「命がいつか燃え尽きるものだとして、燃料は何になるのでしょうね?」
「想い、かな」
「想い?」
「好きとか、許せないとか、変えたいとか、見たいとか、生きたいとか、まぁ欲、かな」
「欲·····」
「生きたいという想いがだんだん薄れていくというか、思っていてもそれを発する力が無くなっていくのが、死に繋がるんじゃないかな·····」
「·····」
「一度きりだから尊いし、唯一だったのだろうけれど」
「再び得た命を新たに燃やす事が出来るのは奇跡ですよ」
「そうだね」
「ならばその奇跡に報いる燃焼を見せつけようではありませんか」
「·····望むところだよ」
END
「命が燃え尽きるまで」
革命が起こることを〝夜明け〟と表現することがある。
「ニッポンの夜明けぜよ!」とあの人が言ったかどうかは分からないけれど、革新的な技術や考え方が見つかったり開発されたりして、体制がガラリと変わることを夜明けと言うことはままある。
確かにそれまで非効率的だった作業が新しい技術でぐんと効率が上がったり、新しい考え方や価値観が広まってそれまで虐げられてきた人が開放されたりすることは、暗黒だった世界に光が差し込むような、正に夜明けというべき事象なんだろう。
中世を〝暗黒時代〟と表現するのもそういうニュアンスがあるんだと思う。
でも。
それまでの世界は全くの暗黒では無いはずだ。
それまでの世界で微かな光を見出して懸命に生きてきた人達はいる筈だ。
科学技術の発展や新しい価値観の広がりは確かに人間を豊かにするものだけれど。
夜明け前の世界を暗黒だと決めつけたくはない。
暗い空だからこそ星は輝くし、暗い部屋だからこそ蝋燭の灯りは眩い。そんな暗闇の中で仄かに輝いていた人達を、もっと知りたいと私は思う。
END
「夜明け前」
本気の反対は「うそんき」と言うらしい「んき」ってなんだよ、って思ったけど「嘘気」って書くのかと気付いたら納得した。
本気と嘘の境目はなんだろう。
なりふり構わないものは本気?
仕事や友情を捨てられないのは嘘?
相手の事を考えて身を引いたらそれはどっちになるんだろう?
端から見て適当に見えても本人にとっては人生を賭けた恋かもしれない。
結局本気かどうかなんて、本人にしか分からないのだ。
END
「本気の恋」
「ママ、この〇はなぁに?」
「これはね、ママのパパ、つまりユウ君のおじいちゃんが生まれた日よ」
「そうなんだー」
「ユウ君、この日になったらおじいちゃんにお誕生日おめでとう、って電話できるかな?」
「うん!ママ、他にも〇探す!」
「よし、じゃあ捲ってみよう!」
「あ!八月ろく!」
「見つけたねー。この日はママのママの誕生日だよ」
「ばぁばだ!次はー?」
「次はねえ、二枚捲って」
「うんと、あ!十月じゅうに!!」
「この日はママの妹の誕生日だよ」
「おばちゃんだ!次、次!うーんと·····、あった!」
「だーれだ?」
「ユウ君!」
「そう、ユウ君!ユウ君はお誕生日には何がしたい?」
「おっきなケーキ食べたい!」
「じゃあケーキ買おっか?」
「わーい!ママは?ママの〇は?」
「ママの誕生日はもう剥がしちゃった前の月に書いてあったよ」
「そっかぁ。じゃあ来年は僕が〇つけるね」
「ありがとーユウ君」
「ねえママ。パパの〇は?」
「知らない」
END
「カレンダー」
「好きなお菓子をまだストックがあると勘違いして最後の一袋を空けてしまった時の喪失感と言ったら·····」
「わざわざ飲み屋に呼び出して言うこと?」
「だって勝手に食べるなんて酷くない?」
「もう名前書いとけよ」
「あー、私のカラ〇ーチョ!!」
「飲み屋で揚げ出し食べながらする話じゃねえな」
「あ!」
「あ?」
「私が食べようと思ってたのに!それ!」
「あーもーうるせえうるせえ」
以下、エンドレス。
END
「喪失感」