ガラス一枚なのに。
「これで良かったんだよ」
その声は余りに穏やかで。
「誰も死なずに済んで良かった」
自分はこれから死に向かうというのに。
「これが唯一の道なんだよ」
そんな筈が無い。そう叫びたいのに言葉が喉の奥にしまい込まれてしまうのは、自分が何を言ったところで彼の意思を変えることは出来ないのだと分かっているからだった。
「君と会えるのは今日が最後だけれど、君との時間は私にとってかけがえのないものだったよ」
そんな言葉は欲しくない。拳でガラスを殴りつけても、彼は身動ぎ一つしないで、微笑んでいる。
「あの方をよく支えて差し上げてくれよ」
そんな事を、笑いながら言うから――。
ガラス一枚隔てただけの面会が、何億光年も離れた宇宙からの最後の通信のようだった。
END
「距離」
「泣かないで」も「泣いていいよ」も、私には勇気のいる言葉だ。
よほど距離の近い者にしか、なかなか言えないと思う。涙なんて自分でコントロール出来るものではないし、泣くという行為はひどく体力を消耗する。
それでも溢れる感情を止められなかったり、どうにも出来ない心や体の痛みを紛らせるために人は泣く。
だからそれを止めたり、逆に許可したりなんて、私にはなかなか出来ないとてもハードルの高い言葉なのだ。
ただ一人それを安易に言ってしまってもいい存在があるとするならば、それは自分自身だろう。
END
「泣かないで」
彼は毎年同じ事を言う。
朝。
「布団から出るのが億劫になってきた」
昼は
「食堂から見えるイチョウがいつのまにか全部真っ黄色になっていたよ」
夜、帰ってくると
「オリオン座が凄く綺麗に見えたよ」
私は彼のこんな言葉で季節の始まりと終わりを知り、時の流れを知る。
黄色がどんな色かも、オリオン座がどんな形をしているのかも、まるで分からないのだけれど。
彼の声がそれはとても綺麗なものなのだと教えてくれるから、私にとって冬も、春も、夏も、秋も、どれもこれも美しく、世界はそれだけで生きる価値があるのだと思えてくるのだ。
END
「冬のはじまり」
「×××××××」
うるさい、うるさい、うるさい。
「×××××××」
これ以上どうしろっていうんだ。
「×××××××」
もうやりたいことはやり尽くしたんだよ。
「×××××××」
私は違う世界が見たいんだ。
「×××××××」
何年付き合ったと思ってるんだ。
「×××××××」
矛盾するだろう、無理があるだろう。
「×××××××」
うるさい、うるさい、うるさい!
そんなに見たいなら自分達で何とかしろ!
◆◆◆
「安易な続編って、つまんないのがほとんどだけどさ」
「うん」
「続編とか、パスティーシュとか、パロディって〝彼等の物語を終わらせないで〟って言う願いみたいなものなのかもね」
「……そんな綺麗なものばっかりとは限らないけどなぁ」
「さすが作家先生、厳しい見方だねえ。……でもさ、」
物語の登場人物は、作者の都合で殺される。
でもその逆も、あるんじゃないかな?
END
「終わらせないで」
恋愛、敬愛、友愛、慈愛、家族愛、人類愛、愛情、愛着、愛嬌、愛惜……愛がつく言葉はだいたい綺麗な言葉で(愛憎、も見方によってはその人や周囲を彩る美しい言葉になりうる)、何に対してでも愛情を注ぐことは良い事だけど、それを至上のものとされるのは正直ドン引きするし、あまつさえそれを押し付けられるのははなはだ迷惑でしかないと思うんだけど、それを公言すると多分「めんどくさいやつ」と思われるだろうから黙っておくと、ストレスやモヤモヤがたまって「うがー!!」って叫びたくなるのは私だけだろうか?
END
(一文でどれだけ長く書けるかチャレンジ)