祖母が死んだ。
誰からも人格者、良妻賢母と褒められた祖母だった。
夫を立て、子には厳しく、孫を慈しみ、友人を大切にした祖母だった。
母と共に祖母の遺品を整理していると、一冊の分厚い手帳が見つかった。鍵付きの古い手帳だ。家中を探したが鍵は見つからない。
色褪せたそれを開ける術が無く、母と私はしばらく顔を見合せてどうしたものかと思案したが、捨てるのも偲びなかったので私が持って帰ることにした。
あれから一ヶ月。
私は手帳を前にカッターナイフを握る。
色褪せたその手帳がどうしても気になって、中を見たくて我慢出来なくなったのだ。
人格者と言われた祖母。
良妻賢母と言われた祖母。
非の打ち所が無いと言われた祖母。
そして、祖母のように讃えられたりはしないが朗らかで〝善良な〟母。
――ならば何故、孫の私は〝こんな〟なのだろう。
祖母にだって一つや二つ、シャツについたシミのような汚点があった筈だ。誰にも言えない黒歴史がある筈だ。ならばこの、鍵のかかった手帳に、きっと。
私は手帳のベルトの部分にカッターナイフを突き立てる。ようやく開いた手帳の中には、びっしりと、祖母らしい几帳面な字で、
黒歴史と言うにはあまりに残酷な物語、が。
綴られていた。
END
「閉ざされた日記」
木枯らし一号が吹きました。
初霜が観測されました。
春一番が吹きました。
桜の開花が宣言されました。
流氷の漂着が確認されました。
梅雨入りです。
私達はいつまでこれらを見聞きすることが出来るのだろう。もう既に無くなってしまった気象の観測対象がいくつもあるという。
少し寂しいと、感じてしまった。
END
「木枯らし」
美しいとはなんだろう?
美しい声、美しい容姿、美しい立ち振る舞い。
美しい海、美しい花、美しい景色。
美しい数式、美しい建築、美しい仕草。
美しいという形容詞がつく言葉はたくさんある。
例えばもし、人を殺すことが美しいと讃えられる世界があったら、私は人を殺せるだろうか。
それが普遍的な価値観だったら、出来てしまうのだろうか。
そこまでつらつら考えて、その言葉の普遍性と無言の圧が、初めて怖いと思った。
END
「美しい」
美しいけど醜くて、儚いけれど頑丈で、豊かだけれど貧しくて、難しそうだけど単純で、狭く見えて広かったりする。
この世界は生きている人の数だけいくつもその姿が分かれているのかもしれない。
隣にいるあの人とは、同じ世界に生きてるようで実は違うのかもしれない。
重なり合う部分はあるのかもしれないけれど、違う世界に生きている。
END
「この世界は」
〝はたらけど はたらけど 猶我が暮らし 楽にならざり じっと手を見る〟
この歌を詠んだのは明治時代を生きた人だけど、明治、大正、昭和、平成、令和と五つも元号が変わっているのにこの歌がまだ成り立つってどういうわけなんだろう?
どうしてですかね?
END
「どうして」