愛を注いで
きみの愛は大きい。
慈悲深く、博愛主義とでも呼べばいいのだろうか。
その中に俺は含まれているとも。
自意識過剰ではなく、それは紛れもない事実なのだから。
でもそれは俺にとっては一番残酷な愛だ。
平等とは心惹かれるもので素晴らしいことこの上ない。
だが、裏を返せば違いもなくただ一定。
そこに特別というものは発生しない。
きみに愛されて幸せだけれども、俺はそれ以上がほしい。
カップの水面張力を決して溢れない愛じゃない。
もっと溢れるほどの愛をカップに注いでほしい。
だって俺はずっと昔から、きみへの愛を注いでるから。
その愛はずっとカップから溢れっぱなしなんだよ。
心と心
目に見えないもので繋がっていたい。
例えるならなんだろう。絆とか?
でも絆って案外脆そうですぐに崩れちゃいそう。
もっと、もっと、体の深いところで繋がろう。
誰の目にも映らないそんなところがいいな。
そこにふたりで辿り着いて。その場所の鍵を交換して。
また巡り逢えたら一緒に開けようね。
私たちだけの秘密の場所を。
何でもないフリ
私は気にしてない。私はどう思われてても良いよ。だって人間だから万人に好かれようなんて思わないから。
そんなの嘘だ。私は嘘つきだ。
物分かりがいいふりして、本音を隠して、笑っている仮面をつけている。
吐いた人にとっては何気ないひと言だったかもしれない、何気ない言葉を馬鹿みたいに気にしてる。
私に対してのメッセージの一言一句噛み締めて、その文字列に喜んだり落胆したり。
小さな画面の顔も知らない誰かさんからブロックされたことを人一倍気にしている。
私の何がいけなかった?何か気に触ること言ってしまった?
どうして、どうして、どうして…
今日も私は元気だよ。
好きなことを語り合える仲間がいて、推しがいて。
毎日楽しいね。
嗚呼、また心の奥を隠して投稿ボタンを押してる。
何でもないフリをいつまで続けたらいいんだろう。
馬鹿らしいことこの上ない。逃げたい、でもいたい。
文字でしか繋がりがない人たちの輪から追い出されたくない。
なんて弱虫なんだろうと自分自身に心底嫌気がさす。
*仲間
仲間という言葉の定義ってなんだろう。友だちとは違うのか?
考えてみたら友だちは自分が一緒にいて気が休まる人のことを指してると思う。自分がこの人と一緒にいて楽しいと思えるのが友だち。
その一方で仲間は違う。いい意味で一緒にいる人もいるけど、仲間は悪い意味のほうに比重をおいている気がする。
例えるならば仲間意識という言葉からは良いイメージがない。変な仲間意識を持ち合って、お互いに腹の底を探り合って、足を引っ張りあっているだけだ。
仲間だと思っていても信用するなと誰かが言っていた。
その仲間が裏切ったり、攻撃してくる。あるいは仲間外を攻撃している。そんなものはいらない。
だから
仲間って言葉は好きじゃない。
*手を繋いで
あの日、あの時、暖かい温もりを感じた。
手を繋いでどこまでも行ける気がした。
握ろうとした手が遠ざかっては近づいて。自然に捕まえようと躍起になるのに、意気地なしで掴めないまま。
憎たらしく自分の手を見つめることしかできない。
砂浜を踏む音、波が寄せては返す音。それに混じって鼓動の音が大きく鳴る。
目の前を歩く君はそんなことはお構いなしにどんどん進んでいく。なぜか喪失感に駆られ足取りが重くなって歩みを止めた。
君は前を向いて未来へ駆け出している。その姿が眩しすぎて隣にいてもいいのかわからなくなる。どんよりとした気持ちとはいまのようなことをいうんだろうか。
置いていかないでほしい。手を伸ばしても届くことのない背中に手を伸ばす。どうせ届く筈がないのに。
暖かい。手のひらに感じた温もり。
どうしてだろうと温もりを辿ってみると包まれた手。
なんでだとか、どうしてだとか、そんな言葉ばかりが浮かぶ。
いつだって君は欲しいものをいとも簡単にくれて、これじゃあ悩んで塞ぎこんでた自分が馬鹿みたいじゃないか。
行こう!っと陽だまりのような笑顔を向けられたら、君がずっと離れずにそばにいてくれると勘違いしてしまう。
どうしてくれるんだ。期待ばかりさせて、泣きそうなくらい嬉しいだなんて。
君のせいだから。いまさら離したいとか言ったら許さないから。この手の温もりを教えたのは君なんだ。ちゃんと責任をとって手を繋いでて。