太陽の楽園って曲が好きです。
歌詞も好き、メロディーも好き、歌声も好き。
元気になれるから。
歌詞中に、「たったひとつ宝物を抱いて人は生まれてくる」
という言葉があって、
この「宝物」がなんなのか、考えるのがすごく好き。
曲に限らなくても、詩とか、物語とか、
なにかを表すときに、たとえを用いて表現される言葉たちが
すごくいいなって思う。
それらは、受け手によって、いろんなものに変形するから。
だから、正解がなくて、正解がないのがいい。
これもいいよね、それもいいよね、って言い合える。
わたしが受け取る気持ちに、
「わたしってこういう風に思ってるんだな」って
気持ちに気づける。
曲を聞くと、やっぱり、わたしは歌詞の意味を考えてしまう。
どういう意図で作られたのか、何を伝えたいのか。
創作したのものには、何かしらの意図があると思うから。
その人がこんなことを表現したい、そういう気持ちが作品には込められていると思うの。
だから、わたしはそれが知りたい。
意味を知ることで、作品に対する思いが深まる。
でも、意味ばかりを重視して、楽しめないのはもったいない。
理屈では説明できないような「感覚」を、
わたしたちは感じることができる。
この身体のすべての感覚を使って、
音を、言葉を、リズムを、楽しむことができる。
だから、そんなに難しく考えることも、たくさんは必要じゃない。
言葉にはできない感覚が、心地いい。
なんか、好き。
なんか、を言葉で表せられたら、わたしはもっと自身の理解を深めることが出来るのにな。
身の回りにある、
自分の心が感じる、「なんか、好き」「なんか、いい」
感覚が、わたしの心地いいを導いてくれる。
「楽園」って言葉ひとつにも、
ひとりひとり、心に浮かぶ楽園の絵がきっと違うんだろうから
ねぇ、あなたの楽園はどんなイメージなんだろう?
わたしも、考えてみる。
とりとめのないことを、考える時間が大好きなんだ。
風に乗ってどこまでも。
行く先は分からないまま、私はゆく。
どうしようもないことに、もがきながら。あがきながら。
苦しくなって、辛くなって、楽しくて、嬉しくて、悲しくて、痛くて。
そんな日々を風が吹く。
何でも意味を見出さないと、人間は気がすまないのか、
わたしはいつも意味を、理由を探してる。
生きる意味。
なぜ生ませてきたのか。
幸せとはなんなのか。
人はなぜ感情があるのか、どうしてそう思うのか。
なんで?どうして?
答えの分からないことだらけの世界。
分からなくて、分からないのがモヤモヤして
もどかしくて、立ち止まって空を見上げる。
わたしは納得したいみたい。
答えが欲しいみたい。
モヤモヤから解放されたいから?
理由づけされることで、自分の存在に意味を持たせて
生を営むことができそうな気がするから?
なにかをしているとき、ふと思うの。
どうせ死ぬのに、なんでこんなことしてるんだろう?
する意味あるのかな? って。
でも、そんなこと言ったら、
人間は生きることすら、無意味なことのように思えてしまう。
どうせ死ぬのに、生きるんだねって。
「どうせ死ぬのに」は、少し悲しいから、
「どうせ死ぬのなら」に、言葉を変えたい。
死ぬのなら、今、好きなものを食べたい。
好きな人に会いたい。
好きなことを、いっぱいしたい。
人の目を気にして苦しいなんて、もったいない。
「わたし」がしたいこと、それをしたい。
無駄だとか、意味ないとか、そんなこと、
死んでいくわたしたちにはどうでもいいこと。
この世界はいろんな、本当にいろんな物事で溢れすぎている。
人間は賢すぎる。
考えすぎる。
意味を見出しすぎる。
しがらみも、意味も、常識も、葛藤も、
この考える脳がある限り、わたしの中にあるものたち。
自由に流れる風のように、わたしたち、流れていこう。
行く先は誰も分からないけれど、
行き着く先は、みんな同じだから。
今、この瞬間の自由な旅を風のままに。
人間はいろんなものを複雑にしてしまう。
感情があるから。思考をするから。ひとりひとり違うから。
「生まれて、死ぬ。」
文字に表せば、こんなにシンプルなことなのに、
生きることは、なんでこんなにも、難しいんだろうね。
その間に何をしないといけない?
生きるために食べる。
生きるために働く。
生きるために生活する。
生きるために休む。
生きるために、しないといけないことが多すぎて
それは常識になって、それ以外は省かれて、指をさされる。
どうせ死ぬのに、なんで生きるの?
どうして人間は生まれてくるの?
答えのない「なぜ?」をたくさん、たくさん抱えて
息をする。
考えて、考えて、考えても、分からなくて
分からない、その答えを探すために生きてるの?
不思議だよ。この世界のすべてが。
生きることは、大変なことだと、分かってるのに
わたしたち、生まれてくるんだね。
人と人が助け合って成り立つ社会?
