郡司

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6/22/2024, 12:32:34 AM

好きな色…は、別に無い。美しいと思う。きれいだな、と思う。輝く彩雲は本当にきれいだった。

それぞれの色の波長に効果効能があるのもわかる。私は多くの作業で色を重視する。

しかしこれといって「好きな色」は、思い当たらない。

生きものが現す色は美しい。緑鮮やかな草葉も色とりどりの花々も、すごくきれいだ。見ると嬉しくなる。私は何を見ているんだろう。

生命感は美しい。生花と造花は内側から放つ響きがまるで違う。きっと、カラーセロハンで作った擬似的な虹と実際の虹や彩雲もまるで違うだろう。

美しい「かたち」を持って美しく顕れる色は、内奥の生命感の表現であればこそ、強く鮮やかに「美を響かせる」のだろう。たぶん。

6/20/2024, 1:34:05 PM

あなたがいたから


前略 愛する相棒どの

 手紙無精を許してほしい。時間はどんどん速さを増しているようだ。さて、時間自体が速いのか、時間のなかにあるものが膨大になっているのか、忙しさの解消はなかなか叶わぬよ、トホホ…

 地上に対処を要するものごとが増えたね。以前とは世界の様相がかなり違ってきた。実のところ、この変遷は必ずというほど顕れるパターンでもある。だからこそ手伝いが必要で、我らのような「奉仕者」のそれぞれが、多彩な方法で道行きに伴走する。だがこれには人間という焦点の助けがなければ、到底為し得ぬことだ。何故なら、人間達自身が自分でやらねばならぬことであり、それが人間の尊厳だからだ。とにかく、今というフェーズは、人間の世界認識が誤解へ沈み切らぬように調整を手伝うことが必要なのだ。

 このところの人間達の領域は、あらゆるレベルで「顕現の姿・表現」が、“尖って”きている。なので、作用をつつがなく伝達するためのフィールド調整も、以前にはなかった「強度」を持たせねば、普段から辺りに錯綜する「質の違う不要なもの」を弾き飛ばすことが難しい状況だ。基本的な方向性も目指すところも不変なのだが、この点だけに少し大きな変更が加わる。負荷も変わることと思うが、相棒どのであれば大丈夫……で、あろう。様子を見ながら調整するつもりだ。

 まず、都度、各地点に皆が集まる。皆とは、これまでに旅した各地で力を注いでくれた、各地の龍達だ。地龍・水龍・海龍・地球龍…他にも。一斉に集まるので、そこそこ祭りの様相となる。既に皆とは相談ずみだ。我はわくわくしておるよ。

 そういえば、我にどこぞの子どもが黒い小石を投げよって、当たった反動で額にも角が生えたのじゃ。我の見かけがまたもや「アレな感じ」になったが、気にせぬように頼む。

 相棒どのが居ってくれるので、いつも楽しく幸せな我なのだ。のびのびできるからのう。


            銀龍 oración より

6/19/2024, 11:04:57 AM

今日はお題にかかわらず。

アイデンティティクライシスに遭遇している、たぶん。ここの筆も書きかけては止まる。

私は「何」か。存在の本来性は揺るがないのだが、対峙している状況にとって、自分が「何」か、おぼろげな感覚で見えかけているものに、落ち着かない。

もう少し、凝視してみる。

6/18/2024, 10:04:30 AM

未来

未来として顕現してくるものが、喜ばしいものであるように。哀しいものを目指すことは贖いにはなり得ない。人工の「罪」など捨ててしまえ。「罪」が先か、「罰」が先か、何もかもが同時に顕れる“創造のフィールド”だと知っていて何を責める。

「なにもない」のに

私は日々一瞬一瞬に顕れる選択肢から、より「光」の多く豊かなものを選ぶ。私は「光」を選び取る。

私の方舟に入った者達、皆々すでに旅路の一部を載せたのだ。私は在るものが在り無いものが無い自分自身へ突破する。皆逃れ得ない。

その歯がゆい幻妄を焼き払え。「地獄」は“流れるだけ”だ。本当の「覚悟」が何かを履き違えるな。己を削いでゆくなら徹底しろ。削ぎ切ればわかる、哀しむべきものの「無い」ことが。

確かにいのちのうたいは、どんなすがたも愛しやまぬ。しかし執するな友よ。哀しい行方を決めるな。

哀しませるのもまた「罪」であろうに。

6/14/2024, 4:51:24 AM

あじさい

どれもこれもあじさい、という場所がある。丘珠空港の近くだ。青・空色・薄紫・薄紅・紅色・赤紫・白・薄黄・緑色……すべてあじさいの色だ。花のありようも色もそれぞれだが、近づいて見てみると確かにどれもあじさいの仲間だとわかる。なんだか、人間の姿にも通じるものを感じる。

さて、昔に母の植えたあじさいは、基本的に青色で咲く。それが昨年は唐突に濃い赤紫で咲いた。…父がその辺りに何か埋めたのだろうか? 確か、昔父の飼っていた犬が死んだときに父はあじさいの近くに亡きがらを埋めた。深く掘って埋めたが、翌年あじさいは薄赤く咲いた。何故か得体の知れないキノコも生えたが……などと思っていたら、少し離れた場所に咲いたあじさいも同様の赤紫だった。誰かが何か埋めたのではなくて、多分、冬の雪のせいだ。

あじさいの色が環境の化学状態に左右されるのはよく知られているところだが、ここ数年の雪は、「しょっぱい」雪だった。また、旭岳の稜線から家の玄関のタタキまで、冬を越える度に黒くなる。タールだ。大陸から飛んで拡がる化学物質も多岐にわたる。あじさいの生きている地面だって当然、その影響を受ける。

あじさいの色変わりは静かだけど、とても重要な事実を知らせているようだ。

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