せつか

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11/19/2023, 3:00:04 PM

「ろうそくの炎には心を癒す効果があるらしいよ」
男はそう言って銀の燭台にマッチの火を近づけた。
オレンジとも赤とも言えない曖昧な色が薄暗い部屋でゆらゆらと揺れる。テーブルの中心に置かれたそれに、男は満足そうに頷くと、「君も座れよ」と言ってゆったりとしたソファに長身を預けた。

「飲むかい?」
ワインのボトルを開けながら男が問う。結構だ、と短く答えて横を向くと、小さく肩を竦めるのが目の端に映った。
「なぁ」
男の声に応えるように、ろうそくの炎が揺れている。艶のある低音は、心地よい響きとなって鼓膜をくすぐる。この声で名を呼ばれることを、何人もの女達が望んで、だが叶わなくて涙を飲んだ。
その響きが名を呼ぶのは、今は自分だけだ……。
「たまにはゆっくり、話をしよう」
弾かれたように立ち上がり、男からボトルを奪う。
自分を射抜く鋭い視線に、男は淡い色の瞳を揺らめかせるだけだった。

END

11/19/2023, 12:55:40 AM

思い出、と呼ばれるものはあまり無い。
たとえば私は、七歳の誕生日に絵本を貰った。
その絵本は今でも部屋にあって、時々読んでいる。私の大好きな本の一つだ。
けれど、その本を貰った時自分がどんな反応をしたのか、両親はなんと言ってその本を贈ってくれたのか、まるで思い出せない。
「七歳のお誕生日おめでとう」
本の見返しに鉛筆で書いてあるその文字は、母のものだ。だから私は、この本を七歳の誕生日に貰ったのだと認識している。
けれどそれは、記憶、もしくは情報であって「思い出」ではないのだろう。

「たくさんの思い出をありがとう」
よく使われる表現だ。

けれど私は、「思い出」がよく分からない。

分からないまま、ただそれが美しいもの、もしくは人が持つ当たり前のものとして受け止め、使っている。

そこに感情が伴っていなくても、それは思い出と言えるのだろうか?



END