あの日の景色
たくさん思い出がありすぎて、どのエピソードを切り取るか難しいところだけど、今から8年ほど前、僕には好きな人がいた。2人でカラオケやボーリングなど、暇さえあれば遊ぶ友だちのような間柄だったが、ある年の夏、僕は彼に恋をした。理由は、他愛もない、夜空に浮かぶ花火を、甚平姿の彼が眺める横顔に、惹かれてしまったのだ。しかし、今ほど、同性愛に対する理解がなかったあの頃、僕は自分の気持ちをひた隠しにするしかなかった。その後もしばらくは、友だちとして関係は続いたが、会えば会うほど切なくなり、僕の方から、次第に距離を置くようになった。
「あの頃は…」なんて時代ばかりのせいには出来ないけど、もし、あの出来事が「今」だったら…と時々、思う。
願い事
子どもの頃、七夕の願い事に、何をお願いしたらいいのかを必死に考えていたように思う。周りの子供たちは、みな、「足が早くなりますように」とか「幼稚園の先生になりたい」などと、思い思いに書いていたのだが、僕には、そんな純粋な願い事が全く思い浮かばなかった。だから、いつもテキトーに周りの子供たちの短冊を盗み見して、当たり障りのない願い事を書いていた。
今、何をお願いするかと聞かれたら、「障害のない自分」をお願いするかもしれない。無いものねだりだし、障害が無くなったからといって、劇的に人生が変わるわけではないが、叶うなら、そんな自分の人生を一度、歩んでみたいんだ。
空恋
空に恋をすると解釈すればいいのか、空回りする恋と解釈するのか、難しい言葉だ。
波音に耳を澄ませて
中学生の頃、学校へ行くふりをして、海へ出かけていったことがあった。片道2時間半も歩いて、たどり着いた海で1人、波音を聞きながら、何をするでもなく、ぼーっとしていた。次第に太陽がゆっくりと頭上へ移動する頃、空腹感に耐えられなくなり、仕方なく家に帰ったのだが、この行動がちょっとした問題になっていた。
海から2時間半かけて歩いてきた僕は、家の近くで、先生たちの姿を目撃したのだが、その時間帯に授業を受け持っていない先生たちが、総出で僕を探していたらしい。保健の先生に声をかけられ、僕だと確認すると、
「いました!見つかりました!」
と大きな声で他の先生たちに報告した。僕は、恥ずかしいやら情けないやら変な感情が溢れ出て、涙を流していた。
その日の午後、担任の先生がウチに来て、なぜいなくなったのか、どこへ行っていたのか訊いてきたけど、僕はただ泣くだけで何一つ答えることが出来なかった。
何かあると、必ず海へ出かけていた僕にとって、そこは大事な場所の一つだ。今はもうあまり行くこともなくなったが、大切な思い出の場所になっている。
青い風
僕は、言葉が非常に未熟だ。拙いと言っても過言ではない。考えや気持ちをなかなか言語化することが出来ない。そんな奴がいるのか?と不思議に思う方もいるだろうが、本当なのだ。
現在、会社でのやり取りはノートを利用している。仕事での疑問や質問をノートに書いて、それを上司に渡し、返答をもらう、という仕組みだ。病院の受診や電話をかける時にも、ノートなどにメモ書きしてからでないと話せない。その分、文章力はそれなりに鍛えられていると思うが仕方がない。
僕の言葉は、この先もずっと未熟なままだ。これ以上、成長することはおそらくあり得ない。僕の周りを吹く風は、いつも周囲の人たちとは違う。だけど、これが僕なのだ。出来ないことではなく、出来ることに目を向けていこう。