。美味しかった。