せつか

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6/14/2025, 10:43:00 PM

「もしも君が」
スプーンで珈琲をかき混ぜながら、彼は言った。
「今と違う姿をしていたら、僕達は出会わなかったかもしれないね」
ピンクのメッシュを入れた私の髪に、彼の視線が注がれる。私は彼の鼻先についたピアスを見つめながら、私もそうかも、と答えた。
たまたまライブハウスのラウンジで、たまたま同じドリンクを注文した。そんな出会い。
目が合って「それ、かっこいいね」と同時に呟いた。

メッシュも服も、アクセサリーもタトゥーも、今のところ変えるつもりは無い。
彼もピアスはずっとやめないし、変なフレームの眼鏡はこれからもどんどん増やすつもりだと言っていた。

「でも、もし」
珈琲にブランデーを数滴落としながら、彼は続ける。
「君がその姿を全く違うものに変えちゃっても、今のまま君を好きでいる自信はあるよ」
「――」
実は少し、今追いかけてるバンドに飽きている。
最近一人でいる時に聞いてる曲は、しっとりした女性ボーカリストの曲だ。シンプルなワンピースで歌う彼女のコンサートに、ちょっと行ってみたいと思っている。彼を誘ってみたら、どんな反応をするだろう。
「私もそうかも」
さっきと同じ答えをすると、彼はピアスのついた鼻先にちょっと皺を寄せて笑った。


END


「もしも君が」

6/13/2025, 2:52:15 PM

昔ある人が「花火は戦争の時の爆撃を思い出すから嫌い」と言っていた。小学生の時は地元の花火大会に行くのが大好きだったから、その人の言葉はある意味衝撃だった。
戦争を体験した人が今、花火を見てある感慨を抱くことが出来るのは、ある意味この国が現状平和だからだ。戦争を体験していない私は、その感覚が分からない。だからこそ、こうした身近な人達の何気ない一言にアンテナを張り巡らしていたい。

生まれた時から爆撃音しか知らない人もいるのだという想像を、忘れないようにしたい。

昔読んだ本で、ベートーヴェンはナポレオン軍に対する怒りから「皇帝」という曲を作ったという話を読んだ。それが本当かどうかは分からないけれど、戦争から生まれた音楽や芸術はある。
爆撃音しか知らずに育った人が、いつか世界を変える音楽を作る日が来るかもしれない。
それはその人にしか作れない、その人だけのメロディなのだ。

END



「君だけのメロディ」

6/12/2025, 1:47:12 PM

続く言葉がYouとは限らない。
meかも知れない、herかhimかも知れない。
もしかしたらNYみたいに地名かも知れないし、chocolateみたいな食べ物の名前かも知れない。

恋を連想してしまうけど恋愛感情ではなく愛着、のようなものなのかもしれない。

どちらにせよ、マイナスイメージの無い言葉だ。

Ioveという言葉に対する、ぼんやりした雑感。


END


「I Iove」

6/11/2025, 2:51:18 PM

その日は朝から大粒の雨が降る、酷い天気でした。
遠乗りの計画は延期になり、王様も王妃様も、どこか物憂げな表情で過ごされていました。

夕方になっても雨はやまず、王妃様は早めに自室に引き上げることになりました。
わたくしは王妃様がおやすみになる為に寝室を整え、湯の準備をしておりました。王妃様は湯浴みの時間をことのほか愛されていたのです。
ざあざあと激しい雨音が城の窓を叩いています。
王妃様が湯を掬う音は、激しい雨音にほとんど掻き消されてしまっていました。わたくしはローブを用意しながら王妃様が髪に塗っている香油の薫りに、うっとりと目を細めていました。

「――」
小さな声が聞こえました。
雨音が弱まったほんの一瞬。
妖精が通り過ぎたのでしょうか、そんな思いがけない静寂が訪れた瞬間でした。
「×××××××·····」
それは王妃様の声でした。
ほとんど囁きのような微かな声で、王妃様はある方の名前をそっと呼んだのです。

わたくしは全てを悟りました。
王妃様が時折見せる、悲しそうな微笑みの理由を。
ですが、一介の侍女に過ぎないわたくしに何が出来るというのでしょう。
湯浴みを済まされた王妃様はわたくしに「ありがとう、気持ちよかったわ」とお言葉をかけて下さいました。
ええ、そうです。
わたくしは王妃様のお心が少しでも癒されるよう、こうした日々のささやかな幸せのお手伝いをする事しか出来ませんでした。

あとは知ってのとおりです。


END


「雨音に包まれて」

6/10/2025, 3:18:13 PM

美しいとするものの基準。
正しいとするものの基準。
もし、人類全てがそれらに全く同じ基準を持っていたら·····、この世から戦争や差別は無くなるのかもしれない。
でもそれは、たった一つの価値観に支配されるということなのだろう。
その基準から外れたものは美しくないものとして、正しくないものとして排除される。それはやっぱり危険な思考なのだと思う。

私が美しいと思うものも、誰かにとっては醜いものなのかもしれない。
私が醜いと思うものも、誰かにとっては美しいものなのかもしれない。
それを常に認識していることが多分、〝分かり合う〟ということなのだ。


END


「美しい」

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