すれ違い
けっこう長く書いた記憶のまま、相棒の睡魔に強襲されたらしく、夜明け前あたりに真っ黒な画面のスマホを持ちながら起床。
なんか色々書いた記憶のある自分、とすれ違ったままの今の自分では、また最初から書き直そうとも思えず。
そんな時こそ編集機能。
書いた話を思い出せればそれでよし。
新しい話を思いつけばそれもよし。
とりあえず、お風呂入って考えようかなと。
ただいま数県先の温泉地へ仕事に来ているので、普段は入るのとは違う泉質を堪能して帰りませんとね。
という投稿から数日。
未だに思い出せずにいます。
なので別の話題を。
ぼっち生活が長いと、基本的にひとりで何かをするのが当たり前で、誰かがいる想定はしません。
そうなると行動範囲も限られてきます。
おふたり様からご案内とかよくあります。
でもまぁ、そこを我慢すればいいだけですからね。
ただ厄介なのは何か相談というか話を聞いてみたい時に、相手がいないと聞けないことです。
仕事のことなら仕事先で話せばいいとしても、プライベートのことはなかなか話せませんから。
それでも私は皆さんよりは仕事先で深く話すことが多いと思います。
ただ、それ以上の話となると、相手にも負担になるといけませんから。
そこで、プライベートで知り合うようなこういう場の人なら、話を聞いてくれるかなと思っていましたが、残念ながらどこも無反応。
読み物としてはいいのでしょうが、中身と接するほどではないのでしょう。
仕方ないことです。
なんだか一方通行ですれ違いすらないやり取り。
これを交流と言っていいのか分かりませんが、私自身に関心を持ってもらい、親しくなりたいと思ってくれる人が現れるまでは、ぼっちの話も解消しないでしょうね。
秋晴れ
今年はまだ、秋晴れらしい秋晴れを感じたと実感できていない気がします。
地域にもよるでしょうが、書いている次の日は30度予想ですし、今年も秋は遅く来て早く過ぎ去り、あっさりと冬になるかもしれません。
一度だけ落ち葉の絨毯が敷き詰められた森の中で、寝袋に入って夜空を見ながらキャンプをしたことがあります。
その次の日には、秋晴れの下稲架がけが連なる田んぼに、もう秋だなと季節を感じることもありました。
その頃は今頃でも涼しい時期で、多彩な色の森の景色と、穏やかな秋晴れの青空を見ながら、どうせなら外で寝袋寝てみようと試してみたものです。
段々と空気が軽くなり、汗もかかなくなり始め、秋の景色に実りに、四季のありがたさを実感したものです。
秋晴れらしい気持ちのいい空。
空を見上げて一息つけるような、心にゆとりを持たないといけませんね。
せめて口だけでもと、昨日満月だからと買ってお供えしておいた月見団子でも食べるとしましょう。
心にゆとりを、体に糖分を。
皆さんも、秋晴れに便乗して、自分にご機嫌取りしてあげてくださいね。
忘れたくても忘れられない
これって、一度忘れたのに数十年後ふとしたときに思い出すことも、忘れられないに入るんでしょうか?
そうしたら、大抵のことは忘れられてないと思います。
ただなんでしょうかね。
良い思い出とかは忘れやすくて、悪い思い出はしょっちゅう思い出すっていうのありません?
先月までやっていた某アプリで、一年接してきた人はまだしも、数回やり取りがあったくらいの人は、内容は覚えていても名前を忘れてしまいました。
思い出したいんですけど、またアプリやるわけにもいかず。
逆に相手からしたら、一年やり取りあってもこいつ誰だ?となっているでしょう。
相手の人生に爪痕を残せない薄さ、それを魅力と呼ぶのかもしれません。
そういえば、良い思い出で忘れたいことってあるか考えてみたら、ぼっちの私にもどこかへ連れ立つ相手がいたことは、良い思い出と言えるでしょう。
それを思い出すと、今の静かさが切なくなるので、いっそ忘れたほうがいいと思いながらも、10年20年と忘れられずにいます。
忘れたくても忘れられない、人生での素敵な出会い。
それを忘れられた時は、止まっていた時が動き出したか、書き換えるほどに新たな出会いがあった時かもしれません。
やわらかな光
蛍光灯じゃなくて豆電球の明かり。
しかも調光できるタイプのやつ。
ゆっくりとじんわりと明るくなっていく感じが、やわらかだなと思うものです。
ただし、これ自分で暗闇から明るくなるように操作してるならまだしも、何も知らない人からすれば、暗闇にぼんやりと明るさが出てきた場所に、徐々に浮かび上がる顔しか見えないはず。
ただただ恐怖でしょうよ。
時期的にハロウィーンに使えそうな演出かもしれません。
そうなると、はっきりとした強い光のほうが安心できますが、私強い光が苦手でして。
お前アンデッドかよと思われがちですが、カメラのフラッシュとか大抵半目か死んだ目してます。
やわらかい光ならと癒されますし落ち着きます。
焚き火とかの明かりもいいですが、火も光と呼んでいいのかどうか。
ゲーム脳からしたら、火属性と光属性は違いますからねぇ。
やっぱり電気や太陽の光でしょうか。
もしくは僧侶や神官が使いそうな回復魔法や浄化魔法はやわらかそうです。
やわらかな光は、暖かみも安心感も与えてくれますが、それは実は知らずうちに癒されたり清められたりしているのかもしれませんね。
個人的には光もいいですけど、食べるお肉がやわらかいほうが至福な気もします。
そういえば、ハートが100を超えたんですけど、長文がお好きな人が多いってことなんですかね?
見ての通り文才もなく読みづらいでしょうに、そこを読みたいと思ってくれてありがとうございます!
鋭い眼差し
無愛想なのでいつも真顔になりがちで、目つきが悪い顔が怖いと言われますが、鋭い眼差しと言われると、見透かしているようで悪い気はしません。
とはいえ、そんな鋭い眼差しをすることって普段そうないですよね。
せいぜい仕事中に他の作業の進み具合や、対人の様子を見る目が鋭くなるとか、他所のチラシより安いものないか、価格POPを見つめる目が鋭くなるとか。
あとは街中とか電車内とかで、変な態度やいきなりぶつかってきたりとかだと、つい鋭い眼差しに……これ意味違ってますか。
睨まれてる鋭さは結構刺さってきますし、むしろこっちのほうが鋭さもありそうです。
そうなると思い出すのは、都会にありがちな前リュックです。
後ろにリュックを背負うと邪魔になるという謎の光景。
私は前に天然リュックつけてるようなものなので、さらに背負うと前に圧力とんでもなくなります。
人が多いなと思う所はなるべく手に持つようにしていますが、それでもお前邪魔だという目線を感じます。
満員電車に乗る機会はほぼないものの、ここまで不快そうな眼差しを受けると気分も悪くなり、何度車内で座り込んだことか。
座れば座ったでさらに邪魔になり、ヘタすればわざとではなさそうですが蹴られることも何度か。
いるだけで周りを不快にさせるって、困ってしまいますね。
そんな時にふと、鋭い眼差しで相手を見ながら、自分が同じことしようと思う人間じゃなくてよかったなと。
余分に場所を使って悪いなと思いながら、その鋭い眼差しで似てたまるかと反骨心も出てくるかなと。
鋭い眼差し、できればその眼差しは、相手をよく見て知って歩み寄り仲良くするための眼差しであればいいなと思います。
突き刺さって痛いじゃなくて、鍼治療してる気分になれるといいですよね。