アクリル板があった時の方が気兼ね無く座れた気がする。あの時どこの飲食店でも見掛けたアクリル板、どこに行ったんだろう??
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「向かい合わせ」
コロナに罹患した。
前より酷い症状だった。職場が病院だから休むしかなく、家から出られない日々が始まった。
何より申し訳ないのは同じ職場の親身になって相談に乗ってくれた上司と、母。
母は来月同窓会に行く予定だ。移さないように細心の注意を払っているけど、まだ心配。早く症状が無くなって、仕事に戻りたい。
こういう状況になって初めて、人は健康であることの幸せや仕事が出来ることの喜びを噛み締めるのだとしみじみ思う。
自宅待機で時間はたくさんあっても、読書も、ゲームも一日中は出来ない。その時間、多くの人が働いている事を知っているから、私の代わりに誰かが働いていてくれる事を知っているから。
このもどかしさとか、申し訳なさとか、悔しいとか、そういう色々な気持ちを整理出来ない状態を「やるせない」というのだろう。
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「やるせない気持ち」
海なし県で育ったから海に妙に惹かれる時がある。
でも水着着て浮き輪持って入りたい、っていう気持ちじゃなくて波打ち際を足だけ濡らして歩きたいとか、テトラポットのある岸壁で出入りする船を見たいとか、少し先にある灯台の明かりを見たいとか、そんな気持ち。
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「海へ」
リバーシブルとか2wayの服って、買っても自分が使いやすい方か自分が好きな方しか使わない気がする。
裏返しと聞いて思いついたのはこれだった。
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「裏返し」
なぜそんなふうに思ったのでしょう。
空を飛べるはずもないあの方が、私には大空を舞う大きな大きな鳥のように見えたのです。
それはあの方の心も、体も、本当の意味で自由だからなのだと、白く青く、そして大きな後ろ姿を見ながら私はそう思いました。
あの方が恋した相手でさえ、あの方を縛り付ける事は出来なかったのです。私達に何が出来たというのでしょう。あの方はなにものにも縛られず、自由に舞うからこそ美しく、こんなにも私達の目を引くのです。それは決して私の憧れから来る眼差しではなく、あの方を疎ましく思う人達でさえそう思っていることに、私は気付いていました。
鳥のように自由で、鳥のように美しいあの方。
美しいからこそ手に入れたいと思わせるあの方。
憧れのまま見上げるだけの私。
撃ち落とし、手に入れようとする多くの人々。
羽ばたきをやめた時、あの方はきっとそれでも美しいままでいるのでしょう。
私が焦がれたあの方は、そんな美しい鳥のような人でした。
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「鳥のように」