植物も、動物も、幼い頃から上手く育てる事が出来なかった。
植物は花を咲かせること無く枯れ、動物はある日突然動かなくなった。
命を育てることに向かない手、というのがあるような気がする。怠けている訳では無いし、面倒だと思った事など一度も無い。なのに何故か死なせてしまう。
まるで底の空いた桶に水を注ぎ続けているような、そんな虚しさを感じる。……それはきっと、私自身が愛情というものを理解していないからだろう。私の母は、私を人間としてでなく道具として育てた。自らの生を彩る為の装置、自らの欲を満たす為の部品として、都合よく働かせる為の我が子だった。そんなものに彼女が愛情などを注ぐ訳がなく、結果出来上がったのは空虚な、底の空いた桶のような私だった。
「簡単な事だよ」
穏やかな声で男は囁く。
「底が空いてしまっているなら、塞げばいいんだ」
頬にひやりとした手が触れる。だが今は、その冷たさが心地よかった。
「私が呪いを解いてあげるよ」
囁きと共に近付いた唇が、私の唇に軽く触れる。
「まずは……君が私とどうなりたいのか、だね」
「……」
望みを聞かれるのは初めてだった。その時胸に沸いた仄かな温かさは、何だったのか。
こんな〝簡単な事〟を、私はずっとずっと欲していたのだと気付いたのは……部屋に置かれた小さな花に、新しい蕾を見つけたある朝の事だった。
END
「愛情を注ぐ」
ショートケーキとモンブランとスフレチーズケーキとオペラ。どれもケーキという洋菓子だけど、ひとつひとつは全く違う。
しかもひとつひとつはフィルムに包まれてくっつかないようになっている。
心というのはそれに似ている。
寄り添ったり近づいたりは出来るけど、ケーキも心も、それぞれ別のものだから綺麗だったり個性があったりするわけで、箱の中でくっついてしまったり傾いて混ざったりしたら、それはもうケーキとは、心とは言えないものになってしまう気がする。
心をひとつに。
心を重ねて。
よく言う言葉。
素敵な言葉。けれどそれは不可能だと分かっているから、人は「そうありたい」と願うのだろう。
心と心は絶対にひとつにならない。
心と心は重ならない。
けれど近付く事と、寄り添う事は出来る。
お気に入りの店のショートケーキを独りきりで食べながら、そんな事を私は思った。
END
「心と心」
暗示みたいに言い聞かせる。
私は強い。
私は正しい。
私はこれでいい。
私はこれが好き。
そう思い込んで、思い込んでいる事すら忘れてしまうくらいに自分の中にその感情を刻み付けて、それが自分にとって当たり前の、〝何でもない事〟になってしまっている。
〝何でもない事〟になってしまっていた事に、ふと苦しさや痛みや、窮屈さや悲しみを感じてしまうのは、暗示が解けてしまったからだろう。
だったらずっと、〝フリ〟じゃなくて本当に〝何でもない〟ままの、暗示がかかった状態でいたかった。
END
「何でもないフリ」
百人の薄っぺらい仲間より、たった一人寄り添ってくれる親友がいればいい。
増えない「いいね」の数を見ながら、そんな風に強がってみる。
END
「仲間」
迷路のような街を走り抜ける。
ゴーストの群れを爪で切り裂き、彼女の元へとひた走る。大丈夫、彼女のそばには頼もしい味方がいる。自分一人なら、どうとでもなる。
――そう、例えば消滅してしまったとしても。
自分の役目は彼女の道を守ること。
彼女の行く道、彼女の来た道。その道が間違いでは無かったと、その生をもって証明すること。その為に自分の、私達の仮初の生はある。
敵を屠り、道を開き、彼女をあるべき未来へ送る。
その為にこの爪は、この歌は、この生はある。
逆に言えばそれ以外の生は自分には有り得ない。
背中に熱を感じた。
ゴーストの見えない手が触れたのだろう。
――ここまでか。いい。私の代わりはいくらでもいる。
「×××××!!」
突如伸びてきた小さな手。小さい、だが強い手が私に触れる。手袋越しに伝わるのは微かな熱。
「はしって」
ゴーストを振り切り、駆け抜ける。小さな手の主は私を振り仰ぎ一瞬厳しい顔をしてみせた。
「いこう。みんなまってる」
――待ってる。
私の生は彼女のために。それ以外の理由など有り得ない。それなのに……この小さな、だが強い手の主の微かな熱を、その言葉を、一瞬でも長く感じていたいと思う自分がいる。
初めての感覚に、私は言葉を無くしてただ走るしか出来なかった。
END
「手を繋ぐ」