どこまでも続く青い空
私がよく見ている某番組のキャスターさん達が、同じ空の下で繋がっているという話をすることがあります。
そうなんですよね。
どこまでも続く青い空の先に、皆さんが同じ時間を生きてるんですよね。
なんだか感慨深いものです。
さぁどんな話を書こうかと思い、他の人はどんなこと書いているかなと覗いてみて気づいたんです。
皆さん小説のような作品だったり、ポエムのような語りを書かれていたり、何よりそんなに長くないんですね。
私つい長く書いてしまうので、読みづらいとか意味分からないとか、色々ご指摘受けること多い人生ですが、ここでも短めの方が読みやすくていいでしょうかね。
といっても個人的に感想とか聞けないんですよね。
皆さんは感想とか聞いてみたくないですか?
それとも逆にアクションがないほうがいいから、ここを選んでいる人が多いのでしょうか?
私はここを紹介で知りまして、紹介相手が誰か分からないという不思議なご縁のままです。
ネットは目に見えないご縁ばかりで、いつ途切れているかも分からない苦労が多々ありますが、こうしてここにいるのも、匿名の誰かのおかげだとありがたい限りです。
これからどんよりな天気が続くと予報でやってはいますが、いつしかやってくるであろうどこまでも続く青い空。
私のことをどこかで知ってくれている誰かが、同じ青空を見上げていると思えば、意外と自分ぼっちじゃないのかもと勘違いしそうな気分になるかもしれません。
単純なヤツですねw
衣替え
本日現在帰宅後の格好。
半袖インナーに半袖Tシャツハーパン。
プラス扇風機つけてます。
衣替えするほど服を持っていませんし、暑がりで部屋も古い割に熱持ちのいい部屋。
タンスひとつあれば間に合ってしまうんです。
当然オシャレにも無縁ですから。
皆さんは大変だろうなぁ、手入れも保管もちゃんとしないとですもんね。
それとは別の意味で、衣替えという言葉を使うことがあります。
外見を替える、見た目を替えるということで、あちこちで態度が変わる人のことを、あの人時期外れ(衣替え)だねと。
私もよく衣替えされてあれこれ嫌な思いしてきました。
そんなに着替えないで落ち着いたらいいのに。
そう思ってしまいますけど、オシャレさんは一度着た服を二度と着ないなんて人もいますからね。
ようは一見さんです。
オシャレさんはモテますから、そんな節操ない接し方をしていても、世渡り上手ですごいなと感心してしまいます。
私そっちのオシャレも無縁です。
衣替えは季節に合わせて自分を変えていくもの。
周りに合わせてコロコロ変わるのもいいですが、馴染んだ服を着ていると愛着わきますし、量より質の人付き合いができるかもしれませんよね。
……ちょっと上手いこと言えたみたいに思ってしまいましたが、通年ほぼ変わらないのも新鮮味がなくなって飽きられるので、何事も程々ってことです。
声が枯れるまで
中学校時代にあった体育祭は、三学年が色別に別れて対抗する形式で、同じクラスでもバラバラになります。
普段いじめてくる輩たちからも離れられて、助かったと思いましたがそうもいかず。
私が分けられたのは紫組。
教室に集まって出場種目を決めたりし、応援の練習をしたりもしました。
全員立って練習し合格すると座って休憩でき、声が小さいと立たされたままずっと声を出し続けます。
声が小さい私はずっと立ったまま。
声が枯れて喉が痛くなると余計に声も出ません。
毎回最後まで立たされてひとり応援をし、終了時間になりようやく解放。
もう喉がヒリついてつらいのなんの。
運動神経もなく足も遅いので、玉入れをやりましたがお役に立てず。
結果当日は喉ボロボロで役にも立たず、最後の片付けぐらいはと思うものの、痛みがつらくて途中リタイア。
保健室で寝ていると、外から聞こえてきたのは私への叱責。
あいつがいたから勝てなかったと。
片付けもしないでサボってやがると。
ほんと申し訳ない。
来年は出るのやめよう。
そう決意し、次の年は不登校で欠席。
