当たり前の日常なんてない。
私はそれを大切に生きています。
みんなに考えてみてほしいのです。
当たり前ってなんですか?当たり前の日常ってなんですか?
学校に行ったり、自転車に乗ったり、布団に入ったり、息をしたり、そういうものが当たり前だと思いますか?いいえ、きっと違います。じゃあ、あなたは今生きていることが当たり前だと感じているのですか?生きていることは当たり前じゃない。何気ない日でもきっとどこかに幸せがあるんです。今生きていることは幸せなことなんです。なのに、どうしてそれを忘れてしまうのですか?毎日毎日当たり前じゃないと考えていろと言っているわけではないのです。息をしていることさえ当たり前ではないんです。じゃあ友達がいつもいると思いますか?友情が明日もあると思いますか?私はそうは思いません。
昨日友達だった人が今日も友達だと言い切れますか?私は過去にそうなった時があります。友達だった人が次の日になったら冷たくなるんです。そういう人もいるんです。
ここで、一つ今年あったことを話します。
まあ、みなさんもきっと知ってると思いますが、正月に地震がありましたよね。
その時に感じたんです。
昨日生きている人が今日いなくなったりすることが本当にあるんだととても怖く思いました。
あとは、13年前かな?東日本大震災がありました。
津波の映像を見ると、胸が締め付けられるような気持ちになります。
そうなんです。家族が、友達が、親友が、いつでもいると思っているかもしれないけれどそうではないんです。
地震だけではありません。戦争もそうです。
昨日生きている人が今日生きているなんて保証はどこにもなくて、大切なのがあるのが当たり前なんて、きっと思い違いなんです。
そして、私は戦争や地震で大切な人を亡くしたり、そういう人を見たりすることで、当たり前ではないと気付くんです。だから戦時中の人や危険な状況にいる人ほど、当たり前なんてないと思えるんじゃないかって思ったんです。ここで、一つ気付きましたね。大変な状況にいる人ほど、そういうものを感じとりやすいと。私達はとても幸せな生活を送っているから、気づかないのだと思います。
あなたは得しましたね。これで気付けましたか?
ここで、一つオススメの小説を紹介しておきます。当たり前なんてないことを気付かされる本です。
「あの花が咲く丘で君とまた出会えたら。」
です。これを見ればきっと今がどれだけ幸せか、この幸せな日常は当たり前じゃないと気付かされることでしょう。ここで、一つあなたに伝えたいのです。私はあなたに会えて、この文章を読んでもらえてとても幸せです。この幸せな気持ちを忘れないようにしたいです。出会ってくれてありがとう。応援してくれてる人もいるのかな?いたらとても嬉しいです!これからもよろしくね。
どうでしょう?これは、私の考えですね。日常という言葉を聞いたり見たりするとこのことが真っ先に思い浮かぶんです。だから、今を大切に、友達や大切な人を大事にして、幸せな人生を歩もうね。
〝幸せは自分で掴み取るもの。やってくるわけじゃない。幸せな人生を作るのはあなたです。幸せになれるかどうかはあなた次第なんです。どうかあなたのその手で幸せを掴み取ってください。そして、いらないものは捨ててしまおう。つらい日々を捨てて幸せを掴み取ろう。そうしたらもっとあなたの人生は豊かになるはずです。〟
好きな色が人それぞれ違うように「人の色」も違うのだ。
あの子はかわいいな。かっこいいな。と思っていても相手からしたら自分が、あの子はかわいいな。かっこいいなと思われているかもしれない。そのように人それぞれ自分の色があるのだ。
もし自分の色がピンクだとして、憧れを抱いている人が水色だとしよう。
私がその子に合わせてしまえば、自分の色は水色ではなく、紫色になってしまうのだ。
つまり、憧れを抱いている人になりきってみても、結局は自分の色と合わさると、全く違う色になってしまうのだ。自分と相手には必ず違うところがあるのだ。それは色と同じで、少し薄かったり、少し淡かったり、とても濃い色だったりするのだ。だから、無理に合わせようとはせず、自分のままでいいのだと私は思う。
