「既読スルー」という言葉がある。
自分が送ったメッセージに既読がつかないと不安になったり、縁を切りたい人を敢えてスルーしたりする現象。この言葉がニュースなどで取り上げられると、SNSに依存している現代人を批判的な目で見る空気が多かった気がする。
でも、と思う。
家族や友達や会社の同僚といった、普段当たり前に返信をくれる人がいつまでも返信してくれなかったら、不安になるのは当然の心理なのではないだろうか?
ツールが手紙や電話から変わっただけで、人の心の動きなんてそうそう変わらないと思う。
だから。
「なんかあった·····?」
何度も同じメッセージを送って、「大丈夫?」という絵文字スタンプを送る。
そして·····
END
「既読がつかないメッセージ」
紅葉の赤。
栗と芋の黄。
高くなった空の青。
秋の色って分かるカラーリング。
春の色、夏の色、冬の色、なんとなくそういうのがあるのは、人間の共通の感覚なんだろうか。
END
「秋色」
事前にそれが分かっているなら、それまでに美味しいものを食べまくって終わらせたい。
分からないまま突然終わるなら、世界中いっぺんに、シャットダウンするみたいに終わるといい。
よく〝世界の終わり〟というけれど、終わる、というのは具体的にどうなってしまうんだろう?
世界の終わりを見たことがある人は誰もいないから、想像でしか分からない。
個人的にはシャットダウンで終わって欲しいな。
END
「もしも世界が終わるなら」
靴紐を結ぶのが苦手だった。
蝶々結びをするとどうしても縦結びになってしまい、すぐ解けてしまう。だから靴紐の無い靴を選ぶようになった。
ある時、サイズはぴったりで色やデザインは好きだけど靴紐がついてる靴があって迷った。
迷った末に買って、さてどうしようと考えて、靴紐をちょうどいい固さで固結びにしてしまえばいいと思い付いた。そうしてちょっとみっともなくなったところをボタンで飾ると、意外にも「いいじゃん」ってなった。履いて使うと、靴紐も解けて来ないし好きな色のボタンで足元を飾れて満足出来た。
発想の転換というか、そういうのって大事だな、って思ったという話。
END
「靴紐」
生きている限り、正解なんて分からない。
自分の命が終わる最後の最後、それを超えた更にその先にしか、答えは分からない。
選択は正しかったのか。
それは誰にとっての正しさだったのか。
その選択で悔いは無かったか。
それを考えた末にしか、答えは見えない。
自分が満たされて終わったとしても、周りの人間は不満だらけなのかもしれない。
自分は悲しみにくれていても、結果として良い方向にいくこともあるかもしれない。
自分の選んだ答えが周囲の正解とまるで違うかもしれない。
かも、かも、かも。
穏やかに過ぎるはずの時間が複雑に絡み合う。
答えはまだ、見えない。
END
「答えは、まだ」