別に冬だから寒いわけじゃない。
彼はそう言って、いつもよりゆっくりとした足取りで歩き出した。
少し歩いては立ち止まり、首を巡らせる。
そんな彼の後ろをついて歩きながら、私は私と出会う前の彼のことを想像してみた。それは想像でしかなく、彼が語らない限り決して分かるはずのないものだったが、それでもその時彼が感じたであろう温度、のようなものくらいは感じ取れるのではないかと思った。
「私と母と、あとは使用人が片手で数えるくらい。……こんなだだっ広い城なのにな。その使用人も、ひと月もたない」
高い天井を見上げる。丸い窓には小さく月がかかっていた。
広大な城をゆっくり進む。時折立ち止まり周囲を見回す彼は、自分が生まれ育った城を懐かしんでいるようだった。
応接室らしき部屋に着いた。
「体裁を整える為に造ったんだろうな。この暖炉に火が入ってるところなぞ、ついぞ見たことはなかった」
高い天井、宝石で飾られたシャンデリア。彫刻の彫られた暖炉。豪奢な家具に、大理石の床。
美しい部屋ではあったが、どこか寒々としていた。
「寒いとか暑いとか、そんな感覚も無かった」
抑揚の無い声は、わざと抑えているのだろう。
広大で、華やかな城はだが、とても冷えている。
それは彼の言うとおり、冬だからでは無いのだろう。
「ここで私は育った」
そう言った彼の低い声が、私の胸に深く沁み渡っていく。
「ここが私を造った場所だ」
城の最上部。荒野を見渡す展望台でそう言った彼に、私は無意識に手を伸ばしていた。
END
「寒さが身に染みる」
成人式には行かなかった。
中学時代はあまりいい記憶が無い。
高校も、今も付き合ってる友人と出会えたを事除けば楽しくない記憶の方が多かった気がする。
20歳を通り過ぎて、××年。とりあえず行かなくても「なんとかなった」。
行かなかった理由を聞いて来た人間は今までに二人くらい。誰だったか記憶に無い。
私にとってどうでもいい事を聞いてくる人間は、どうでもいいという事だ。
成人式に行かなかった理由を聞いてくる人間より、私の好きなものや私の気持ちを大事にしてくれる人との時間を大切にしたいし、そうしている方が人生は楽しい。
行った人、行かなかった人、行けなかった人、20歳おめでとう。あなたのそばにいる、あなたを大切にしてくれる人を大切に。
END
「20歳」
三日月ってずるい。
満月も好きだけど、三日月はなんか絵になるからずるい。
三日月モチーフのアクセサリーは可愛いし、あの形を椅子に見立てたり、船に見立てたり、鎌や弓や剣に見立てたり。三日月そのものを人の顔に見立てたり。
あの形に何を見出すか、でその人の思考が何となく分かる気がする。
「で、アンタにはあれが何に見えるわけ?」
「爪」
「爪?」
「ちょっと伸びた貴女の爪」
「……」
「貴女の爪の先の白いところがちょっと伸びてるの、綺麗で好きなの」
「……そう」
「あ、照れてる?」
「うるさいよ」
END
「三日月」
子供服のコーナーで「あ、いいな」と思った色の組み合わせとか、似たようなのを大人サイズで探すとなかなか無かったりする。
靴もそう。グレーとパープルとか、私の好きな色の組み合わせのブーツを見つけて、「あ、いいな」と思って近付いたらキッズサイズだったから諦めた。
そんな事が結構ある。
大人は使っちゃいけない色とか、あるわけじゃないのに何故か色もデザインも大人サイズになると途端に少なくなる。
探せばあるのは分かってるけどね。
でももっと気軽に、どこにでもあるといいのにな。
いろんな色の、いろんな服。
END
「色とりどり」
真夜中だというのに明るい。
昼前から降り始めた雪があっという間に積もり、その反射で周囲が明るくなっているからだった。
窓辺に佇み、その明るさに僅かに目を細める。
雪が無ければ外は黒一色だったであろう外は、立ち木の輪郭や家並みの明かりがぼんやりと浮かんでいる。白と黒と灰の三色だけでなく、家の窓から漏れる淡いオレンジが何の変哲もない街を幽玄の世界へと変えている。
男はクリーム色の壁に凭れて雪に埋もれた街を見つめていたが、ふと思い立ってキッチンへ向かった。
ポットのスイッチを入れて、カップを二つ取り出す。
インスタントコーヒーと砂糖とミルク。それらを用意してまた窓辺へ向かう。
しばらくそうして見つめていると誰もいない雪道を一つの影が近付いてきた。
傘にはまばらに雪が積もり、長いコートの裾が濡れている。早足で歩く影が途中何度か滑りそうになるのに、男は小さく笑う。
やがてポットがコポコポと音を立て、湯が沸いたのを知らせると、男はまたキッチンへ戻っていった。
二人分のコーヒーが用意出来たのと、インターホンが鳴ったのはほぼ同時。
「不便なところに住んでるな」
肩や裾に雪を乗せたまま、やって来た影がぶっきらぼうにそう吐き捨てる。
「それでも会いに来てくれたんだろう?」
笑いながら男がコーヒーを差し出すと、影をまとった男はふん、と小さく鼻を鳴らした。
「……」
カップ越しに見える目がギラついている。家主の男は甘いカフェオレを飲みながら、コートの肩に積もった雪が溶けて見えなくなるのをじっと見つめている。
こくりと喉が動いたのは、カフェオレを流し込んだから。それが嘘だということは、二人だけの暗黙の了解。
カチリと小さな音がして、扉の鍵が閉められる。
雪はやまない。
このまま降り続ければ足跡も、声も、匂いも全てをかき消してくれるだろう。触れた指の温かさも――。
あぁ、コーヒーを飲み終えるのが、待ち遠しい。
END
「雪」