「涙の理由」
たまに、夜に呑まれて泣きたくなる日ってあるよね。
言葉にならないものが渦巻いて、
頭の中にたくさんの言葉が浮かんでいるのに、
いざ書き出そうとすると、
不思議なくらいまとまらない。
それが良いものなのか悪いものなのかもわからない。
考えすぎているのか、考えが足りないのか。
でもね、感情は必ずしも言語化できるものじゃないし、
言葉にしづらいからこそ重くて
わけのわからなさに呑まれちゃうのよ。
そんな日は、そんな日なんだって受け止めて、
感情に任せていっぱい泣こう。
泣いた夜は、不思議と生きる原動力になる。
時間はかかっても、必ず、救われる日は来るから。
生きてさえいれば、大丈夫なのだ。
「コーヒーが冷めないうちに」
その小説、見たことある?
某喫茶店で席に座ってコーヒー飲むと、
過去に戻れるらしい。
いくつか条件があって、その一つが、
過去を変えることはできないってこと。
でも思う。
どんなに過去に戻っても、
自分っていう本質的なものは変わらないから
結局、今の自分にたどり着くんだろうな。
そもそも、過去は変えられないんじゃなくて、
変える必要がないようにできているはず
だからある意味でも、過去は変えられないのだ。
「パラレルワールド」
パラレルワールドには、もう一人の私がいるらしい。
きっとその私が、努力とか挑戦とか、
そういう面倒なことを引き受けてくれてる。
だから、この世界の私は焦らなくていい。
むしろのんびりしていた方が、
全体の均衡が取れるのかもしれない。
あちらが走るから、こちらは休む。
そうやって世界はバランスを保っているのだ。
みんなもどこかの世界の自分に任せちゃえばいい。
理由つけて、
少し肩の力を抜いて生きたっていいんだよ。
「時計の針が重なって」
長針と短針は、いつも微妙な距離感を保っている。
近づいたかと思えばすぐ離れるし、
やっと重なったと思ったら、去っていく。
なんだか人間関係みたいだな。
すれ違って、ちょっと戻って、またすれ違って。
不思議と人はそれでも一緒にいようとする。
人間は寂しがり屋なのだ。
「僕と一緒に」
私には11歳年が離れた弟がいる。
昔はなんでも「一緒に」って言われた。
ゲームも勉強も、お菓子作りも。
弟ができないことを、私が手伝って、
一緒にやるのが当たり前だった。
今はもう大きくなったから言われなくなったな。
ちょっと寂しいけど、
弟がどんどん大きくなるのを、
少し離れた場所から見守れるのも案外心地いいのだ。
そうやって弟の成長速度に感動すると同時に、
私は自分の老いを感じて別の意味で涙が出るな。