そして、私がピンク色だとして、相手が青色だとする。そしてその相手が苦手な人だったり、合わなかったりしたときに、合わせてしまうことがあると思う。
この場合、相手に合わせてしまえば、自分は自分の色より濃い色の相手の青色になってしまうのだ。
そして、こういう場合もある。自分がピンク色だとして、相手の色が水色だとしよう。
さっき話したように、自分が相手に憧れを抱いていて、相手のようにしてみると、紫色になってしまう。そうすると、結果的に相手の色とも自分の色とも違う色になって、自分の色さえわからなくなって、憧れを抱いていた相手に対して負の感情が出てきてしまうこともある。
相手に憧れを抱いていても、相手からしたら、自分は憧れの存在なのかもしれない。
なのに、自分が相手に合わせてしまったら、相手が憧れていた自分はいなくなってしまうのだ。
そうしたら、最終的に自分は相手に負の感情を持っていて、相手は自分に自分の憧れのあの子がいなくなってしまったと一瞬でも思ってしまえば、もう遅いのだ。
1本の平行線で一生交わることのない色になってしまうのだ。
そうならないために、自分は自分らしくということが大事だと思う。
自分の色と相手の色。それは違う。それらが混ざってしまえば、元通りにすることなんて出来ないのだ。自分の色を大切にして、相手の色にはならずに相手にあなた素敵ねと言ってみてもいいかもしれない。そうすることで、この世界にたくさんの色が生まれていくと思う。そうしたらもっとこの世界はより良くなっていくと思うんだ。
どうでしょう?!結構いい感じじゃないですか?!私のアカウントでは、主に短編小説を書いています。
最初の方を見れば完結しているお話があると思います。ぜひそちらも見ていただけたら嬉しいです!
あなたがいたから、毎日が輝いて見えたんだ。
「始めまして。鳴川怜です。よろしくお願いします。」
〜休み時間〜
「ねえ、晴香〜!あの人めっちゃ陰キャじゃない?」
「そうかな。そうでもないんじゃない?」
「まあ晴香が言うなら陰キャじゃないか!」
「ねえねえ怜だっけ?」
「え、あ、はい。」
「俺は春斗!よろしくな〜」
「あ、前の席なの?」
「そうだぜ?」
「よろしくニコッ」
「いい笑顔だな!」
「そう?それはどうも。」
「春斗〜!晴香がさ!今度の日曜遊ぼって言ってるけど行く?あ、怜くんごめんね。」
「あ、大丈夫です。」
「行こっかな〜!」
「おけ!」
「それよりさ、怜ってなんか音楽とか興味ない?」
「ちょっと春斗また誘ってんの〜?ごめんね怜くん!こいつの入ってる軽音楽部人いないんだって〜」
「そうなんだ。音楽は、ギターなら弾けるよ」
「まじで?!ぜひ軽音楽部に入ってくれないか?」
「まあ春斗が言うならいいよ。」
「よっしゃ〜!!!!!」
「春斗うるさい〜」
「晴香んなこと言うなよ〜!ごめんって!笑」
「別にいいけど笑」
そんなこんなで怜は、転校生としてやってきたのだ。
〜放課後〜
「晴香今日は一緒に帰れる〜?」
「屋上行くから無理かな〜!」
「晴香好きだよね屋上!」
「先帰ってて!」
「オッケー!」
そして屋上へ向かう。思いもしなかったのだ。この先に怜がいて、怜の歌声とギターの音色で私の世界が変わることになるなんて。
「〜〜〜〜」
「だれか歌ってる、、、、?聞いてみよ。」
そっとドアを開けて、聞いてみることにした。するとそこには怜がいた。
「〜〜〜〜〜〜」
これは、夜明けと蛍だ。怜の声ってこんなに透き通った声だったっけ?屋上には、とても優しくて、触れたら壊れそうなくらい繊細な歌声とその声にマッチしているギターの音色。
気づいたときには、涙がでていた。
思わず呻き声が出てしまう。
「っ、、、、、うっ、、、」
「え?晴夏ちゃん?聞いてたの、、、、?」
「ごめん。でもとっても素敵な歌声とギターだったよ!ありがとう、、、、!」
また後で書きます!過去の見といて!