その社会で揉まれて死んでいく人たち。
生まれて、死ぬ。
文字でなら簡単に表せるのに。
簡単にじゃないこの世界に、わたしたち今日も生きてる。
死ぬために、今日も息をするのね。
#10年後の私から届いた手紙
やっほー
元気ですか?こちらは10年後の私です。
未来から手紙が届くなんて、そんな不思議なことあるって感じだよね。
でも、未来の私です。
うーん、10年前の私に何か伝えたいことがあるかなって考えて書いてるんだけど、ありすぎるよね。
もうあれからそんなに経ったのかーって思うし、今までよくがんばって生きてきたなって心からそう思うよ。
とりあえず、私は元気です。
なんかいろいろあるけれど、なんとかここまで生きているから、
そんなに心配しないで。
過去の私に心配しないでって言うのもあれだけど!
未来なんてね、眩しすぎて、前向きな言葉、私は敬遠してるでしょ?
まあね、時間が経って今のキミより少し大人になった私からしてみれば、未来って言葉はただの言葉だから、思いこみでまた塞ぎこまないように!
こうしてないといけないってことはないよ。
未来の私がどうなってるか、知りたい?
それをね、書こうかなって思ったよ。
こわがりで心配症な私だから、大丈夫だよって教えてあげたいけど…やっぱり辞めた!
だって、知ってたらつまらないでしょう?
え?
つまらないなんてことより、不安を解消させるために教えてって言ってそう。
うん、安心したい気持ちも分かる。
でも、今は秘密のままにしておくよ。
今の私…あー10年前の、これを読んでる私ね。
君が思い描いていること。
こうなったらいい、あれがやりたい。こういう風になりたい。
自由な想像力で、頭の中に思い浮かんでいることは、すべて叶えられるよ。
思いこみが激しくて、固定観念に縛られて、偏見とプライドは人一倍高くて、素直じゃない君がさ、本当は心の中に秘めていることのすべて。
恋愛も気になる?
恋愛についてなんか、思いこみの塊だもんね。
今は何でもかんでも無理、無理、無理って言ってるけど、
そんなに難しいもんじゃないから大丈夫だよ。
周りがどうとか、相手がどうとかじゃなくて、自分の心に素直になっていて欲しいな。
難しい?ふふ、大丈夫、未来の私が言ってるんだから。
いろいろ書きたいけど、長くなるし、過去に送れる便箋も限られてるから終わるね。
10年後、どうなってるか、たしかめに来てよ。
道中、きっといろんなことがあるけど、それも全部楽しんで!
ああ、あとこれだけ!
今も精一杯、生きててくれてありがとう!
今の私がいるから、未来の私もこうして笑って、元気でいられるんだ!
未来は「今」の連続なの。
いつの瞬間の私でも、どれかが欠けたら、今の私はいないから。
本当にありがとう!
楽しんでね!
10年後、未来で待ってる。
どこにも書けないこと
自分の内面のこと、たとえば物事の考え方とか、見方とか、どういう経緯でそう思うのかは、人と話す機会があまり多くなくて、こうして文字の海に流し込んでいる。
些細な出来事に対して、深く考えることが好き。
でも、あまり分かってくれる人はいない。そこまで考える?と言われるのがおち。
書けないというか、言えないこと。
私は自分のことを知られたくないと思っている。
初めて会う人や話す人、みんな、なんであんなにスムーズに会話ができるのかが不思議で仕方ない。
職業も、年齢も、趣味も、普通の会話の話題。それが私は苦痛。
これを仕事にしてるんだ、何歳なんだ、こういうのが好きなんだ。
そんなので自分をジャッチされそうで怖い。
自意識過剰な愚かな私、だから、生きづらい。
誰にも知られなくない。
私という人を知って欲しいのに、知られくないなんて矛盾してるよね。
SNSの中でさえ、私は自分を隠したがる。
このアカウントが私だと知られたらどうしよう、私という人が知られたら。
好きなものを好きと言えない。嫌いなものも嫌いと言えず、体裁だけ整えて、それっぽいこと、万人ウケするものでなんとなく誤魔化している時間は胸が痛い。
でも、収めている気持ちを胸の中だけでしまっておくのは、少しつらい。
私は自分の内面的な考えや感じたことを書くのが大好き。
今は誰の目も気にせず、インターネットの海に流すことができる。
だって、ここは匿名で、ハートを稼いだり、誰かの求めることを書いたりしなくてもいい。すべての人が素晴らしいと謳っているから。
こんな書き殴りの文章でも、いいんだ。
文章の中では、私は何にでもなれる。
「私」と「私」の対話の場。
気分のままに、私は、「あたし」にも、「僕」にも、「彼」にも「彼女」にでもなれる。
自分のためだけに、自由に心を解放することができる。
どこにも書けない気持ちも、思いも、すべて書いていい。
しがらみも思い込みも固定観念も偏見も、すべて書いていい。
誰にも理解されないような些細なことでも、現実の世界で口に出すのが躊躇われる言葉も、すべて書いていい。
書きたくないことは書かなくていい。
どこにも書けないことは、自分の胸の中に閉まっておけばいい。
そして出したくなったら、またここへやってくればいい。
私が書いた誰宛てでもないメッセージボトルがどこかの岸にたどり着いてるのかと思うと、不思議な気持ち。
届いて読んでくれた人、本当にありがとう。