蝶よ花よと育てられた結果、埋めようのない寂しさを抱えた大人になってしまった。
蝶のように軽いからだも、花のように根強く地に足をつける力も、わたしにはなかったから。ただの体裁のため、そのように育てられたが、得たのは本当に体裁だけの着飾り方だけだった。
わたしには彼らのような真の強かな美しさは荷が重かった、それだけだ。それだけが、悲しくて寂しくてたまらないのだ。
目が覚めることが怖かった。
あなたが目の前に現れた瞬間にこれが夢であると気づいた。わたしは今日一日を斎場で過ごしたから。あなたが亡くなったのが一昨日で、今日が通夜。一週間前に帰省したとき、あたりまえのような、くだらなくてつまらない、それでいてかけがえのないいつもどおりの会話をあなたを交わしていたのに、もうわたしはあなたとの思い出話に花を咲かせ、想いを馳せなければいけなかった。馳せる想いなど湧きもしない。まだ生きていると信じていたかった。
それでも、これが夢であると気づけてしまう自分のある種の飲み込みのよさ、のようなものが心の底から恐ろしく醜く感じる。
運動会の昼休憩だった。もうわたしは二十歳をとうにすぎる年齢ではあるが、夢であることからあまり違和感はなかった。
「今日はね、からあげと、ポテトサラダもちゃんと作ってきただよ。前に好きだって言ってたら?」
運動会は、田舎というには栄えた、とはいえ都心とは程遠い土地に家を構える祖父母が自分の姿を見るためだけに長旅を経て東京に来てくれるという、祖父母を愛するわたしにとっては素晴らしいイベントであった。特に、わたしは祖父の作る料理が大好きで、翌日から大量に仕込んで作ってくれる、全てがわたしの好きなものだけで構成された運動会の日の大きなお弁当は、わたしにとってかけがえのないものだった。祖父からの遺伝で、食べることが大好きなわたしが、小学生ながら前日の夕飯の量を、お腹が空いて動けなくならない、それでいてお弁当を大量に詰め込める程度に計算し抑えるほどに。
「つくねは、つくねはもってきてくれたの?」
中でも一番のお気に入りは、つくね。小学生のわたしには決して作業工程が想像できないが、ほかのどこで食べても味わえない、独特の旨味と、すこしついた表面の焦げが大好きだった。また、味とは直接関係ないが、串料理を食べるときに、串を口に深く入れることが怖くていつも箸で外していたわたしのために、短く切った竹串につくねをたったの二個だけ刺す、という祖父のやさしさと愛が直接感じられる料理でもあった。
「もちろん!いっぱい作ってきたから、好きなだけ食べるだよ。」
夢の中でも、祖父のくぐもった声と、時より方言が強く出る語尾はとても耳障りの良いものだった。
「でも、ごめんね、もう作ってあげられなくって。もう一回くらい、食べてほしかっただよ。」
気づけば場所は祖父の家に変わっていた。わたしの写真が各地に飾られている、わたしのお気に入りの場所。いまから三年前に亡くなった犬も、わたしのそばに寄り添って寝ていた。
「うん。食べたかったなあ。本当においしかったの。あやまらないで。おじいちゃん、最期はあんまりごはんを食べられなかったでしょう?だからね、向こうではゆっくり、おじいちゃんの食べたかったものをいっぱい食べてね。ラッキーちゃんとも、いっぱい遊んでね。」
涙が止まらない。これは、祖父の最後の挨拶なのだとわかってしまうから。。ひぐ、と言葉の途中で息を吸い込んでしまって、呼吸がしづらい。それでも、黙るわけにはいかない。ここで喘いでなにも話せず終わることのほうが、息苦しさより痛かった。
「いっぱいね、おじいちゃんに喋りたいこと、聞きたいこと、自慢したいことがあったの。わたし、もうすぐ結婚するの。おじいちゃんに似た癖毛で、おじいちゃんみたいに優しくて、おじいちゃんみたいに温もりの溢れた目でわたしを見る人。わたし、おじいちゃんが大好きなの...。ありがとう、ありがとう。」
「おじいちゃんもね、はるちゃんが大好きだし、自慢だっただよ。美人さんで、やさしくて、賢い。本当に、自慢の孫。もう、いかなきゃいけないら。ごめんね、ありがとう。」
最後に、抱きしめた。目が覚めてしまうともう気づいていたから。背が高かった祖父。病床に臥すまで、わたしは彼の頭頂部を見たことがなかったほどに。そんな祖父の顔が近かった。祖父を抱きしめたのなんて、きっともう十数年以上前のことで、そのときよりよっぽどわたしも背が伸びたのだ。あぁ、大好きだ。照れ臭くてなにも言葉も動きも返せない、それでいて愛おしそうに微笑むあなたのことが。まだ、涙は止まらなかった。
息苦しさで目が覚めると同時に、目覚まし時計が鳴った。まだ腕の中に、あなたの温もりがのこっていた。
目が覚めるといつもと変わらず6時15分。日光がわたしの影の輪郭を確かなものにしてしまう。朝はあまり得意でない。それでも、昨日買ったパンがあるから、身体を起こす。ざらめのような質感の砂糖と、練乳、それと少しのバターを感じるミルクフランス。そんなものが、わたしを今日も地上に引き留めてくれる。すこし水分が減った口に牛乳を流し込んで、家を出た。向かう先が地獄であることは変わらないのに。
今日は、晴れ。顔も知らない2人の再会を祝う。わたしの祈りをのせて。幸せが、終わりませんように。あわよくば、あなたの不幸せが、全てわたしという傘に降り注ぎますように。
思い出なんて数えきれない。わたしの思い出は言葉にするには曖昧すぎる。道端の木の実のかたちの非現実感に笑ったり、大きな公園でたった2人でピクニックをしたり、あなたの鼻をなぞって遊んだり、ずぶ濡れになって雷と叫びながら走ったり、ちょっと手を離したら知らない人になっていたり、ただ、そういう日々の連続。あまりに輪郭がぼやけたそれらは、ほんの少し前のことでもすでに懐かしくて、すこしだけ、涙が出る。本当に、ただそれだけ。