人生、何事もタイミングだよね。
タイミングが合わなければ、ソレを経験しないまま死ぬことだってザラにあるわけで。
〝やりたいことリスト〟は一応あるけど、いくつ実現出来るかなぁ。
END
「タイミング」
一時間ほど降り続いた雨は埃っぽい街を洗い流したようだった。しばらくして雨が上がったことに気付いた男は両開きの窓を開け、青く澄んだ空に僅かに目を細める。
「オー、虹だぁ」
見上げた空には、橋を架けたように大きな虹が掛かっている。
「おーい、来てみなよぉ。綺麗に虹が掛かってるよぉ」
振り返り、ソファに伸びるアイマスクをした長身に声を掛けた。
「んが·····」
返ってきた声に小さく笑い、男はまた空へと視線を向ける。
「ガキの頃、虹が出ると根っこがどうなってるか見てみようって、よく走ってったなぁ」
雨上がりの心地よい風が部屋に吹き込んでくる。
「日が暮れるまで走っても、結局虹の終わりもはじまりも見つけられなかったんだよなぁ」
遠い目をしながら男は呟く。
「今どきの子も、そんな夢みてえなこと言ってんのかね·····」
独り言に応える声は無い。
「お宝が眠ってる、なんて噂もあったなぁ·····」
◆◆◆
「俺は見つけたよ。虹のはじまり」
静寂を破ったのは、眠っている筈の男だった。
振り向くが、アイマスクはまだ瞼を覆ったままで。
「光が無きゃ、虹も夕焼けもあんな綺麗にならねえ。氷が青く見えるのも、マグマが赤いのも、みんな光の作用だよ」
「·····寝言にしちゃあ、えらく饒舌だねえ」
「光あれ、ってさ。みんな求めてんだよ」
「求められてばっかの光はえれえ苦労だ」
「嬉しい癖に」
「生意気言ってんじゃねえよ、ガキ」
「ぐう」
足音を忍ばせてそっと近付く。
再び寝息を立て始めた男に肩を竦めると、ドアに向かった。
「一時間後に起こしに来るからよ」
「·····」
返事は無い。
「俺の光は··········だよ」
ドアを閉じる瞬間、そんな呟きが聞こえた気がした。
END
「虹のはじまりを探して」
都会のオアシス、というと喧騒の中で静かに過ごせる空間、みたいなイメージがある。
心のオアシス、という言葉もそう。自分が穏やかに安らげる瞬間、好きな物事に没頭出来る空間、といったイメージ。
憩いの場所であるオアシスは、触れることの出来るものである必要は無いのかもしれない。
それは空間そのものかもしれないし、ある特定の物や人かもしれない。
その人が心穏やかに、もしくは楽しく過ごす事が出来るのなら、それが他者から見てどんなに奇妙に見えるものでも、それはオアシスであるのだ。
END
「オアシス」
執務室の椅子に背を預け、両手を組んで眠っている。
そんな姿はついぞ見た事が無く、その珍しい姿に思わず名を呼ぶ声を飲み込んだ。
閉じた瞼。僅かに寄せられた眉。
唇の端は歪につり上がり、常に余裕が感じられる。表情の癖とでも言えばいいのだろうか、そこまでは良く見る顔だ。だが、そこには男が初めて見る〝あるもの〟があった。
「·····」
軽く上を向いたその頬に、微かに残る涙の跡――。
泣いたのか、お前が。
問い質したい声を再び飲み込んで、眠る姿を見下ろす。
共に歩いた同志が背を向けた時も。
恩師をその手にかけた時も。
涙を見せることのなかったお前が。
涙の跡を隠すことすら思い付かなかったのか。
お前ほどの男が。
「·····」
立場が変わり、関係性が変わり、環境が変わった。
その間に自分の知らない関係を築いた者もいるのだろう。それは当たり前の事で、誰にでもある事で。
「·····」
それは自惚れだったのか。
いつかは自分に何もかもを打ち明けてくれるだろう、とか。例え打ち明けてくれなかったとしても、それは〝その程度のこと〟なのだ、とか。
勝手にそう思い込んでいただけなのか。
涙の跡の、その理由を。
知りたい。
知りたくない。
相反する思いを抱え、執務室を後にした。
END
「涙の跡」
中学生の頃はギリギリまで冬服で通していた。
夏服になっても出来るだけ長袖を着続けて、いよいよ暑さに耐えられなくなって半袖にする時が、嫌で嫌で仕方なかった。
クセのある自分の髪が大嫌いで、さらさらストレートの同級生が羨ましくて仕方なかった。
顔にある黒子を、大人になったら絶対に取ってやろうと思っていた。
大人になった今。
半袖でも平気でいられるように「処理」をした。
自分のお金でストパーをかけるようになった。
黒子は取らなくてもいいと思えるようになったから、そのまま残した。
親に貰った体を傷付けるなんて、と脱毛や整形を否定する人がいるけれど、私はそれで前が向けるならいいんじゃないかと思う。
コンプレックスを乗り越えるために処理をしたその日から、私は半袖を着るのが好きになった。
お気に入りのTシャツに袖を通しながら、鏡を見る。
中学生の私は鏡を見るのも嫌だった。
今はこれが私だと、はっきり言える。
END
「半袖」