重いエンジン音か響く。
重低音は足元から這い上がり、胸の鼓動と重なる。
武骨なバイクに跨っているのは、思いのほか華奢な体躯の持ち主。彼は(彼、と呼ぶべきだろう)ヘルメットをゆっくり外すと一つに結んだ金髪を一度大きく揺らして、挑むような視線をこちらに向けてきた。
「·····よう」
片方の唇だけを吊り上げてニカリと笑うその顔が、意外にも屈託のないものだったので、思わず拍子抜けしたように肩の力を抜いた。
「乗れよ」
「なに?」
「ちょっと付き合え」
「·····相手を間違えてないか?」
「お前で合ってんだよ。わざわざ兄貴に居場所聞いてきたんだ」
「·····」
田舎の村には不釣り合いな、重いエンジン音。
人通りは殆ど無く、二人以外には遥か上空を舞う鳥がいるくらいだ。その中で場違いな程の重い音が空気を震わせている。
「こんな風にでもしなきゃ、お前と話す事なんてねえだろうからな」
「私は話す事など·····」
「お前に無くてもオレにゃあるんだよ。なんせオレ達ゃ同じ穴の貉だからな」
――その声が僅かに沈んだのを、聞き逃すことは出来なかった。
差し出されたヘルメットを受け取って、後ろに跨る。一瞬ぐらりと大きく傾くのを、彼は「おわっ!」と言いながら慌てて立て直す。
「つくづく図体でけえなぁお前」
「何なら代わるか?」
「うるせーよバカ! 飛ばすからな、振り落とされんなよ!」
一際大きくエンジンが唸りを上げる。
周囲の草が風で舞い、傍らの湖がにわかに波立つ。
ここから街まで数時間。
彼と話をするには充分な時間と距離だ。
――同じ穴の貉。
確かにそうだ。だからこそ、そんな彼の思いの一端を知れば自分と彼等·····彼の人との関係を改めて知る事が出来るかもしれない。
風の音を聞きながら、そんな事を思った。
END
「街へ」
「本当の優しさって言葉があるなら嘘の優しさもあるのかな?」
「お前なぁ·····」
「嘘の優しさってなんだと思う?」
「ん? んー·····相手じゃなくて自分の評価を上げる為に、本当はやりたくないのに親切にしてる、とか?」
「それが嘘かどうかは誰が決めるの?」
「本人と周りじゃね?」
「それでも相手が助かったり嬉しかったりしたら、周りや本人がどう思おうとそれは本当に優しかったことになるんじゃない?」
「んー·····」
「最初は嘘でも、それが積み重なれば本当になるんじゃないかなぁ」
「一理あるかもな」
「誰からも優しいって言われてる人も、子供の頃とかは親に褒められたくて親切にしてた、って人もいると思うんだよね」
「なるほど」
「だから嘘でも本当でも、優しさって大事なものなんだよ」
「·····お前、いっつも色々考えてるな」
「ん? うん。でも私のこれは嘘かも」
――本当は考えてるフリしてるだけで、本当に考えなきゃいけない事から逃げてるだけなのかも。
だって、こうしていれば貴方が感心してくれるし、色々構ってくれるから。
「何か言った?」
「·····ううん、なんでも」
END
「優しさ」
ギネス世界記録は健康上危険を及ぼす可能性があるとして、不眠記録への挑戦を廃止している。
睡眠を妨害する拷問があるのも、不眠に何らかの危険性があるからだろう。
「朝起きて、働いて、夜眠る。労働と休息と、娯楽。そのバランスが大切で、そういうサイクルに合うように造った筈なんだけどなぁ」
衛星軌道よりもなお遠く。
夜だというのに、くっきりと複雑な海岸線がオレンジ色に浮かび上がる。陸の形が分かるそのオレンジは、そこにそれだけ人工の光があるという証拠。夜だというのにギラギラと、強い光を放っている。
「夜は休息の時間だよ?」
遥かな空の高みで眩いオレンジを見つめる男の目には、なぜか悲しげな色が滲んでいた。
END
「ミッドナイト」
(と言いながら私も真夜中に起きている)
「不安の数だけ荷物が多くなる」ってCMがあるけれど、あれは本当だと思う。
ハンカチ、ポケットティッシュ、衛生用品、絆創膏にボールペン、小さなハサミ、メイクポーチとそれとは別に口紅が別のポケットに入ってる。マスクも一枚余分に入れて、何かあった時の為に財布とは別に小銭入れも忘れない。あ、それとのど飴と文庫本。
出掛ける度にこれだけ用意して、カバンを変える度入れ替える。
心配性? そうだと思う。
ちょっとショッピングモールに行くだけなのに、これだけ準備しないと不安で、何か忘れた事に気付くとそれだけでテンションが下がってしまう。
今日もこれだけ用意して、明日履く靴下を取り出してやっと安心する。
·····違うな。多分私は、怖いんだ。
不特定多数の人がいる場所で、失敗してしまうことを。慌てて、焦って、真っ赤になって·····そして誰かに助けを求める事が出来ずにみっともない姿になってしまうことを。
汗がだらだら、カバンや上着はよれよれで、髪はくしゃくしゃになってしまうことを。
荷物を一つ詰める度、不安が一つ追い出され、安心が一つ積み重なっていく。
「よし、準備OK」
出掛ける前のルーティンワーク、終了。
おやすみなさい。
END
「安心と不安」
「何が恐ろしかったのか、ようやく分かった気がする」
「恐ろしい? 何がです」
「·····あの男だ」
「貴方は彼を恐ろしいと思っていたのですか?」
「今考えれば、だ」
「·····そうですか」
「あの男が私にはいつも眩しかった」
「·····」
「私が持ち得ない全てを持ち、それでいて誠実で、決して驕ることは無かった男」
「貴方だって不実なわけではないでしょう。その方向性が違っていただけで」
「人の心の奥底をたやすく掬い上げる男」
「彼はそういうの、得意ですからね」
「私には出来ない事をいとも簡単にやってのける男」
「貴方に出来て彼に出来ないこともあるでしょうに」
「いつも·····光を背負っているように見えたんだ」
「光、ですか」
「王宮でも、戦場でも、どこで見てもあの男は光を背負っていた。·····宵闇の中でさえ」
「宵闇·····」
「あの男が背負う光が眩しくて、恐ろしかった」
「そうでしたか」
「光を背負って立つあの男の、顔がまともに見られなくて、どんな表情をしているのかが分からなくて··········恐ろしかった」
――笑っているのか、嘲っているのか、見下しているのか、哀れんでいるのか。それともそのどれでもないのか。
逆光に目を細めていたようなものだ。
「·····彼はきっと、貴方が背負っている光も見つけていると思いますよ」
――そうなのだろう。だが私には、それこそが恐ろしい。
これは誰にも言えない秘密。
END
「逆光」