『留守録が一件あります』
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「もしもし、私。ごめんね、なかなか連絡出来なくて」
数年ぶりに聞く声は、記憶の中の声と変わらず少しハスキーで、煙草の煙と香りを思い起こさせた。
「今、新しい仕事が決まってさ。ちょっとバタバタしてんだよね」
興奮気味に語る声。
学生時代からの夢が叶いそうなのだと言って、相談も無く一人飛び出した彼女。それからふつりと連絡は途切れて、名前を見たのはあるドラマの端役だった。
「·····」
その時胸によぎった小さな痛み。
私を置いていった彼女。
地元で腐っていく私と、夢に向かって歩く彼女。
胸によぎった痛みの名前を、私は敢えて考えない事にした。
それから彼女の名前は時々ドラマや映画で見たが、大衆の記憶に刻まれるにはまだ少し時間がかかりそうだった。
「相談もせずに飛び出してごめん」
ハスキーな声が少し沈んだ。
「でもどうしても諦めたくなかったから」
学生時代の彼女を思い出す。
普段は冷めてたのに、夢の話をする時はテンションが高かった。
「今度の仕事は今までより大きな仕事なんだ。·····で、上手くいったら·····会いたい」
まっすぐな目を思い出す。
煙草の煙の向こうに光る、ギラギラした強い瞳。
「この仕事が上手くいったら少し休みを貰うつもりなんだけどさ·····。私もすぐ返事出来るかどうか分かんないけど、会いたいから」
――何を話すというのだろう。
――どんな顔をして会えばいいんだろう。
「また電話するね」
『再生を終了します』
スマホの画面をじっと見つめる。
この時の私は知らなかった。
これが彼女の、最後の声になるということを·····。
END
「最後の声」
愛に大きさってあるのかな?
まぁ、あるんじゃない? 通りすがりに会ったワンコやニャンコを可愛いって思うのとか、困ってる赤の他人をちょっと手伝ってあげようかな、って思うのも、小さな愛だと思うよ。
あぁ、そっか。·····みんなそれを持ってる筈なのにね。
なんで戦争とか起こっちゃうのかなぁ。
なんでかねえ。
小さな愛をみんなで集めれば大きな愛になるだろうにね。
わからないねえ。
END
「小さな愛」
空はこんなにも果てしないのに、人はなぜ境界を作りたがるのだろう。
空も海も、大地にだって生まれた時には線なんか書かれてなかったのに、いつの間にか縦横無尽に線が引かれている。
こちらとあちらを隔てる線は、大地だけでなく海にも空にも、容赦なく伸びていく。
書けない筈の線を引いて、あちらとこちらを分断して、細かく細かく切り刻んで、切り分けられた世界はもう元の姿には戻れない。
澄み切った空はこんなにも果てしないのに、目に見えない線が張り巡らされている。
やがてその線は宇宙へも向かうのだろう。
いつか月でも奪い合いを始めるのだろうか。
END
「空はこんなにも」
お花屋さん、パン屋さん、お菓子屋さん、ケーキ屋さん。洋服屋さんに自転車屋さん。おもちゃ屋さんに車屋さん。近くにあった本屋さん。
「〇〇屋さん」という名前のつく仕事は何故かどれも素敵に見えた。
今はもうそれらの〝お店屋さん〟はショッピングモールに全部入ってしまって、個人経営の店舗に入るのは逆に勇気がいるほどになってしまった。
〇〇屋さん、という名前では呼ばなくなって、フラワーショップ、ブーランジェリー、パティスリー、なんて名前で呼んでいる。
大人になるって、きっとこういう事なんだろうな。
END
「子供の頃の夢」
そうやって引き止められるだけの心を相手に向けていたか。
相手が自分の元を去るにはそれだけの理由があるのではないか。
「行っちゃやだ」
「そばにいて」
そうやって泣き喚いて、それで足を止めてくれるのは相手の優しさだ。
その優しさに報いるだけの何かを、相手に向けられているだろうか。
END
「どこにも行かないで」