思い出なんて数えきれない。わたしの思い出は言葉にするには曖昧すぎる。道端の木の実のかたちの非現実感に笑ったり、大きな公園でたった2人でピクニックをしたり、あなたの鼻をなぞって遊んだり、ずぶ濡れになって雷と叫びながら走ったり、ちょっと手を離したら知らない人になっていたり、ただ、そういう日々の連続。あまりに輪郭がぼやけたそれらは、ほんの少し前のことでもすでに懐かしくて、すこしだけ、涙が出る。本当に、ただそれだけ。
星空、といえば2015年の片田舎のキャンプ場で見上げたあの、空。横には父がいたし、小さく他人の話し声が聞こえたけれど、確かにあの場所にはわたししかいなかった。わたしだけの空だった。真ん中で大きく煌めくあの星も、端で囁く小さな星も、このままわたしと同じになってしまいそうなほどどこまでも青い空も、ぜんぶまとめて、わたしのものだった。
あの、わたしと世界の境目がなくなるような瞬間を、忘れない。わたしの人生でいくつかしかない、わたしが、世界になった瞬間。星空がわたしで、わたしは星空だった。これは、ほんとう。
神様だけが知っていること、なんてあるのかしら。まだ人類が知らない、いずれ知るであろう全ての事実をなかったことにして、神様だけが知っている、なんて言葉にまとめてしまうのもどうかと思う。神様だけが知っていることはないけど、人類が知らないことは、ある。
わたしの神様はこどもみたいなもので、好奇心で命を奪って、よくわからないまま地球の設定をちょっと変えてみたりする、そんな人。そしてそんな人がこの世、冥界も含めた全てを知っていると思えない。もし知っているのだとしたら、悲しみが止まらないこの星を、どう思っているのかしら。すこし晴れた方向に舵を切るとか、そういうことはしないのかしら。そんなにいじわるな神があってたまるか。全てを知っているのなら、どうにかしてほしい。 と、願うわたしを、神様は鼻で笑うのか、それとも、全知というのが予知を含んでいるのなら、何も思わないのかしら。
神様は、寂しくないのかしら。ひとりなのか、もっとたくさんほかにもいるといいのだけれど。自分だけのもの、なんて一見宝物のようだけど、宝物とひとことで言い切れるほどここは美しくないようにもおもう。