前日にそれが分かってるなら、いつものように眠っていたい。
眠っている間に世界も自分も終わってしまえば、悲しむことも怖がることもなく済んでしまいそうだから。
END
「明日世界が終わるなら」
この国ではほとんどの人が君を知っている。
世界を広げ、自身を知り、思いを伝える。
その為には君という存在がどれほど力になっているか。
普段、生活しているだけだとそれはあまり気にならないけれど。たまにニュースで君のことを見ると思い知る。この国に生まれて良かったと思うのはこんな時。
君と出逢い、君を知り、君と共にある日々の大切さ。
この世界には君と出逢うことすら出来ず、君を知ることもなく、君と共に歩むことすら出来ない人がいる。
その苦しさは想像もつかない。
字を読むこと。字が書けること。
その有り難さを時々こうして思い出す。
君は、言葉。
END
「君と出逢って」
朝、目が覚めてカーテンを開けた時。
昼、部屋で一人、本を読んでいる時。
夜、ベッドに入って目を閉じた時。
ふと気がつくと、それは聞こえる。
最初はただの耳鳴りだと思った。
ストレス、気圧、睡眠不足·····。思い当たる節はある。
けれどある日、それは逆なのだと気づいた。
耳を澄ますと聞こえてくる、〝それ〟。
卵の殻が割れる。蛹が羽化する。命が生まれる音。
鳥が虫を食べる。蟻が死骸に群がる。命が尽きる音。
静寂の中、いつからか耳を澄ますと聞こえてくるようになった音の数々。
この世界が何億年もの間、命を積み重ねてきたのだと思い知る。
家族は気づいていないようだった。
説明すると疲れているのだと言われた。
違う、逆だ。
〝それ〟が聞こえるようになってから、私は眠れなくなったのだ。
なぜ私だけに聞こえるのだろう? それを聞いて私にどうしろというのだろう?
ふとした瞬間に訪れる静寂。静かだと気づいた途端、ノイズのように頭の中に押し寄せてくる無数の音
不協和音となって響く命の音に、私はもうすっかりおかしくなってしまった。
「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい」
目を閉じ、耳を塞いでいるのに、それでも音は聞こえてくる。
「知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない」
のたうち回る私を、小さな窓越しに母が見ている。
「·····たすけて」
目が合った母は、私を哀しそうに見つめるとゆっくり背を向けた。
◆◆◆
「どうでした?」
「ええ·····かわいそうに。すっかり混乱してしまわれて。自分を〝ただのニンゲン〟だと思い込んだままのようです」
「困りましたね·····。〝あの方〟が早く仕事に取り掛かって下さらないと、この星の命は進化を止めてやがて滅んでしまう」
「·····ひょっとしたら」
「なんです?」
「〝あの方〟はこの星にもう見切りをつけてしまわれたのでは? 我々も次の星に移る支度を始めた方がいいのではないでしょうか?」
「·····まさか。まだほんの百二十六億年ですよ?」
「しかし·····」
「もう少し様子をみましょう。もしかしたら、〝あの方〟のシステム自体が寿命なのかもしれません」
「今度こそ、上手くいくと思ったのですが」
「仕方ありません。様子を見つつ、今は我々が出来る事をしましょう」
宙に浮かぶ巨大な船。
ニンゲンには知覚すら出来ないその中で、そんなやり取りがあったことを知るものは誰もいなかった。
END
「耳を澄ますと」
すれ違いざま、テーブルに置かれた左腕にさり気なく触れる。それが合図。それ以外はいつもと同じ。
会話も、食事も、仕事も、いつも以上でも以下でもなく、周囲には決して気付かれないように。
そうして、夜を待つ。
深夜。
昼と同じテーブルで、昼と同じ姿勢で指を組む。
響く靴音。ゆったりとした足取りが、彼が来た事を告げる。
「××××××××·····」
心地よい低音が、囁くようにそっと名を呼ぶ。同時に背後から伸びてきた手が、昼と同じように左腕に触れる。
昼間と違うのは、左腕に触れた手を逃すことなく掴んで立ち上がったこと。そうしてそのまま、二人で連れ立って歩き出したこと。足早に、何かから逃れるように歩いて、やがて飛び込んだのは誰も使っていない埃の積もった空き部屋。
鍵が閉まる音と同時に唇が触れる。
暗闇のなか、縋る感覚と吐息だけが互いの証。
はらりと、長い髪が解けた。
◆◆◆
朝。
「おはよう」
「おはようございます」
私と彼はいつものように挨拶をする。
会話も、食事も、仕事も。いつも以上でも以下でもない。今日はすれ違っても左腕に触れることはない。
今夜は帰る時間も方向も別々になるだろう。
左腕にそっと触れる。
それが合図。
そしてそれは·····二人だけの秘密。
END
「二人だけの秘密」
丸まった背中を宥めるようにそっと撫でた。
撫でられた相手は無言のまま、石のようにじっとしている。自分と同じ大きな男がそうしているのはとても滑稽で、だからこそ哀しく見えた。
「彼等にそれを求めるのは酷だと分かっているだろうに」
そうせずにはいられないのだろう。
「·····分かってる」
答える声は酷く陰鬱で。
「彼等は罰などくれやしない。お前に出来るのは彼等の優しさを受け入れ、彼等の望む在り方を示して共に歩くだけだよ。それこそが与えられた〝罰〟だ」
「·····っふ」
男の背中が小さく揺れた。笑っている。
私がそれを伝えることの愚かしさを、この男も分かっているのだろう。
優しさが辛いなら逃げればいい。
誰もが思うそれが、この男には出来ない。
いっそ指を突き付けて、お前のせいだと断罪してくれればいい――。そう願って、それが叶わぬと知って、追い詰められた男は狂気に堕ちた。
狂い果てた末の結末を、その姿を知ってしまった男はもう二度と、逃げることも狂うことも出来ない。
〝私〟はそれを、よく分かっている·····。
「お前にはそれが何より苦しいのだろうけれど」
「苦しいのは〝お前〟も同じだろう」
男が呟く。
――そうだ。
私がこうして言葉を交わし、苦悩を吐き出せるのはこの男だけ。そうしてしまったのは他でもない〝私自身〟だ。
私とお前。
正気と狂気に分かたれた私達が願うのは、決して口にしてはいけない望み。
――どうか、優しくしないで。
この正しく美しい地獄で、いつ終わるとも知れぬ優しい罰を、私達は受け続けている。
END
「優しくしないで」