ここから見ると、街の境界がはっきり分かる。
色とりどりの光が集まり、街の輪郭をくっきりなぞっているからだ。酒場のネオン、信号機、受験勉強中の学生の部屋、工事現場の警告灯、走り抜ける無数の車·····。一つ一つの灯りは小さくても、これだけの数が集まればそれは街全体を浮かび上がらせる。
この街のランドマークと言われるタワーのてっぺん。
その壁にもたれる男が一人。
「不夜城、とはよく言ったものだ」
その視線をほんの少し動かせば、途端に明かりは途切れて真っ暗な闇が広がる。
その闇の中にも命は生きているのだろう。
街の形をした光から溶け落ちるようにして出てきた光が、細く長く伸びながら闇の中を流れていく。
あの光の主が向かう先には、きっと大切な者がいるのだろう。煌びやかで騒々しい街と、真っ暗で静かな闇。
「どちらが心地いいんだろう?」
END
「街の明かり」
七月七日に毎年思うこと。
一、織姫と彦星は最初から仕事をサボらなければ引き離されることも無かったのでは?
二、織姫と彦星の伝説と笹に短冊つけて願い事をするのには何の関係が?
毎年ネットか何かで調べて、「ふーん」ってなって、また来年忘れてるんだよな。
あとはショッピングモールとかにある短冊で、毎回変わった願い事を見つけるのが恒例になってる(笑)。
でも、今年はあんまり見なかったな。
END
「七夕」
うーん、あんまりないなぁ。
友だちがいなかったわけじゃないけど、なんとなく本当に辛い時とか苦しい時に、そばにいてくれたのは友だじゃなくてお母さんだった気がする。
少なくとも中学まではそうだった。
高校で、中学までの交友関係がふっつり切れて、新しい友だちが出来た。
そこからは結構色々憶えている。
いいことも、悪いことも。
楽しかったのは文化祭の時に図書館の奥で隠れてケーキを食べたこと。キツかったのは·····、こっちはまぁいいや。
でも、高校の時の友だちとの思い出が、今の私を形作っていると思う。
何でって?
その子は今も私の大切な人だから。
END
「友だちの思い出」
勝手に関係あるとか繋がってるとか言われても困る。
私と隣の子がどれだけ離れていると思ってるんだ。
あなた達だってそうでしょう。山を一つ越えた家を「お隣さん」とは言わないでしょう。
私達は山一つどころじゃないんだけれど。
そもそも隣のあの子とは、互いに姿は見えていても近付けないし、あの子が本当はどんな姿かなんて知りようもない。
でも私達は「星座」という一括りの仲間にされてる。
あなた達の目に、一つの生き物として、一つの物語の構成要素として見えているのだろう。
それはとても不思議な感覚。
触れ合えないほど遠くにあるのに、あなた達の歴史より遥かに長い時の隔たりがあるのに、あの子と私は一つのものを形作っている。
困るというのは迷惑だという意味じゃなくて、どう反応したらいいか分からないから。
あなた達が私達を見上げるたび、物語を見出して、喜んだり悲しんだり。
それがなんだか、面映ゆい。
私はあなた達を見下ろしながら、一瞬の生を懸命に生きる弱くて脆いあなた達に、永遠を見る。
END
「星空」
1000年後の地球に人類はまだいるのだろうか?
そもそも地球はまだあるのだろうか?
1000年後も世界がまだ続いているとして、人類がまだ生きているとして、それはどんな姿だろう?
地球はどんな星になっているのだろう?
それこそ神様だけが知っている、人類全体の命運なんだろうと思う。
人類が滅びる神話はあちこちにあるけれど、そのあと世界がどうなってるかの描写はあまり無いもんな。
神様、そろそろ教えてくれませんかー?
END
「神様だけが知っている」