未来なんて誰にも分からない。
それに、未来を考えていたって時間の無駄だ。
だから自分は考えることをやめた。未来になにが起きるかは分からない。もしかしたら、死んでいるかもしれない。もしかしたら運命の人に出会うかもしれない。もしかしたら、大切な人を失っているかもしれない。もしかしたら、人生に愛想を付いているかもしれない。そしてそれらのことがいつ起きるかも分からない。例えば、百年後かもしれない。もしかしたら、五十年後かもしれない。もしかしたら、明後日かもしれない。もしかしたら、明日かもしれない。もしかしたら、1時間後かもしれない。もしかしたら、十分後かもしれない。もしかしたら数秒後かもしれない。
そんな「もしかしたら」という無駄なことを考える必要はないと考えたのだ。
だけど、いつなにが起こるかは分からなくても、今を大切に生きたり、大切な人を大事にしたり、大切な人に感謝を伝えたりすることはできる。そうすれば、もし明日なにか起こっても悔いなく死ねるかもしれない。悔いなく生きれるかもしれない。だから、自分は余計なことを考えずに「今」を大切に生きることが、人生においてとても大切だと考えている。
だけど今でもよく分からない「予言」や「予測」を信じてしまう人がいる。それを信じるのは構わない。だけど、そんなことに怯えているなら、近くにいる人を失うことにでも怯えていたほうが自分にとって大きな成長に繋がると思うんだ。
よく「ねえ◯年後に世界が崩壊するかもだって。怖いよね〜」と話していたり、「それなら今死んじゃおうかなw」という人がいる。
どうしてみんなそんなに「未来」にこだわるのだろうか。今目の前にある問題や幸せに目を向けたほうがいいのではないのか?起きるかも分からないことに怯えていたって、必ずその日がやってくる。もし、その事が起きたとしても、起きなかったとしても、必ずその日はやってくるんだ。
「うちら1年後に死ぬかもよ?!」と言っている人もいるが、人はいつ死ぬかは分からないんだ。もしかしたら数秒後に死んでいるかもしれない。それなのにどうして1年後という日を意識するんだ?普通に考えればわかることだ。きっと誰しもが、あなたはいつ死ぬと思う?と聞かれたら、分からない。と答えると思う。そう。わからないのだ。自分になにが起きるかなんて分からないのだ。だから人間はいつでも生と死の、幸せと不幸の、ほかにもいろいろな瀬戸際に立たされているのだ。そのことに恐怖を感じることはないのだろうか?もし、自分が明日死ぬと分かっているなら、あなたはなにをする?と聞かれたら、自分は多分こう答える。たくさんの今まで支えてくれたりした大事な人たちに感謝を伝えると。でも自分は常に考えているのだ。みんなも考えてみてほしい。自分が明日死ぬと分かっているなら、あなたはなにをする?と聞かれたら、考えるかもしれない。でも聞かれなかったら、考えないのだろうか?聞かれなくても、いまそのような質問のような状況かもしれない。明日死んでいるかもしれないと思ったら、きっと今日を大事にできるはずなんだ。だったら、毎日そのように考えることで、毎日を大事にできると思うんだ。
今回は普通に自分の考えたことを書いてみました!
私のアカウントでは、主に短編小説を書いています!でも最近はお題が難しくてあまりかけていないんですけど、最初の方を見てくれればたぶんいいお話が見れるかもしれません。
あなたの心に残るような、言葉、小説を残したい。あなたの人生を変えるきっかけになりたい。
本気でそう思っています。ぜひ小説読んでみてね!ここまで見てくれてありがとう。
ここまで読んでくれたあなたの毎日がとても素敵なものになることを願っています。
1年前
学校行くんでかけない!
帰ってきたらかく!