「この子ください」
「前の子は元気ですか?」
「おっきくなりましたよー。もう走り回って大変」
「この子はおっとりしてるから、前の子と上手くやれるかなぁ」
「少しずつ慣らしてきますから大丈夫ですよー」
「大切にしてくださいね」
◆◆◆
店の裏には小さな小さな石碑がある。
店長は時々その前で手を合わせてじっと目を閉じている。
一度聞いた事がある。
「あのお客さん、一ヶ月前も子猫買っていきませんでした?」
「·····うん」
「いいんですか?」
「大事にしてるって言ってるし、餌やケア用品もこまめに買ってくれるし」
――嘘だ。
多分前の子は捨てられたか、もう死んじゃってる。
あの人は失恋するたび子猫を買ってる。私が数え始めてもう六回。六匹も猫を飼ってるとはとても思えない。
「決めつけちゃ駄目だよ」
店長が言う。
「飼えなくなったとしてもちゃんと譲渡してるかもしれないし、本当に大切にしていても死なせちゃった可能性もあるし。僕達がそれ以上追求することは出来ないでしょ?」
「それはそうですけど·····」
「それに·····」
「それに?」
店長は少し口を噤んで私を見つめた。
言うか言うまいか、迷っているようだった。
「あの人自身、子猫みたいなものだから」
買われて、捨てられて、また買われて――。
そう言った店長の横顔は、泣いてるみたいに見えた。
◆◆◆
次の日の朝、石碑の前に小さな花が供えてあった。
END
「子猫」
女心と秋の空、なんて言う人は今どきいないだろう。
冷たい風が吹き、不意に歩みを止めた時。
夏の浮かれた蒸した空気が、いつの間にか乾いた冷たい空気になっている事に気付く。
そして自分も浮かれていた事に気付いて、何故こんなに浮かれていたのかと、急速に冷めていく。
熱中していたものが急にどうでもよくなって「もう
、いっか」って気持ちになる。
こういう心理を秋風が吹く、というのかな。
これが恋愛であったら少しは感傷的になったり、しんみりした感じになるんだろう。
それにしても、寒々とした空気の「秋」と気持ちが冷める「飽き」をかけるって、日本語ならでは、だよね。
END
「秋風」
「また会いましょうね」
次があると信じている。
恐ろしく前向きで、信じられないくらいにポジティブ。これが最後かもしれないなんて、一ミリも思い付かない、そんな顔。
ニコニコ笑って、私の手を取って、貴女はそう言って微笑んだ。
「·····あー、まぁ、はい。会えたら、また」
根っから後ろ向きで、筋金入りのネガティブ思考の私は、どうせ次は無いと思って適当な返事をしてへへ·····と歪に笑った。
初めてオフで会った貴女は、キラキラしていて、眩しくて。同じ推しを応援しているという事以外何の共通点の無い地味な私の話を、ニコニコ笑って聞いてくれた。一緒に公演を見て、カフェで話をして、夢みたいに楽しい時間だったのに、その時間が終わると分かると急速に冷めていく。
押し寄せる現実。
キラキラしたこの人は、推しと同じように私のリアルには交わらない。
現実から逃避したこの街で、この場所で、この空間だから出会えた人。
このキラキラした人達との短い夢を糧に、明日からまた単調で、地味で、変わり映えのしない、でも安定した日々を私は生きていく。
「来年もまた一緒にお話しましょうね!」
そう言って、駅の改札で手を振ってくれた貴女。
私はぺこりと会釈して、ホームへと歩いていく。
可愛らしい声をした人だった。
同じ推しの話をしていた私の声は、貴女にどんな風に響いていただろう。不快になっていなければいいな。
来年までアカウントが繋がったままでいたら、また会いたい、な。
◆◆◆
『お知らせ:××××と繋がって下さっていた皆様へ。
〇月×日、××××は事故に会い、治療の甲斐なく永眠致しました。生前繋がって、親しくして頂いた皆様、有難うございました。××××の家族より』
「·····へへ」
数日後、信じられないものを見た私はあの日と同じ歪に笑うことしか出来なかった。
END
「また会いましょう」
バンジージャンプも、お化け屋敷も、吊り橋も。
展望タワーも、モータースポーツも、ホラー映画も。
何かあっても大丈夫。
何かあってもなんとかなる。
そんな安心が保証されてるから楽しいのであって、そうじゃないものは危険なだけなのだ。
スリルとは安心が保証されている緊張感、なのかなと思う。
END
「スリル」
すらりとした背中。
左右に大きく見える肩胛骨。
盛り上がり、向かい合ったなめらかな曲線を見ていると、「昔はみんな、背中に翼があったんだよ」というおとぎ話も信じてみたくなってしまう。
「·····くすぐったいよ」
無意識に伸ばしていた指でそっと撫ぜると、相手は小さく笑って身をよじった。
「すいません」
引っ込めた手を見つめる。彼の少し低い体温に触れた感触がまだ指先に残っている気がした。
私達が昔持っていたという翼は、どうして無くしてしまったのだろう。
飛ぶ必要が無くなったのか、飛ぶ事を忘れてしまったからか。
飛べなくなった私達は、地上で手を取り合いながら、どうにかこうにか生きている。
「前から思っていたけれど」
「なんです?」
「君の髪·····絵画の天使みたいだ」
彼の長い指が私の前髪に触れる。
「ならば私達は二人共、元は天使だったのかもしれませんね」
「·····なんだいそれ」
困ったように眉を寄せながら笑う彼に、私は何故だか胸が苦しくなるのを感じた。
END
「飛べない翼」