さらに次の年は仮病で見学扱い。
今にして思えば、迷惑かけずに済んで安心したとホッとしています。
苦痛でしか無かった体育祭は無事に過ぎ行き、声を届けることも無く過ごしているので、声が枯れるのは風邪をひいた時くらいですが、まああちこち枯れる年齢ですしね笑
声が枯れるまで、あれこれ訴えていた頃が懐かしい。
物理的のも精神的にも声が小さくて届かない虚しさは、大人になっても困ることばかり。
始まりはいつも
雨ですかね。
終わりはいつも、なら嫌われて終わりなんですけど、始まりはいつも決まっていないと思います。
先週も、プライベートで少し考えることがありまして、あー話したいな、反応聞きたいな、そう思うことがありましたが、なんとか鎮めて諦めるがいつもです。
仕事以外で普段話せる相手がいたら、どんなに楽しいことかと想像しても、メル友さんすらできずにいるのは、わざわざ長期間接したくなるほどの魅力はないのでしょう。
せめて、始まりはいつも好印象な人であったなら、短期間だけでも仲良くなれているだろうに。
文字ひとつとっても、性分でこう長く書きがちで、LINEとかメールの返事は短めがいいと、指摘されてもやめられず。
見た目は論外として話も上手くないですしね。
こうして挙げていくと、わざとじゃなくてもダメ要素ばかりという大前提。
ましてや恋愛ではなく友人募集ひとつとっても、ネットで知り合うくらいしかないですからね。
始まりはいつも思うんです。
もしかして、この人は自分と気が合うんじゃないだろうか?
だから声掛けてくれたんだろう。
どうしよう、そのうち近くなら会って話したりできるんだろうか。
遠くても気にせず、友達だよと他に紹介しても大丈夫だろうか。
自分は楽しく接しているから、きっと相手も楽しんでくれているだろう。
始まりからいつもこうして勘違い。
でも、そのうちひとりくらい、現れるかもしれないじゃないですか。
そうなんだよ、お前と接してると楽しいんだよ。
そんなこと思ってくれる人が。
そんな人現れると思います?
きっと現れると思うぞと読んでいて思ったそこのあなた。
もしかしたら、あなたのことかもしれませんよ。
いつか私と知り合うかもしれません。
その時はお世話になると思いますからよろしくどうぞ。
すれ違い
けっこう長く書いた記憶のまま、相棒の睡魔に強襲されたらしく、夜明け前あたりに真っ黒な画面のスマホを持ちながら起床。
なんか色々書いた記憶のある自分、とすれ違ったままの今の自分では、また最初から書き直そうとも思えず。
そんな時こそ編集機能。
書いた話を思い出せればそれでよし。
新しい話を思いつけばそれもよし。
とりあえず、お風呂入って考えようかなと。
ただいま数県先の温泉地へ仕事に来ているので、普段は入るのとは違う泉質を堪能して帰りませんとね。
という投稿から数日。
未だに思い出せずにいます。
なので別の話題を。
ぼっち生活が長いと、基本的にひとりで何かをするのが当たり前で、誰かがいる想定はしません。
そうなると行動範囲も限られてきます。
おふたり様からご案内とかよくあります。
でもまぁ、そこを我慢すればいいだけですからね。
ただ厄介なのは何か相談というか話を聞いてみたい時に、相手がいないと聞けないことです。
仕事のことなら仕事先で話せばいいとしても、プライベートのことはなかなか話せませんから。
それでも私は皆さんよりは仕事先で深く話すことが多いと思います。
ただ、それ以上の話となると、相手にも負担になるといけませんから。
そこで、プライベートで知り合うようなこういう場の人なら、話を聞いてくれるかなと思っていましたが、残念ながらどこも無反応。
読み物としてはいいのでしょうが、中身と接するほどではないのでしょう。
仕方ないことです。
なんだか一方通行ですれ違いすらないやり取り。
これを交流と言っていいのか分かりませんが、私自身に関心を持ってもらい、親しくなりたいと思ってくれる人が現れるまでは、ぼっちの話も解消しないでしょうね。